第六話 第二王女の恋と作戦会議
シーサスの街でビルセイヤと別れたあと。
アイリスは馬車の中で窓の外を眺めながら、何度も同じ場面を思い返していた。
「ビルセイヤ様……」
名前を口にするだけで、自然と頬が緩む。
倒れそうになった自分を助けてくれたこと。
優しく声をかけてくれたこと。
腕を支えてくれた時の温もり。
そして最後に向けられた、あの穏やかな笑顔。
「素敵でした……」
完全に恋する乙女だった。
出会ってから、まだ数十分。
言葉を交わした時間など、ほんのわずか。
それでもアイリスにとっては、人生を変えるほどの大事件だった。
なにせ、生まれて初めての恋なのだから。
◇◇◇
一方その頃。
王都アルティアにある王城では、大騒ぎになっていた。
「アイリス王女殿下が見当たらないだと!?」
「またですか!?」
「城内を捜索しろ!」
「東棟も確認しろ!」
「庭園はどうした!?」
「馬車の使用記録を調べろ!」
兵士や侍女たちが、慌ただしく城内を走り回る。
王城勤務の者たちにとって、もはや見慣れた光景だった。
なぜなら――。
アイリスには、昔から脱走癖があったからである。
もちろん本人に悪気はない。
ただ、好奇心が強すぎるだけだ。
城の外を見たい。
街の暮らしを知りたい。
民がどんな表情で生きているのか、自分の目で確かめたい。
王女としては立派な考えかもしれない。
ただし、護衛の目を盗んで抜け出す時点で、周囲の胃にはまったく優しくなかった。
◇◇◇
そして夕方。
大騒ぎの元凶は、何事もなかったかのように王城へ帰還した。
「ただいま戻りました」
にっこり。
満面の笑みだった。
「アイリス様ぁぁぁぁ!」
専属侍女のマリアが、涙目で飛びついてくる。
「ご無事でよかったですぅぅぅ!」
「少し街を見ていただけですわ」
「少しじゃありません!」
マリアは本気で泣きそうだった。
王女が勝手に城を抜け出すなど、大問題である。
下手をすれば誘拐事件として扱われてもおかしくない。
「次からは、ちゃんと護衛を連れてください!」
「えー」
「えー、ではありません!」
「でも護衛を連れていたら、自由に街を歩けませんわ」
「自由より安全です!」
今日も王城は平和だった。
少なくとも、アイリス本人の中では。
◇◇◇
その夜。
アイリスは自室のベッドに寝転がっていた。
天蓋付きの豪華なベッド。
柔らかな羽毛布団。
壁には繊細な刺繍の施されたタペストリー。
窓辺には季節の花が飾られている。
王女として、何一つ不自由のない部屋だった。
だが――眠れない。
頭の中を、一人の男性が占領していた。
「ビルセイヤ様……」
ぽつりと呟く。
「どなたですか?」
「好きな人です」
即答した。
そして、固まる。
ゆっくりと顔を向けると、いつの間にかマリアが部屋に立っていた。
「…………」
「…………」
沈黙。
数秒後。
「好きな人なんですか!?」
「はい」
迷いのない返事だった。
マリアは頭を抱えた。
◇◇◇
翌日。
王女の部屋で、緊急会議が開催された。
参加者は二名。
第二王女アイリス。
そして、巻き込まれた専属侍女マリア。
「では、作戦会議を始めます!」
なぜかアイリスは、朝からやる気満々だった。
「何の作戦会議ですか……」
対するマリアは、すでに疲れている。
「もちろん、ビルセイヤ様と結婚するための作戦会議です!」
「早すぎませんか!?」
出会って一日で、もう結婚の話になっていた。
しかもアイリスの表情は真剣そのもの。
冗談ではない。完全に本気である。
「恋とは、迷っている間に好機を逃すものですわ」
「どこでそんな知識を……」
「恋愛小説です!」
「変なところだけ行動力がありますね!」
◇◇◇
「まず、第一作戦ですわ」
「はい……」
「私も冒険者になります!」
アイリスは胸を張った。
名案だと言わんばかりである。
「却下です」
「なぜですの!?」
「王女だからです」
即終了だった。
王女が勝手に冒険者になるなど前代未聞である。
そもそもギルド登録以前に、国王陛下と王妃様が卒倒する。
◇◇◇
「では、第二作戦!」
「まだあるんですね……」
「護衛依頼を出します!」
「誰にですか?」
「もちろん、ビルセイヤ様に」
「王女直々の指名依頼になりますよね?」
「なりますわ!」
「国中が大騒ぎになります」
「では、極秘で」
「極秘の時点で余計に問題です」
却下だった。
◇◇◇
「第三作戦!」
「どうぞ……」
「偶然を装って会います!」
「どうやってですか?」
「偶然、シーサスの大通りを歩きます!」
「それは偶然ではありません」
「では、偶然を努力で引き寄せます!」
「それは計画的犯行です」
これも却下だった。
◇◇◇
アイリスは机に突っ伏した。
「なぜ上手くいきませんの……」
「全部無理だからです」
マリアは冷静だった。
だが、アイリスは諦めない。
恋する乙女は強い。
それがたとえ第二王女であっても、いや、第二王女だからこそ厄介なのである。
「では、最後の作戦です!」
「まだあるんですか……」
マリアの目が死んでいた。
そしてアイリスは、満面の笑みを浮かべる。
「冒険者になります!」
「最初に戻りましたぁぁぁ!?」
マリアの悲鳴が、王女の部屋に響き渡った。
◇◇◇
一方その頃。
シーサスの街では――。
「くしゅん!」
ビルセイヤが、盛大なくしゃみをしていた。
「風邪ですか?」
隣を歩くセシリアが、心配そうに尋ねる。
「いや……」
ビルセイヤは首を傾げた。
「誰かに噂されてる気がする」
「気のせいじゃないですか?」
「そうかもしれないな」
まさか遠く離れた王都で、第二王女が自分との結婚作戦会議を開いているなど、知る由もない。
「それより、今日は武器屋に行くんですよね?」
「ああ。さすがに木の枝で戦い続けるのは限界だからな」
「やっと気づいたんですね」
「セシリア、今ちょっと失礼なこと言わなかったか?」
「気のせいです」
二人はそんな会話をしながら、シーサスの大通りを歩いていった。
◇◇◇
その日の夜。
アイリスは真剣な表情で机に向かっていた。
目の前には、一枚の手紙。
宛先は父親。
この国の国王、ライオット・アルティアである。
アイリスはペンを握り、迷いなく文字を綴った。
『お父様へ
私、冒険者になりたいです』
内容は、たった一文。
だがその一文は、王城を揺らすには十分すぎた。
この手紙が、国王を悩ませ、王妃を驚かせ、専属侍女マリアの胃を痛めることになる。
そして何より――。
ビルセイヤの平穏な冒険者生活を、大きく揺るがすことになるとは。
この時はまだ、誰も知らなかった。
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第一章 第六話
第二王女の恋と作戦会議
――続く。




