第五話 王女様との出会い
ゴブリンソルジャー討伐から数日後。
ビルセイヤは、シーサスの大通りを一人で歩いていた。
異世界へ来てから、まだ一週間も経っていない。
それでも、生活は少しずつ安定し始めていた。
薬草採取。
スライム討伐。
ゴブリン討伐。
荷物運搬。
初心者向けの依頼をこなしながら、ビルセイヤは冒険者としての経験を積んでいる。
おかげで、セシリアに立て替えてもらっていた借金もかなり返済できた。
宿代と食費を含めても、ようやく首が回る程度にはなってきたと言える。
だが――。
「そろそろ限界だな……」
ビルセイヤは、手に持っていた木の枝を見つめた。
異世界へ来てから、ずっと使っている相棒。
ゴブリンもスライムも、果てはゴブリンソルジャーまでこれで倒してきた。
だが、当然ながら武器ではない。
ただの木の枝である。
「よく考えなくても、おかしいよな……」
ゴブリンソルジャーを倒している男の得物が木の枝。
字面だけ見れば、もはや意味が分からない。
もちろん、いつまでもこれに頼るつもりはない。
ビルセイヤは刀鍛冶だ。武器を見る目も、それなりにある。
だが、この世界の金属事情や鍛冶技術はまだ分からない。
いずれ自分で剣や刀を打つにしても、まずは市場を見ておきたかった。
「今日は武器屋だな」
そう決めて、ビルセイヤは歩き出した。
◇◇◇
シーサスの中心街は、今日も大勢の人で賑わっていた。
魚を売る商人。
果物を並べる露店。
武器や防具を扱う店。
行き交う冒険者たち。
潮風に混じって、焼き魚や串焼きの香りが流れてくる。
港町らしい活気と、冒険者の街らしい荒っぽさが混ざり合った、シーサス特有の空気だ。
そんな人混みの中を歩いていると――
「きゃっ!」
小さな悲鳴が耳に届いた。
視線を向ける。
一人の少女が、石畳のわずかな段差につまずき、前のめりに倒れそうになっていた。
反射的だった。
考えるより先に、身体が動く。
剣道で鍛えた瞬発力で数歩の距離を一気に詰め、ビルセイヤは少女の身体を支えた。
「危ない!」
ふわり、と甘い香りが鼻先をくすぐる。
腕の中に収まった少女は、驚いたように目を見開いていた。
「大丈夫か?」
「あ……」
透き通るような金色の髪。
宝石のように澄んだ蒼い瞳。
陶器のように白い肌。
そして、見るからに上質だと分かる服装。
年の頃は十七歳前後だろうか。
街娘にしてはあまりにも気品があり、どこか育ちの良さを感じさせる少女だった。
「す、すみません……」
少女は顔を真っ赤にしながら、ぺこりと頭を下げた。
「怪我はないか?」
「は、はい! 大丈夫です!」
慌てて何度も頷く。
どうやら本当に怪我はないらしい。
ビルセイヤは安心して、そっと彼女から手を離した。
「それならよかった」
ただ、それだけ。
気遣うようにかけた、たった一言。
だが――その一言だけで、少女の胸は大変なことになっていた。
◇◇◇
(か、格好いい……)
少女は呆然としていた。
胸が、どくんどくんと大きく鳴っている。
頬が熱い。呼吸が落ち着かない。
人生で初めてだった。
誰かに触れられただけで、こんなにも心が乱れるのは。
少女の名前は、アイリス。
王都アルティアの王城で暮らす、第二王女である。
本来なら今頃、王城で礼儀作法や政治、歴史の勉強をしている時間だった。
だが今日は違う。
たまには城の外を見てみたい。
庶民の街を、自分の目で歩いてみたい。
そんな好奇心から、護衛の目を盗んで変装し、はるばるシーサスまでやって来ていたのだ。
そして今――運命の出会いを果たしてしまった。
(素敵……)
助けてくれた。
優しかった。
しかも、すごく格好いい。
声も良かった。
笑顔も良かった。
なにより、自然に手を差し伸べてくれたのがずるい。
(……結婚したい)
出会って三分。
アイリスの中で、結論が出た。
◇◇◇
一方のビルセイヤは、そんなことを知る由もない。
「じゃあ、気を付けろよ」
軽く手を振り、その場を立ち去ろうとする。
その瞬間。
「ま、待ってください!」
アイリスが慌てて呼び止めた。
「ん?」
ここで別れたら、二度と会えない気がした。
そんな予感が、アイリスの胸を強く叩いていた。
「あ、あの……」
勇気を振り絞り、彼女は口を開く。
「お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
ビルセイヤは少しだけ目を瞬かせたあと、素直に答えた。
「ビルセイヤだ」
「ビルセイヤ様……」
名前を聞いただけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
もう完全に重症だった。
「私はアイリスです」
「そうか。よろしくな、アイリス」
ビルセイヤがにっと笑う。
その笑顔を見た瞬間、アイリスの心臓は危険なほど大きく跳ねた。
(やっぱり好きです……!)
◇◇◇
その時だった。
「ビルセイヤさん!」
聞き慣れた声が大通りに響いた。
振り返ると、セシリアが人混みをかき分けながらこちらへ走ってきている。
「探しましたよ」
「悪い悪い」
「依頼の打ち合わせをする約束だったじゃないですか」
「ああ、そうだったな」
ビルセイヤが頭をかくと、セシリアは呆れたようにため息をついた。
そして、自然な流れでアイリスへ視線を向ける。
「こちらの方は?」
「さっき知り合った」
「そうですか」
にこり、とセシリアが笑う。
アイリスも負けじと笑みを返した。
「初めまして」
「初めまして」
二人とも笑顔だった。
だが――なぜか空気が重い。
周囲の温度が一瞬下がったような気がして、ビルセイヤは首を傾げた。
(何かあったか?)
もちろん、本人にはまったく分からない。
◇◇◇
アイリスは改めてセシリアを見る。
綺麗な女性だ。
しかも、ビルセイヤとかなり親しそうに話している。
(……ライバル?)
アイリスの中で警鐘が鳴った。
一方のセシリアも、似たようなことを考えていた。
(なんでこの人、こんなにビルセイヤさんを見てるんですか?)
出会ったばかりのはずなのに、妙に距離が近い。
それに、目が完全に“そういう目”をしている気がする。
だが、二人とも口には出さない。
まだ初対面なのだから当然だ。
表面上は、完璧な笑顔。
その裏で、静かな火花が散っていた。
◇◇◇
「それでは私、そろそろ失礼します」
アイリスは優雅に一礼した。
王女として幼い頃から叩き込まれてきた礼儀作法が、無意識のうちに染みついている。
変装していても、その所作の美しさは隠しきれなかった。
「そうか」
「はい」
そして、アイリスは少しだけ頬を染めながらビルセイヤを見上げた。
「また……お会いできますよね?」
その瞳は、不安と期待に揺れている。
ビルセイヤは深く考えず、気楽に答えた。
「ああ。縁があればな」
「はい!」
ぱっと、アイリスの顔が花のように明るくなる。
そして彼女は、心の中で固く誓った。
(縁なら作ります!)
(絶対に、また会います!)
――いいえ、違う。
(絶対に結婚します!)
王女として。
一人の女の子として。
全力で。
◇◇◇
こうしてビルセイヤは、知らぬ間に第二王女アイリスの心を射止めていた。
もちろん、本人はまったく気づいていない。
そして数日後。
アイリスがとんでもない方法でビルセイヤへ接近しようとすることも――
この時のビルセイヤも、セシリアも、まだ知る由はなかった。
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第一章 第五話
王女様との出会い
――続く。




