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第四十九話 黒き封印と旅立ちの鐘

 『人の子か』


◇◇◇


 黒い霧で形作られた人影が、不気味な赤い瞳で三人を見下ろしていた。


◇◇◇


 その存在感は異常だった。


◇◇◇


 呼吸が重い。


 空気そのものが圧し掛かってくるような圧迫感。


◇◇◇


 セシリアは無意識に剣の柄を握り締める。


◇◇◇


 エミリアも杖を構えたまま動けずにいた。


◇◇◇


 今まで出会ったどの魔物とも違う。


◇◇◇


 本能が警鐘を鳴らしている。


◇◇◇


 だが。


◇◇◇


 ビルセイヤだけは、その存在を真っ直ぐ見据えていた。


◇◇◇


 恐怖がないわけではない。


◇◇◇


 むしろ今まで出会った誰よりも危険だと理解している。


◇◇◇


 だからこそ冷静だった。


◇◇◇


『面白い』


◇◇◇


 人影が低く笑う。


◇◇◇


『恐怖に呑まれぬか』


◇◇◇


「お前は何者だ?」


◇◇◇


 ビルセイヤが問い掛ける。


◇◇◇


 人影はしばらく沈黙した。


◇◇◇


 まるで遠い昔を思い出すかのように。


◇◇◇


 そして。


◇◇◇


『名など忘れた』


◇◇◇


『遥か昔に封じられた存在だ』


◇◇◇


 その言葉にエミリアの表情が変わる。


◇◇◇


「封印……」


◇◇◇


 古代遺跡。


 黒い水晶。


 異常な魔力。


◇◇◇


 全てが繋がった。


◇◇◇


「フォレスト・キングも……」


◇◇◇


『我が漏らした魔力に当てられた哀れな獣よ』


◇◇◇


 人影は興味なさそうに答えた。


◇◇◇


『長き封印の綻び』


◇◇◇


『その影響を受けただけだ』


◇◇◇


 つまり。


◇◇◇


 失踪事件の原因は目の前の存在。


◇◇◇


 漏れ出した魔力。


 森の異変。


 狂暴化した魔物。


◇◇◇


 全ての元凶だった。


◇◇◇


「失踪した人たちはどうした!」


◇◇◇


 セシリアが思わず声を上げる。


◇◇◇


 人影は淡々と答えた。


◇◇◇


『知らぬ』


◇◇◇


『我に近付いた弱き者は正気を失った』


◇◇◇


『逃げた者もいれば命を落とした者もいるだろう』


◇◇◇


 セシリアが唇を噛む。


◇◇◇


 怒りが込み上げる。


◇◇◇


 だが今は感情に流される時ではない。


◇◇◇


 その時だった。


◇◇◇


 人影の身体が大きく揺らいだ。


◇◇◇


『……ふむ』


◇◇◇


『まだ封印は残っているか』


◇◇◇


 黒い霧が不安定に揺れ続ける。


◇◇◇


 ビルセイヤは気付いた。


◇◇◇


 完全復活ではない。


◇◇◇


 まだ封印の中にいる。


◇◇◇


 だからこそ姿が安定していないのだ。


◇◇◇


『人の子』


◇◇◇


 赤い瞳がビルセイヤを見据える。


◇◇◇


『名は何と言う』


◇◇◇


「ビルセイヤ」


◇◇◇


 短く答える。


◇◇◇


『ビルセイヤか』


◇◇◇


 人影はその名を反芻するように呟いた。


◇◇◇


『覚えておこう』


◇◇◇


 不思議だった。


◇◇◇


 圧倒的な危険を感じる。


◇◇◇


 だが敵意は薄い。


◇◇◇


 まるで観察されているような感覚だった。


◇◇◇


『いずれまた会うことになる』


◇◇◇


 その言葉と共に黒い霧が薄くなっていく。


◇◇◇


『今はまだ時ではない』


◇◇◇


『封印が我を縛る』


◇◇◇


 そして。


◇◇◇


 最後に赤い瞳だけが残った。


◇◇◇


『強くなれ』


◇◇◇


『人の子よ』


◇◇◇


 その瞬間。


◇◇◇


 黒い霧は完全に消滅した。


◇◇◇


 静寂。


◇◇◇


 重苦しい圧力も消えている。


◇◇◇


 まるで嵐が過ぎ去った後のようだった。


◇◇◇


「終わった……んでしょうか?」


◇◇◇


 セシリアが呟く。


◇◇◇


「分からない」


◇◇◇


 ビルセイヤは首を横に振った。


◇◇◇


 ただ一つだけ確かなことがある。


◇◇◇


 今の自分たちでは勝てない。


◇◇◇


 あの存在はそれほど強大だった。


◇◇◇


 その後。


◇◇◇


 三人は遺跡内部を調査した。


◇◇◇


 すると失踪していた冒険者や村人たちを発見する。


◇◇◇


 衰弱していたものの命に別状はない。


◇◇◇


 正気を失っていた者も、エミリアの治癒魔法と休息によって徐々に回復し始めた。


◇◇◇


 失踪事件は解決した。


◇◇◇


 少なくとも表面上は。


◇◇◇


 夕暮れ。


◇◇◇


 三人は王都へ帰還する。


◇◇◇


 ガルドへの報告。


 騎士団への説明。


 生還者の引き渡し。


◇◇◇


 全てが終わった頃には、すっかり夜になっていた。


◇◇◇


「お疲れ様でした」


◇◇◇


 セシリアが笑顔を見せる。


◇◇◇


「本当に色々ありましたね」


◇◇◇


 エミリアも頷いた。


◇◇◇


 ゴブリン討伐。


 初めての依頼。


 オークとの戦い。


 オークロード討伐。


 王都への旅。


 国王との謁見。


 フォレスト・キング。


 そして古代遺跡。


◇◇◇


 異世界へ来てから、まだ数か月しか経っていない。


◇◇◇


 それでも数え切れない経験を積んできた。


◇◇◇


「そうだな」


◇◇◇


 ビルセイヤは夜空を見上げた。


◇◇◇


 満天の星。


◇◇◇


 どこまでも広がる異世界の空。


◇◇◇


 そして脳裏に浮かぶ。


◇◇◇


 剣術の理。


◇◇◇


 強敵との戦い。


◇◇◇


 鍛冶の技。


◇◇◇


 守るべき仲間。


◇◇◇


 もっと強くなりたい。


◇◇◇


 もっと良い刀を打ちたい。


◇◇◇


 もっと広い世界を見てみたい。


◇◇◇


 その想いは、異世界へ来た頃より遥かに強くなっていた。


◇◇◇


 こうして――。


◇◇◇


 ビルセイヤの冒険者としての第一章は幕を閉じる。


◇◇◇


 だが。


◇◇◇


 これは終わりではない。


◇◇◇


 新たな出会い。


 新たな街。


 新たな仲間。


 新たな強敵。


◇◇◇


 そして。


◇◇◇


 未来の創造神へと続く運命の道。


◇◇◇


 その全てが、これから待っている。


◇◇◇


 青年は歩き出す。


◇◇◇


 まだ見ぬ未来へ向かって。


◇◇◇


 その足取りは、どこまでも力強かった。


第一章 第五十話


「黒き封印と旅立ちの鐘」


――第一章 完――

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