第四十六話 森の主
ズシン――。
ズシン――。
重々しい振動が大地を揺らす。
静まり返った森の中で、その足音だけが異様な存在感を放っていた。
ビルセイヤは静かに腰のロングソードへ手を掛ける。
セシリアも剣を抜き放つ。
エミリアは杖を構え、周囲の魔力の流れを探っていた。
先ほど保護した男性は、木陰へ避難させてある。
今は目の前の脅威に集中するしかない。
「来るな……」
男が震える声を漏らした。
「森の主だ……」
「森の主?」
セシリアが聞き返す。
しかし男は恐怖に支配され、それ以上言葉を続けることができなかった。
その時だった。
バキィィィッ!!
巨大な木がへし折れる音が森中へ響く。
続いて――。
黒い影が、木々の向こうから姿を現した。
「なっ……」
セシリアが息を呑む。
大きい。
オークロードよりも、さらに巨大だった。
身長は五メートル近い。
全身を茶色い剛毛で覆われた巨体。
丸太のような腕。
鋭い牙。
血のように赤い瞳。
巨大な猿を思わせる異形の魔物だった。
「グォォォォォォォォッ!!」
凄まじい咆哮が森を震わせる。
周囲の木々が揺れ、枝葉がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立った。
「そんな……」
エミリアの表情が険しくなる。
「知っているのか?」
ビルセイヤが尋ねる。
「フォレスト・キングです!」
エミリアは緊張した声で答えた。
「森の生態系の頂点に立つ魔物……! Aランク指定魔物です!」
Aランク。
その言葉の重みを、セシリアも理解していた。
本来ならベテラン冒険者たちで編成された討伐隊が対応する相手。
決して簡単に勝てる敵ではない。
だが――。
ビルセイヤは冷静だった。
敵を観察する。
体格。
筋肉の付き方。
重心。
呼吸。
足運び。
剣道の師から教わったことが脳裏をよぎる。
剣術とは、人を制する術である。
相手をよく見て、最も合理的に勝つ。
無駄を捨て、急所を断つ。
そしてその過程で、自分自身も磨いていく。
それがビルセイヤの信じる剣の理だった。
「セシリア」
「はい!」
「正面を頼む」
「任せてください!」
セシリアが前へ飛び出す。
同時にフォレスト・キングが巨大な腕を振り下ろした。
轟音。
地面が砕け、土と石が弾け飛ぶ。
だが――。
セシリアは紙一重で回避した。
「速いっ!」
巨体からは想像もできない速度だった。
しかし、セシリアも以前とは違う。
ゴブリンジェネラル。
オークロード。
数々の死線を潜り抜けてきた今、ただ圧倒されるだけでは終わらない。
「はあっ!」
鋭い斬撃が放たれる。
ガキンッ!
嫌な音が響いた。
硬い。
毛皮の下の筋肉が異常なほど強靭だった。
「浅いです!」
セシリアが叫ぶ。
「普通の攻撃じゃ通りません!」
その報告を聞きながら、ビルセイヤは冷静に敵を分析していた。
力比べは愚策。
ならば狙うべきは、急所。
合理的に勝つ。
それが剣術だ。
「エミリア!」
「はい!」
「目を狙え!」
エミリアは即座に理解した。
硬い肉体なら、柔らかい部分を攻める。
当然の戦術だ。
「風よ!」
「ウィンドアロー!」
風の矢が放たれる。
一直線に魔物の顔面へ飛翔した。
「グォッ!?」
フォレスト・キングが慌てて腕で顔を庇う。
その一瞬――。
ビルセイヤが動いた。
「今だ!」
地面を蹴る。
一気に加速。
魔物の懐へ飛び込む。
狙うのは首でも胸でもない。
膝関節。
巨体を支える要だ。
「――はっ!」
鋭い一閃。
ゴォッ!!
強烈な衝撃が関節へ叩き込まれる。
「グォォォォッ!?」
フォレスト・キングが大きく体勢を崩した。
巨体が揺れる。
その隙を見逃す者はいない。
「セシリア!」
「はいっ!」
セシリアが跳んだ。
全身全霊の一撃。
「はあああああっ!!」
剣が振り下ろされる。
ザシュッ!!
深い傷が肩口へ刻まれた。
鮮血が飛び散る。
「グォォォォォッ!!」
絶叫。
だが――まだ倒れない。
Aランク魔物の生命力は、常識外れだった。
むしろ傷を負ったことで、その凶暴性はさらに増したように見える。
フォレスト・キングが両腕を地面へ叩きつける。
ドゴォンッ!!
衝撃が地面を走り、周囲の木々が大きく揺れた。
「っ!?」
セシリアが飛び退く。
エミリアも後方へ下がる。
次の瞬間――。
フォレスト・キングの全身から、赤黒い魔力が噴き出した。
空気が震える。
森そのものが怯えるようにざわめいた。
「まずい!」
エミリアの顔色が変わる。
「狂暴化です!」
「狂暴化?」
セシリアが叫ぶ。
「魔物が瀕死になった時に発動する危険な状態です! 身体能力が飛躍的に上昇する代わりに、理性を失います!」
最も危険な段階だった。
フォレスト・キングの赤い瞳が、さらに濃く染まる。
口元からは荒い息が漏れ、全身の筋肉が不気味に膨れ上がっていく。
ビルセイヤは剣を構え直した。
ここから先は、一撃でも受ければ致命傷になりかねない。
だが逃げるわけにはいかない。
背後には助けを待つ失踪者がいるかもしれない。
そして、この魔物を放置すれば、被害はさらに広がる。
「二人とも」
ビルセイヤが低く言う。
「ここからが本番だ」
「はい!」
「分かっています!」
セシリアとエミリアが力強く応じる。
その直後。
フォレスト・キングが天を仰ぎ、咆哮した。
「グォォォォォォォォォォォォッ!!」
凄まじい雄叫びが森全体へ響き渡る。
木々が震え、地面が軋み、空気そのものが圧し潰されるようだった。
真の戦いは、ここから始まる――。
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第一章 第四十六話
森の主
――続く。




