第三十話 暴走する王
オークロードの全身から、赤黒い魔力が噴き出していた。
まるで業火のように揺らめく魔力は、周囲の空気を歪ませ、戦場全体へ重苦しい圧力を放っている。
「グオオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮が夜空を震わせた。
近くにいた冒険者たちが、思わず耳を塞ぐ。
村人たちの顔から血の気が引いていく。
暴走。
魔物が極限まで追い詰められた時に起こる危険な状態。
理性を失う代わりに、自らの生命力を燃料として身体能力を限界以上に引き上げる。
筋力。
速度。
耐久力。
生命力。
そのすべてが、別次元へ到達する。
◇◇◇
「まずいですね……」
エミリアの額を汗が伝った。
長命なエルフである彼女ですら、暴走した上位種と戦うのは初めてだった。
そして次の瞬間。
「傷が……」
セシリアが目を見開く。
オークロードの身体に刻まれていた傷口が蠢いていた。
完全ではない。
だが、確実に塞がり始めている。
常識外れの生命力だった。
「時間を掛けたら不利になる」
ビルセイヤが低く呟く。
相手は暴走状態。
長引けば長引くほど、こちらが不利だ。
決着を急ぐ必要がある。
◇◇◇
その時だった。
ドンッ!!
地面が爆ぜた。
「速い!」
セシリアが叫ぶ。
オークロードが消えたように見えた。
次の瞬間には、ビルセイヤの目の前まで迫っている。
振り上げられた巨大な戦斧。
狙いはビルセイヤ。
「くっ!」
反射的に横へ飛ぶ。
直後――。
ドゴォォォォォォン!!
戦斧が地面へ叩き込まれた。
土が吹き飛ぶ。
石が砕ける。
地面が大きく陥没した。
「当たったら終わりですね……」
セシリアが顔を青くする。
先ほどまでとは比較にならない威力。
鎧も盾も意味をなさない。
まともに受ければ即死だ。
だが。
「なら、当たらなければいい」
ビルセイヤは冷静だった。
恐怖がないわけではない。
むしろ、強く感じている。
それでも頭は冴えていた。
相手を観察する。
剣術の理。
どれほど強大な相手でも、動きには必ず癖がある。
呼吸。
重心。
視線。
筋肉の収縮。
すべてには意味がある。
そして――。
「見えた」
オークロードの左肩。
攻撃の直前、ほんの僅かに下がる。
それが予兆だった。
◇◇◇
「セシリア!」
「はい!」
「次の攻撃で飛び込め!」
セシリアは迷わず頷く。
ビルセイヤを信じている。
だから恐れない。
オークロードが再び動く。
左肩が下がった。
「来るぞ!」
巨大な戦斧が横薙ぎに振られる。
ビルセイヤはしゃがむ。
風圧が頭上を通り抜けた。
その瞬間――。
「はあああああっ!」
セシリアが飛び込む。
狙うのは、傷ついた脚。
一閃。
ザシュッ!
深く斬り裂かれる。
「グオオオオッ!」
オークロードの膝が沈んだ。
そこへ追撃。
「風よ!」
エミリアが杖を掲げる。
「ウィンドランス!」
三本の風の槍が放たれた。
一撃目が肩へ。
二撃目が腕へ。
三撃目が胸へ。
次々に命中する。
オークロードの動きが一瞬だけ鈍った。
「今だ!」
ビルセイヤが駆ける。
全力で踏み込む。
だが、オークロードは倒れない。
暴走状態の生命力は異常だった。
むしろ――赤い瞳がぎらりと光る。
標的はビルセイヤ。
「しまった!」
距離が近すぎる。
戦斧が振り上げられる。
避けられない。
◇◇◇
その瞬間だった。
脳裏に蘇る。
師の言葉。
『剣術は人を制する術だ』
『どれだけ綺麗事を並べても、それが本質だ』
『合理的に相手を制し、生き残れ』
迷いが消えた。
首ではない。
腕でもない。
狙うべき場所は一つ。
急所。
踏み込み。
突き。
一直線。
オークロードの喉へ。
そして――。
ドシュッ!!
ロングソードが深く突き刺さった。
「グ……ガ……」
オークロードの動きが止まる。
握られていた戦斧が、手から滑り落ちた。
静寂。
誰も動けない。
次の瞬間。
ドォォォォォン!!
巨体が後ろへ倒れた。
地面が揺れる。
土煙が舞う。
オークロード討伐。
辺境の村を救う戦いは、終わった。
◇◇◇
その事実を理解した瞬間。
「勝った……」
誰かが呟いた。
そして。
「おおおおおおおおおっ!!」
歓声が夜空へ響き渡る。
冒険者たち。
村人たち。
全員が勝利を喜んでいた。
しかし、ビルセイヤはその場へ膝をつく。
限界だった。
疲労。
緊張。
全力戦闘の反動。
すべてが一気に押し寄せてくる。
「ビルセイヤさん!」
セシリアが駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「問題ない……」
そう答えるが、身体は重い。
それでも。
守れた。
村を。
仲間を。
その事実だけで十分だった。
◇◇◇
遠くから聞こえる歓声。
村人たちの笑顔。
感謝の言葉。
英雄とは何か。
まだ分からない。
だが――誰かを守るために剣を振るうこと。
その道の先にあるのかもしれない。
こうしてビルセイヤはまた一つ、大きな功績を積み上げた。
英雄への道。
その一歩は、確かに前へ進んでいた。
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第一章 第三十話
暴走する王
――続く。




