第三話 初めての依頼
翌朝。
冒険者ギルド併設の宿泊所で目を覚ましたビルセイヤは、しばらく天井を見つめていた。
「……夢じゃないんだよな」
昨日の出来事を思い返す。
工房。
謎の魔法陣。
異世界ラグナディア。
そして、セシリアとの出会い。
どれも現実味がない。
だが、こうして見知らぬ部屋のベッドで目を覚ましている以上、夢ではないのだろう。
異世界での二日目が始まったのだ。
ビルセイヤはベッドから起き上がり、大きく伸びをした。
剣道の稽古で鍛えた身体に、疲労はほとんど残っていない。
「まずは借金返済だな」
思わず苦笑する。
街の入場料。
冒険者登録料。
そして宿代。
すべてセシリアに立て替えてもらっている。
異世界に来て早々、借金生活。
世界を救う可能性があると言われた男にしては、あまりにも情けない始まりだった。
◇◇◇
身支度を整え、ギルド食堂へ向かうと、すでにセシリアが席についていた。
「おはようございます、ビルセイヤさん」
「おはよう」
朝から元気そうな彼女の前には、二人分の朝食が並んでいた。
白パン。
野菜のスープ。
焼き卵。
小さなソーセージ。
豪華ではないが、湯気の立つ料理は十分に美味しそうだった。
「もしかして、これも……」
「はい。立て替えておきました」
「借金が増えたな」
「三件目です」
「……早く稼ごう」
ビルセイヤが真顔で言うと、セシリアは小さく笑った。
二人は向かい合って朝食を取り始める。
異世界の料理ということで少し警戒していたが、味は普通に美味しい。
素朴だが、野菜の甘みが出たスープは体に染みた。
「美味いな」
「ギルドの食堂は評判がいいんですよ。冒険者は体が資本ですから」
「なるほど。飯がまずいと、仕事前にやる気をなくすもんな」
「ですね」
セシリアは嬉しそうに頷いた。
彼女は本当に、この街とギルドが好きなのだろう。
その表情を見ていると、ビルセイヤも少しだけこの場所に馴染めた気がした。
◇◇◇
朝食を終えた二人は、受付へ向かった。
「薬草採取依頼ですね」
受付嬢が依頼書を確認する。
「はい」
「採取場所は、シーサス東側のフォレスト草原になります。薬草十本の納品で達成。報酬は銅板五枚です」
銅板五枚。
昨日から積み重なった借金を考えれば、決して多い金額ではない。
だが、今のビルセイヤにはありがたい初収入になる。
「魔物は出るのか?」
「街の近くなので危険度は低めです。ただし、スライムやゴブリンが出ることはあります。油断は禁物ですよ」
「分かった」
「では、気を付けて行ってらっしゃいませ」
受付嬢に見送られ、ビルセイヤとセシリアは街を出た。
◇◇◇
シーサスの東側には、フォレスト草原と呼ばれる緑豊かな平原が広がっていた。
心地よい風が草を揺らし、遠くには深い森が見える。
鳥の鳴き声も聞こえ、景色だけを見ればのどかな場所だった。
「ここならピクニックもできそうだな」
「魔物が出なければ、ですけどね」
セシリアが苦笑する。
確かに、ここは異世界だ。
平和そうに見えても、危険はすぐ近くにある。
「薬草はどこにあるんだ?」
「この辺りにも生えていますよ」
セシリアはしゃがみ込み、足元の草を指差した。
ビルセイヤも覗き込む。
「……雑草にしか見えないな」
「初心者あるあるです」
セシリアは一本の草を摘み取った。
「葉の形を見てください。十字に広がっているでしょう?」
言われて観察すると、確かに普通の草とは少し違っていた。
丸みのある葉が四方に広がり、茎の根元には薄い青色の筋が入っている。
「これが薬草です」
「なるほど。知らなかったら絶対に見逃すな」
「冒険者は戦うだけじゃありません。こういう知識も大切なんです」
「勉強になる」
ビルセイヤは素直に頷いた。
魔物を倒せるだけでは冒険者として半人前。
採取、地形、魔物の習性、依頼の判断。
この世界で生きるには、覚えることが山ほどありそうだった。
◇◇◇
二人は薬草を探しながら、草原をゆっくり歩いた。
最初はまったく見つけられなかったが、目が慣れてくると少しずつ区別できるようになってくる。
「これは薬草か?」
「正解です」
「じゃあ、こっちは?」
「それはただの草ですね」
「難しいな」
「慣れればすぐ分かりますよ」
そんなやり取りをしながら、ビルセイヤは薬草を摘んでいく。
気づけば、少し夢中になっていた。
まるで宝探しをしているような感覚だ。
一時間ほど経った頃には、八本の薬草が集まっていた。
「あと二本だな」
「順調です。初めてにしてはかなり早いですよ」
「先生がいいからな」
「そ、そうですか?」
セシリアが少し照れたように視線を逸らす。
その反応に、ビルセイヤは思わず笑いそうになった。
その時だった。
ガサッ。
近くの草むらが揺れた。
二人は同時に動きを止める。
セシリアの手が、腰の剣へ伸びた。
「……何かいます」
次の瞬間、草むらから半透明の青い魔物が飛び出してきた。
丸く、ぷるぷると震える身体。
中心には小さな核のようなものが見える。
「スライムか」
ゲームや小説では何度も見たことがある。
だが、本物を見るのは初めてだった。
「初級モンスターです」
「強いのか?」
「弱いです」
即答だった。
だが、魔物は魔物だ。
油断するつもりはない。
スライムが地面を跳ねた。
そのまま、ビルセイヤへ向かって飛びかかってくる。
「ふっ!」
ビルセイヤは反射的に木の枝を振るった。
剣道で何万回も繰り返してきた打ち込み。
狙うのは中心。
スライムの身体が地面へ叩きつけられる。
すぐに追撃。
二撃目を正確に核へ叩き込む。
パキンッ。
小さな音を立てて、核が砕けた。
次の瞬間、スライムの身体は淡い光となって消えていく。
「……終わったか」
「すごいです」
セシリアが驚いたように目を見開いていた。
「初めてスライムと戦ったとは思えません」
「そうなのか?」
「普通はもっと慌てます。ぬるっとしてますし、動きも不規則ですから」
「確かに変な感触だったな」
ビルセイヤは手にした木の枝を見る。
刀でも竹刀でもない。
だが、体に染みついた剣の動きは、この世界でも通用している。
それは少しだけ、心強かった。
◇◇◇
その後、二人は無事に薬草を十本集め終えた。
太陽は高く昇り、気づけば昼を少し回っている。
「これで依頼達成ですね」
「ああ。思ったより順調だったな」
「薬草採取ですから。これが冒険者の第一歩です」
「なるほどな」
ビルセイヤは布袋に入れた薬草を見る。
たった十本の薬草。
報酬は銅板五枚。
けれど今の彼にとっては、初めて自分の力で得る報酬だ。
それは、思っていた以上に悪くない感覚だった。
二人は街へ戻るため、草原を歩き出した。
◇◇◇
帰り道。
森の方角から、突然悲鳴が響いた。
「助けてくれぇぇぇっ!」
男の叫び声だった。
しかも一人ではない。
複数の声が、恐怖に震えながら助けを求めている。
ビルセイヤの表情が変わった。
「セシリア」
「ええ」
言葉は、それだけで十分だった。
二人は同時に駆け出した。
草を蹴り、風を切り、森の入口へ向かう。
そして、そこで見た。
横倒しになった荷馬車。
散らばった木箱。
倒れている商人たち。
必死に逃げ惑う護衛。
そして――五匹のゴブリン。
「ギギギギッ!」
「ギャアッ!」
昨日出会ったゴブリンよりも数が多い。
しかも、護衛たちはすでに戦意を失いかけていた。
「まずいですね……」
セシリアが険しい表情を浮かべる。
昨日は三匹。
今日は五匹。
数が違う。状況も違う。
誰かを守りながら戦う必要がある。
だが、ビルセイヤは一歩前へ出た。
腰に剣はない。
手にしているのは、拾った木の枝だけ。
それでも迷いはなかった。
困っている人がいる。
助けを求める声がある。
ならば、動く理由はそれだけで十分だ。
ビルセイヤは木の枝を握り直し、正眼に構えた。
「セシリア」
「はい!」
セシリアも剣を抜く。
草原に、冷たい緊張が走った。
異世界で初めて受けた依頼。
その帰り道で、ビルセイヤは初めて本格的な実戦へ身を投じることになる。
薬草採取だけで終わるはずだった一日は、思わぬ形で新たな戦いへと変わっていった。
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第一章 第三話
初めての依頼
――続く。




