第二話 冒険者ギルド
ゴブリンとの戦いを終えたあと、ビルセイヤはセシリアの案内で街道を歩いていた。
夕日に染まる草原を、柔らかな風が吹き抜けていく。
異世界へ来てから、まだ数時間しか経っていない。
それなのに、今日一日だけで人生が丸ごと変わってしまったような気がした。
工房で刀を打っていたはずが、気がつけば見知らぬ草原に立っていた。
そして初めて出会った少女を助け、今はその少女に街まで案内してもらっている。
あまりにも現実離れした状況に、ビルセイヤは小さく息を吐いた。
「本当に助かりました」
隣を歩くセシリアが、改めて頭を下げる。
「それ、さっきも聞いたぞ」
「でも、何度言っても足りません。あのままだったら、本当に危なかったですから」
そう言って、セシリアは柔らかく微笑んだ。
夕日に照らされた金色の髪。
澄んだ蒼い瞳。
整った顔立ちは、間違いなく美少女と言っていい。
だが、本人はまるで自覚していないようだった。
「ビルセイヤさんは強いんですね」
「そうか?」
「そうですよ。ゴブリン三匹を、あっという間に倒していましたし」
「たまたまだ」
「木の枝で、ですか?」
「……まあ、そうだな」
ビルセイヤは苦笑する。
剣道で鍛えてきた体の使い方が、この世界でも通用した。
それは確かだった。
だが、木の枝で魔物を倒したと言われると、自分でも少し現実味がない。
「それより、街はもう近いのか?」
「はい。ほら、見えてきました」
セシリアが前方を指差す。
視線の先に、巨大な石造りの城壁が見えた。
「おぉ……」
ビルセイヤは思わず感嘆の声を漏らした。
高くそびえる城壁。
門の上に立つ兵士。
外からでも伝わる、人々の活気。
まるで、物語の中に入り込んだような光景だった。
「あれが辺境伯領の海辺街、シーサスです」
「シーサス……」
この世界で、最初に訪れる街。
そう思うと、ビルセイヤの胸が少しだけ高鳴った。
◇◇◇
門へ近づくと、兵士が二人に声をかけてきた。
「止まれ。身分証を提示しろ」
セシリアは慣れた様子で、首から下げていた金属製のカードを見せた。
「冒険者ギルドカードです」
「確認した。通っていい」
兵士は頷き、今度はビルセイヤへ視線を向ける。
「お前は?」
「持ってない」
「初めてか?」
「ああ」
「なら入場料だ。銅板二枚」
ビルセイヤは固まった。
当然だが、この世界の金など持っていない。
異世界に来たばかりなのだから、通貨どころか相場すら分からない。
「えっと……」
「仕方ありませんね」
横から、セシリアが銅板を二枚取り出した。
「私が払います」
「助かる」
「貸しですよ?」
「返す。必ず」
「ちゃんと覚えておいてくださいね」
少し呆れたような顔をしながらも、セシリアの目はどこか楽しそうだった。
こうしてビルセイヤは、異世界で最初の借金を背負うことになった。
◇◇◇
街へ入った瞬間、ビルセイヤは目を見開いた。
「すごいな……」
シーサスの街は、夕暮れ時だというのに活気に満ちていた。
魚を売る商人。
野菜を並べる農家。
荷車を引く商人。
武器を背負った冒険者。
人々が忙しそうに行き交い、通りには明るい声が飛び交っている。
潮の香りが風に乗って流れてきた。
どうやら本当に海が近いらしい。
「海辺の街なんだな」
「はい。南側に漁港があります。お魚料理も美味しいですよ」
「それは楽しみだ」
そう答えた直後。
香ばしい匂いが、ビルセイヤの鼻をくすぐった。
屋台だった。
串に刺された肉が炙られ、じゅうじゅうと脂を落としている。
香辛料の匂いが混じったその香りは、空腹にはあまりにも強烈だった。
そして――。
ぐぅぅぅぅぅ。
盛大に腹が鳴った。
「…………」
「…………」
セシリアがビルセイヤを見る。
「聞かなかったことにしてくれ」
「無理です」
彼女は小さく吹き出した。
「まずは冒険者ギルドへ行きましょう」
「やっぱりそれが一番か」
「はい。仕事も住む場所も、お金もないんですよね?」
「改めて言われるとつらいな」
今のビルセイヤは、住所不定、無職、無一文である。
世界を救う可能性を持つ者として選ばれたらしいが、現状は屋台の串焼き一本すら買えない。
「冒険者になれば仕事ができます。ギルドカードは身分証にもなりますし、宿を借りる時にも便利です」
「なるほど。なら登録しない理由はないな」
「はい。行きましょう」
こうして二人は、冒険者ギルドへ向かった。
◇◇◇
しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。
入口の上には、剣と盾を組み合わせた紋章が掲げられている。
「ここが冒険者ギルドです」
「おぉ……」
ビルセイヤは思わず感動した。
小説やゲームでは何度も見た場所だ。
だが、実際に自分がその扉をくぐる日が来るとは思わなかった。
扉を開ける。
途端に、賑やかな空気が押し寄せてきた。
酒の匂い。
肉料理の匂い。
笑い声。
怒鳴り声。
椅子が軋む音。
広いホールには、様々な冒険者が集まっていた。
屈強な戦士。
ローブ姿の魔法使い。
弓を背負ったエルフ。
槍を持つ獣人。
種族も装備もばらばらだが、誰もが場慣れした空気をまとっている。
「新人か?」
「細いな」
「三日持てばいい方だな」
好き勝手な声が聞こえてくる。
だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。
むしろ冒険者ギルドらしくて、少し胸が躍った。
「受付へ行きましょう」
「ああ」
二人はカウンターへ向かった。
◇◇◇
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付嬢が笑顔で迎えてくれる。
「冒険者登録をしたい」
「かしこまりました。では、こちらの登録用紙にご記入ください」
差し出された用紙に、ビルセイヤは名前を書く。
そして受付嬢は、にこやかに告げた。
「登録料は銀貨一枚になります」
「…………」
ビルセイヤは静かに固まった。
また金だった。
持っていない。
知っていた。
「貸します」
すぐ横から、セシリアが銀貨を差し出した。
「……また借金か」
「二件目です」
「返す。絶対に返す」
「期待しています」
受付嬢は微笑ましそうに二人を見ながら、手続きを進めていく。
「お名前はビルセイヤ様。年齢は二十五歳。初回登録ですので、ランクはFからの開始となります」
数分後。
一枚の金属製カードが差し出された。
「おめでとうございます。本日よりビルセイヤ様はFランク冒険者です」
ビルセイヤはカードを受け取った。
手のひらに収まる金属製のカード。
表面には名前とランク、そしてギルドの紋章が刻まれている。
ただの金属板のはずなのに、不思議と重く感じた。
これは、この世界での身分証。
そして、冒険者として生きる証。
異世界での人生が、本当に始まったのだと実感した。
「これでビルセイヤさんも冒険者ですね」
セシリアが嬉しそうに微笑む。
「ああ。まだFランクだけどな」
「誰でも最初はFランクです」
「なら、ここから上がっていけばいいか」
「はい」
小さなやり取りだった。
だがビルセイヤにとっては、この世界で初めて足場を得たような気がした。
◇◇◇
「さて、初仕事ですね」
セシリアが依頼掲示板を指差した。
そこには、数え切れないほどの依頼書が貼られている。
薬草採取。
木材運搬。
スライム討伐。
ゴブリン討伐。
商人護衛。
様々な依頼が並んでいた。
「Fランク冒険者なら、まずはこれがおすすめです」
セシリアが一枚の依頼書を取り外す。
「薬草採取?」
「はい。Fランクの定番依頼です。危険も少ないですし、街の近くで採れます」
依頼達成で銅板五枚。
決して高額ではない。
だが、今のビルセイヤにとっては十分だった。
入場料で銅板二枚。
登録料で銀貨一枚。
まずは借金返済から始めなければならない。
世界を救う英雄。
後に創造神と呼ばれる存在。
そんな未来が本当に待っているのだとしても、今のビルセイヤはただのFランク冒険者だ。
そして、その最初の一歩は薬草採取から始まる。
そう考えると、少し笑えてきた。
「よし」
ビルセイヤは依頼書を握り締めた。
「まずは稼ぐか」
「はい。頑張りましょう、ビルセイヤさん」
こうして、異世界生活最初の依頼が始まる。
まだ誰も知らない。
この無一文の新米冒険者が、やがて世界を救う英雄となり、神々の頂へ至る存在になることを。
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第一章 第二話
冒険者ギルド
――続く。




