第一話 異世界へ――刀鍛冶と剣士の始まり
赤々と燃える炉。
その前で、一人の青年が無心に槌を振るっている。
カンッ。
カンッ。
カンッ――。
鋼を打つ澄んだ音が工房に響き、散った火花が夜の闇を一瞬だけ照らした。
青年の名は、ビルセイヤ。
二十代半ばの刀鍛冶見習いであり、同時に剣道師範代の腕を持つ剣士でもある。
幼い頃から、彼は刃に魅せられてきた。
ただ人を斬るための剣ではない。
誰かを守るために振るわれる剣。
持ち主の命を預かり、想いを背負う一本を、自分の手で打ちたかった。
それが、ビルセイヤの夢だった。
「……よし」
最後の一打を終え、彼はゆっくりと槌を下ろした。
鍛え上げた刀身を火の明かりにかざす。
まだ未完成ではあるが、真っ直ぐに伸びたその姿には、確かな手応えがあった。
「悪くないな。あとは仕上げを――」
その瞬間だった。
工房の床に、見たこともない紋様が浮かび上がった。
「……は?」
眩い光が、足元から一気に広がる。
幾重にも重なった魔法陣。複雑怪奇な文字列。肌が粟立つほど濃密な力の奔流。
明らかに、普通ではない。
「なんだこれ――っ!」
反射的に距離を取ろうとしたが、遅かった。
魔法陣が閃光を放ち、視界を白く塗り潰す。
次の瞬間、彼の意識は光の中へ呑み込まれていた。
◇◇◇
「…………っ」
頬を撫でる風に、ビルセイヤはゆっくりと目を開けた。
目に映ったのは、見慣れた工房の天井ではない。
どこまでも広がる青空。
流れる白い雲。
そして、地平線の彼方まで続く大草原だった。
「……どこだ、ここ」
体を起こし、周囲を見回す。
工房はない。炉も槌も、打ちかけの刀すら消えていた。
代わりにあるのは、草の匂いと、風の音だけ。
「夢……じゃないよな」
試しに頬をつねる。しっかり痛い。
どうやら現実らしい。
「勘弁してくれ……」
額を押さえた、その時だった。
不意に、頭の中へ直接声が響いた。
『異世界ラグナディアへようこそ』
「っ!?」
ビルセイヤは勢いよく振り返る。
だが、そこには誰もいない。
「誰だ!?」
『私はこの世界の意思。貴方をこの地へ招いた者です』
「世界の……意思?」
意味がわからない。
そもそも、異世界という単語からして現実味がなさすぎる。
『貴方は、この世界に迫る危機を退ける可能性を持つ者として選ばれました』
「いや、待て待て待て」
ビルセイヤは思わず手を突き出した。
「異世界? 世界の危機? 選ばれた? 情報が雑すぎるだろ。もっと順を追って説明してくれ」
『説明は以上です』
「以上なのかよ!?」
『健闘を祈ります』
「せめて帰る方法くらい――おい!」
返事はなかった。
頭の中から気配が消え、草原には風の音だけが残る。
「……ひどすぎるだろ」
世界の命運を背負わせるにしては、あまりにも丸投げだった。
とはいえ、ここで文句を言っていても何も始まらない。
まずは状況確認。そして人里を探す。それが先だ。
「……とりあえず歩くか」
ビルセイヤは深く息を吐くと、草原の先へ向かって歩き出した。
◇◇◇
一時間ほど歩いただろうか。
太陽は少しずつ傾き始め、風にも夕方の匂いが混じってきた頃だった。
「助けてぇぇぇぇっ!!」
鋭い悲鳴が、草原に響いた。
女の声だ。
ビルセイヤは弾かれたように顔を上げる。
「……っ!」
考えるより先に、足が動いていた。
剣道で鍛えた脚力が地面を蹴る。
草を踏み分け、丘を駆け上がり、その先の光景を目にした瞬間、彼は息を呑んだ。
三匹のゴブリンが、一人の少女を追い回していた。
少女は金色の長い髪を揺らし、革鎧をまとったまま必死に駆けている。
だが足取りは乱れ、今にも転びそうだった。
「ギギギッ!」
「ギャアッ!」
棍棒を振りかざしたゴブリンが、少女へ飛びかかる。
間に合わない。
そう判断した瞬間、ビルセイヤは足元に落ちていた太めの木の枝を拾い上げていた。
握った瞬間、不思議なくらいしっくりきた。
刀でも竹刀でもない。だが、振るうべき形は体が覚えている。
腰を落とし、呼吸を整え、一気に踏み込む。
「――面ッ!!」
バキィッ!!
乾いた破砕音が響いた。
先頭を走っていたゴブリンの頭部が、真横へ吹き飛ぶ。
木の枝とは思えない一撃に、残る二匹の動きが止まった。
「ギ、ギャ……!?」
その隙を、ビルセイヤは逃さない。
一歩。
二歩。
最短の歩幅で間合いへ潜り込む。
「ふっ!」
鋭く振り抜いた一撃が、二匹目の胴を打ち抜く。
骨の砕ける感触とともにゴブリンが吹き飛び、地面を転がった。
さらに返す動作で枝を横薙ぎに振るう。
三匹目が棍棒を持ち上げるより早く、そのこめかみに叩き込まれた一撃が意識を刈り取った。
どさり、とゴブリンが崩れ落ちる。
決着まで、三十秒もかからなかった。
「……大丈夫か?」
木の枝を下ろし、ビルセイヤは少女に声をかける。
少女はその場にへたり込み、呆然と彼を見上げていた。
長い金髪の間から覗く蒼い瞳が、夕日を受けて宝石のように揺れている。
「あ……は、はい……」
震える声で答えたあと、少女ははっとしたように姿勢を正した。
「た、助けていただいて……ありがとうございました!」
深々と頭を下げる。
礼儀正しい子だな、とビルセイヤは少しだけ肩の力を抜いた。
「気にしなくていい。怪我は?」
「少し転んだだけです。大丈夫です」
「そうか。ならよかった」
ビルセイヤが手を差し出すと、少女はおずおずとその手を取って立ち上がった。
近くで見ると、年は自分とそう離れていないように見える。
整った顔立ちに、華奢な体つき。だが腰の剣や革鎧の傷み具合からして、見た目より場数は踏んでいそうだった。
「俺はビルセイヤ。……ちょっと事情があって、この辺りのことが全然わからない」
少女はぱちりと目を瞬かせる。
「ビルセイヤさん……ですか」
そして、柔らかく微笑んだ。
「私はセシリアといいます。冒険者です」
その笑顔を見た瞬間、胸の奥がわずかに温かくなった。
異世界に放り込まれたばかりで、不安しかなかった心が、少しだけ軽くなる。
「冒険者か。じゃあ、さっきのあれは依頼の途中だったのか?」
「い、いえ……薬草採取の帰りだったんですが、油断してゴブリンの縄張りに入ってしまって……」
「なるほど」
どうやら本当に、この世界のことを一から教えてもらう必要がありそうだ。
空を見上げれば、夕日はもうだいぶ傾いている。
夜になる前に、まずは安全な場所へ向かった方がいいだろう。
そう考えたのは、セシリアも同じだったらしい。
「近くに街があります。よかったら、私が案内します」
「本当か? 助かる」
ビルセイヤがそう言うと、セシリアはほっとしたように笑った。
異世界へ突然放り込まれた刀鍛冶の青年。
ゴブリンに襲われていた一人の少女冒険者。
二人の出会いは、きっとまだ小さな偶然に過ぎない。
けれどその一歩は、やがて数多の出会いと戦いを経て、世界の運命へと繋がっていくことになる。
――これは、後に英雄と語られる刀鍛冶の剣士ビルセイヤと、彼を支える仲間たちの物語の始まり。
そして同時に、ビルセイヤとセシリアが初めて並んで歩き出す、記念すべき最初の一歩でもあった。
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第一章 第1話
異世界へ――刀鍛冶と剣士の始まり
――続く。
初めてのなろう小説の投稿になります。
これからよろしくお願いします。




