第二百十話 山を斬らず、呪いを断つ
『グォォォォォォォォ!!』
山の王――ガイアロードの咆哮が峡谷を震わせた。
岩壁が軋み、無数の小石が降り注ぐ。
巨大な前脚が持ち上がった。
それだけで頭上から陽光が遮られる。
「ビルセイヤ!」
セシリアの声。
「分かってる!」
ビルセイヤは止まらない。
むしろ――さらに加速した。
ガイアロードの前脚が振り下ろされる。
――ドゴォォォォォン!!
大地が爆ぜた。
土砂と岩石が四方へ吹き飛ぶ。
「きゃあっ!」
「リシア!」
セシリアが即座にリシアの前へ飛び出した。
大盾を構える。
「――聖盾!」
淡い光が盾を覆った。
飛来した岩石が次々と盾へ激突する。
ガンッ!
ガガガガッ!
「くっ……!」
衝撃でセシリアの足が地面へ食い込む。
「セシリア!」
「こっちは大丈夫!」
「ビルセイヤはガイアロードを!」
「ああ!」
土煙の中。
ビルセイヤは走っていた。
ガイアロードの前脚。
そこには三つの黒い結晶が突き刺さっている。
(まずは、あれだ!)
白枝を構える。
ただ斬ればいいわけではない。
結晶の下にはガイアロード自身の身体がある。
深く斬り込めば傷つけてしまう。
必要なのは――。
黒い結晶だけを断つ精密な一撃。
「――ふっ!」
踏み込む。
身体を回転させる。
そして。
キィン!
一閃。
黒い結晶の先端だけが弾け飛んだ。
「浅い!」
ビルセイヤは舌打ちする。
硬い。
先ほどの岩精霊に埋め込まれていたものとは比べものにならない。
「ビルセイヤ!」
ツバサが駆けてくる。
「一人で全部やろうとするな!」
「ツバサ!」
「左は任せろ!」
ツバサがガイアロードの反対側へ回り込む。
巨大な脚を駆け上がり――。
「はああっ!」
剣を振り抜いた。
ガキィィン!
「っつ……硬っ!」
手が痺れる。
だが。
ピシッ。
黒い結晶に小さな亀裂が入った。
「効いてる!」
「なら、もう一度だ!」
ツバサが再び剣を構える。
その時。
『グ……ォォォ!』
ガイアロードが苦しげに身体を揺らした。
「まずい!」
ビルセイヤが叫ぶ。
「ツバサ、離れろ!」
「っ!」
二人が同時に飛び退く。
直後。
地面から無数の岩槍が突き出した。
ドドドドドドドッ!!
「地面そのものが武器かよ!」
ツバサが岩槍を避けながら叫ぶ。
「本人の意思じゃありません!」
フィリアが杖を掲げる。
「黒い結晶から魔力が流れています!」
彼女の周囲へ冷気が集まる。
「なら――流れを止めます!」
杖を振り下ろす。
「――氷結牢!」
ガイアロードの右前脚が一瞬で氷に覆われた。
完全には止められない。
しかし。
『グォッ!?』
動きが鈍る。
「今です!」
「エミリア!」
「はい!」
エミリアが弓を引き絞る。
その矢を淡い緑色の光が包む。
「風の精霊さん!」
『まかせて!』
小さな風精霊たちが矢の周囲へ集まった。
「狙うのは黒い結晶だけ!」
弦が鳴る。
――ヒュン!
矢は風をまとい、一直線に飛ぶ。
ガキィィィン!
ツバサが傷をつけた結晶へ命中。
亀裂が一気に広がった。
「ビルセイヤ!」
「ああ!」
ビルセイヤは地面を蹴った。
身体が低く沈む。
意識を研ぎ澄ます。
見るのは敵ではない。
救うべき命。
そして――。
断つべき穢れ。
「飛天御剣流――」
白枝が煌めく。
「龍翔閃!」
下方から跳ね上がる斬撃。
刃はガイアロードの身体へ触れることなく、黒い結晶だけを正確に捉えた。
――パキィィィン!!
砕け散る。
黒い霧が一瞬だけ噴き出し――消滅した。
『グ……ォ……』
ガイアロードの身体が大きく震える。
そして。
右前脚を覆っていた黒い筋が、少しずつ薄くなっていった。
「成功した!」
セシリアが叫ぶ。
『……イタ……ク……ナイ……』
ガイアロードの声。
ビルセイヤが顔を上げる。
『ワレ……ヲ……キラ……ナイ……?』
「ああ」
ビルセイヤは答えた。
「お前を斬る理由がない」
『ナゼ……』
「お前は敵じゃないからだ」
ガイアロードの赤黒い瞳が僅かに揺れる。
「お前はずっと、この大地を守ってきたんだろ?」
『……』
「山が崩れれば直した」
「川が枯れれば、新しい流れを作った」
「森が弱れば、大地の力を分け与えた」
肩の後ろに隠れていた小さな土精霊が顔を出す。
『ガイアロード様……』
『……チイサキ……モノ……』
『たすけてもらった』
土精霊は嬉しそうにビルセイヤを指差した。
『このひと……やさしい』
「おい」
ビルセイヤは少し困ったように笑う。
「そういうのは恥ずかしいからやめてくれ」
「今さらでしょう?」
セシリアが笑う。
「そうですね」
エミリアも微笑んだ。
「ビルセイヤさんらしいです」
「まったくだな」
ツバサも肩をすくめる。
ほんの一瞬。
戦場に穏やかな空気が戻った。
だが――。
フィリアだけは笑っていなかった。
「皆さん!」
地脈探知杖が激しく明滅している。
「離れてください!」
次の瞬間。
ガイアロードの背中に突き刺さっていた無数の黒い結晶が、一斉に赤黒く輝いた。
『グッ……!?』
ガイアロードが苦しげに身体を反らす。
『グォォォォォォ!!』
「何だ!?」
ツバサが身構える。
黒い霧がガイアロードの背中から噴き上がる。
そして霧の中から――。
『……余計な真似を』
声。
「!」
ビルセイヤは白枝を構え直した。
聞き覚えがある。
不快なほど冷たい声。
黒い霧が集まり、人の顔のような形を作る。
『蒼天霊樹だけでは飽き足らず……ここまで我らの邪魔をするか』
「蛇の牙……!」
セシリアが叫ぶ。
黒い顔が歪んだ笑みを浮かべる。
『飛天御剣流の継承者――ビルセイヤ』
「俺の名前を知っているのか」
『当然だ』
『ヴェノム様より、貴様については聞いている』
ビルセイヤの目が細くなる。
「ヴェノム……」
やはり。
この地の異変にも、蛇の牙が関わっている。
『山の王は我らのものだ』
『大地の力も』
『地霊樹も』
『そして――その根の下に眠るものもな』
「根の下?」
フィリアが反応する。
「何を眠らせているのです!」
『知る必要はない』
黒い顔が笑う。
『どうせ貴様らは――ここで山の王に潰される』
瞬間。
すべての黒い結晶が強烈な光を放った。
『グォォォォォォォォォ!!』
「ガイアロード!」
ガイアロードの瞳から、僅かに戻っていた理性の光が消える。
両前脚が大地へ叩きつけられた。
――ドゴォォォォォォン!!
「うわっ!」
大地が隆起する。
巨大な岩壁が次々と地面から生まれ、ビルセイヤたちを分断していく。
「ビルセイヤ!」
「セシリア!」
岩壁が二人の間へせり上がった。
「エミリア! フィリア!」
「こちらは大丈夫です!」
遠くからエミリアの声。
「ツバサ!」
「生きてる!」
「リシアは!?」
「私と一緒です!」
セシリアの声が返る。
全員無事。
だが――。
完全に分断された。
そしてビルセイヤの正面には。
赤黒い瞳を輝かせるガイアロード。
背中には、まだ数え切れないほどの黒い結晶。
『コロ……セ……』
苦しげな声。
『ワレ……ヲ……』
『コロ……シテ……クレ……』
ビルセイヤは黙って白枝を握る。
「断る」
『……』
「そんな頼みだけは聞けない」
一歩。
ガイアロードへ近づく。
「苦しいなら助ける」
「操られているなら解放する」
「それだけだ」
刀を構える。
脳裏に浮かぶのは、師より受け継いだ飛天御剣流。
そしてアークレイドが遺した理念。
民衆を守るための剣。
何者にも縛られず。
権力のためでも。
殺戮のためでもなく。
ただ、目の前の命を守る。
「命を救うために剣を振るう」
「それが――」
ビルセイヤの身体から静かな闘気が立ち昇った。
「俺の飛天御剣流だ」
山を斬る必要はない。
断つべきものは、ただ一つ。
山の王を縛る――黒き呪い。
そしてその先。
地霊樹の根元では。
一人の黒衣の男が、巨大な祭壇の前に立っていた。
「……予定より早いな」
祭壇には蛇を模した紋章。
その中央で、巨大な黒い結晶が脈打っている。
ドクン。
ドクン。
男は静かに笑った。
「まあいい」
「山の王が時間を稼いでいる間に――」
視線を足元へ向ける。
地面の遥か下。
何かが。
ゆっくりと。
目覚めようとしていた。
「第二の封印を破らせてもらおう」
地霊樹を巡る戦い。
その裏側で。
神代から封じられていた新たな脅威が、静かに胎動を始めていた。




