第二百九話 狂える山の王
小さな土精霊に導かれ、ビルセイヤたちは神代の道をさらに北西へ進んでいた。
『こっち……』
ふわふわと宙を漂う土精霊が、短い腕を伸ばす。
その先には、巨大な岩壁。
「……行き止まり?」
セシリアが首を傾げる。
「いや」
ビルセイヤは岩壁へ近づいた。
目を凝らしてみれば、表面には薄く古代文字が刻まれている。
そしてフィリアが持つ《地脈探知杖》も、先ほどから強い光を放っていた。
「ここにも結界があります」
フィリアが杖を掲げる。
「地脈と連動しているようですね」
すると小さな土精霊が岩壁へ近づき、ぺたりと両手を触れた。
『おねがい……』
ゴゴゴゴゴ……。
「動いた!」
ツバサが驚く。
巨大な岩壁が左右へ割れていく。
その向こうに現れたのは――巨大な峡谷だった。
◇◇◇
「これは……」
ビルセイヤは思わず息を呑んだ。
峡谷の底を、黄金色の光が川のように流れている。
水ではない。
「地脈です」
フィリアが呟いた。
「地中を流れていた魔力が、地表へ露出しているんです」
黄金の流れから、小さな光が舞い上がっている。
岩肌には見たこともない鉱石が無数に輝き、ところどころから巨大な結晶柱が伸びていた。
「綺麗……」
リシアが目を輝かせる。
だが。
エミリアだけは険しい表情を浮かべていた。
「……全部が綺麗なわけではありません」
彼女が指差す。
黄金色の地脈。
その一部が――黒い。
「また穢れか」
ツバサの表情から笑みが消える。
黒い筋は地脈へ食い込み、まるで血管を侵食する毒のように広がっていた。
フィリアがしゃがみ込み、地面へ手を触れる。
「かなり深刻です」
「蒼天霊樹の時よりも?」
セシリアが尋ねる。
「……おそらく」
フィリアは苦い表情を浮かべる。
「風は常に動きます。だから穢れが一ヶ所に留まりにくかった」
「ですが、大地は違います」
「地脈へ入り込んだ穢れは、その場所に蓄積し続ける」
ビルセイヤが黒く染まった流れを見る。
「つまり、放っておけば……」
「地霊樹だけではありません」
フィリアは立ち上がった。
「この地脈に繋がる土地すべてが死にます」
空気が重くなった。
畑。
森。
川。
村。
町。
そこに暮らす人々。
大地が死ぬということは、それら全てが失われるということだった。
『地母様……いたいって』
土精霊が悲しそうに呟く。
ビルセイヤは拳を握る。
「急ごう」
◇◇◇
峡谷を進むにつれて、異変はさらに酷くなっていった。
枯れた草木。
砕けた岩。
地面には巨大な足跡が残っている。
「……これ」
セシリアが足跡の横へ立つ。
一つの足跡だけで、彼女の身体がすっぽり入ってしまいそうな大きさだった。
「山の王か」
ツバサが呟く。
『うん……』
土精霊が震える。
『ガイアロード様……』
『ほんとは、やさしい』
『ずっと……みんな守ってた』
エミリアが精霊へ視線を向ける。
「どんな方なのですか?」
『山が崩れたら……なおす』
『川がなくなったら……つくる』
『森が病気になったら……大地の力、わける』
リシアが悲しそうに眉を下げた。
「そんな優しい子が……」
『でも……』
土精霊が震える。
『黒いの、刺された』
ビルセイヤの足が止まる。
「刺された?」
『背中』
『黒い石……いっぱい』
全員の表情が変わった。
先ほど救った岩の精霊。
その胸にも黒い結晶が埋め込まれていた。
「同じ方法か」
ビルセイヤが呟く。
「黒い結晶で精霊や守護獣を操っている」
「おそらく」
フィリアが頷く。
「ですが、ガイアロードほどの存在を操るなら、一つや二つでは足りないでしょう」
土精霊の話と一致する。
背中に、いっぱい。
ならば――。
「全部壊せばいい」
ツバサが剣の柄を叩いた。
「簡単に言うわね」
セシリアが苦笑する。
「相手は山みたいな大きさなのよ?」
「だから面白いんだろ?」
「遊びじゃないの!」
「分かってるって」
いつものやり取り。
だが、そのおかげで張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
ビルセイヤも小さく笑う。
「ツバサの言う通りだ」
「え?」
セシリアが振り返る。
「黒い結晶が原因なら、全部壊す」
「ただし――」
ビルセイヤは白枝へ手を添えた。
「ガイアロード自身には、可能な限り傷をつけない」
セシリアが微笑む。
「やっぱりそうなるわよね」
「当然だ」
命を奪う剣ではない。
命を救う剣。
それが今のビルセイヤの答えだった。
その時。
――ズン。
大地が揺れた。
「……来ます!」
フィリアが叫ぶ。
――ズン。
もう一度。
先ほどより大きい。
岩壁から小石が落ち始める。
――ズン!
「この揺れ……地震じゃない!」
セシリアが盾を構える。
規則的だ。
一定の間隔で近づいてくる。
「足音……」
エミリアの顔から血の気が引く。
ズン!
ズン!
ズン!
小さな土精霊がビルセイヤの肩の後ろへ隠れた。
『ガイアロード様……』
峡谷の奥。
土煙が立ち上る。
巨大な影が、その向こうからゆっくり姿を現した。
「……冗談だろ」
ツバサが呟いた。
巨大。
その一言では足りない。
四本の脚は巨大な岩柱。
背中には土と岩が積み重なり、そこには本物の木々さえ生えている。
頭部から伸びる二本の角は、山頂の岩峰を思わせた。
まさに――。
「山が……歩いてる」
リシアが震える。
ガドルから聞いた《山の王》。
大地の守護獣。
――ガイアロード。
だが、その姿は伝承に語られる神聖な守護者とは程遠かった。
背中。
首。
脚。
無数の黒い結晶が突き刺さっている。
そこから黒い霧が絶え間なく流れ出していた。
『グ……ォォォォ……!』
ガイアロードが苦しげに頭を振る。
そして。
その瞳が開いた。
赤黒い光。
完全に正気を失っている。
『ニ……ゲ……ロ……』
「……!」
ビルセイヤが目を見開いた。
聞こえた。
確かに。
『ニゲ……ロ……』
『ワレ……ガ……』
『コワ……ス……マエ……ニ……』
自我が残っている。
操られながら。
苦しみながら。
それでも――。
自分が人を傷つけることを恐れている。
「……優しい奴じゃないか」
ビルセイヤは静かに呟いた。
「ビルセイヤ?」
「こんな状態でも俺たちを逃がそうとしてる」
白枝を抜く。
だが、その刃をガイアロード自身へ向けることはなかった。
「なら、なおさら放っておけない」
セシリアが盾を構える。
「もちろん」
エミリアが弓へ矢をつがえる。
「精霊さんたちを助けます」
フィリアの周囲に蒼白い魔力が集まる。
「黒い結晶だけを狙いましょう」
ツバサが剣を抜いた。
「山を相手に剣を振るう日が来るとは思わなかったな」
リシアも後方へ下がる。
「皆さん……気をつけて!」
ビルセイヤは一歩前へ出た。
目の前には山そのものに等しい巨体。
普通なら戦うことすら考えない相手。
だが。
倒す必要はない。
救えばいい。
「ガイアロード!」
ビルセイヤは叫んだ。
赤黒い瞳が彼を見る。
「聞こえているか!」
『……』
「少しだけ耐えてくれ」
白枝を正眼に構える。
「俺たちが――」
地面を蹴る。
「お前を助ける!」
『グォォォォォォォォ!!』
山の王の咆哮が、ガイア山脈全体を震わせた。
巨大な前脚が持ち上がる。
ビルセイヤは真正面から駆ける。
命を奪うためではない。
命を救うために。
今――。
飛天御剣流と神代の守護獣との戦いが始まった。




