第二百八話 泣いている大地
地脈探知杖が示した、神代の隠し道。
ビルセイヤたちが古びた石畳を進み始めてから、すでに一時間ほどが経過していた。
「…………」
誰も、ほとんど口を開かない。
いや。
自然と、言葉が少なくなっていた。
周囲の景色が、明らかに普通ではなかったからだ。
天を覆うほど巨大な木々。
苔に覆われた岩。
道の左右には、ところどころ崩れてはいるものの、何千年も前に作られたと思われる石柱が並んでいる。
その表面には見覚えのない古代文字が刻まれていた。
「……すごいですね」
エミリアが小さく呟いた。
「これだけ古い場所なのに、精霊の力が残っています」
「神代の道だからでしょう」
フィリアが地脈探知杖を見つめながら答える。
先端に埋め込まれた琥珀色の石は、一定の間隔で明滅していた。
光る。
消える。
また光る。
まるで――。
「鼓動みたいだな」
ビルセイヤの言葉に、フィリアが頷いた。
「おそらく、地脈そのものと共鳴しているのでしょう」
「この道は単なる街道ではありません」
「地霊樹へ魔力を運ぶ地脈の上に造られています」
「つまり、この下には……」
ツバサが足元を見る。
「世界を流れる魔力があるってことか」
「はい」
フィリアは答えた。
「大地を巡り、草木を育て、水を生み、命を支える力です」
セシリアが感心したように周囲を見回す。
「世界って、本当にいろんなものに支えられているのね」
「ああ」
ビルセイヤも静かに頷く。
蒼天霊樹では風。
そして今度は大地。
今まで当たり前だと思っていた自然そのものが、四霊樹によって守られている。
その事実を知るたびに、ビルセイヤは自分たちの使命の重さを実感していた。
だが――。
「止まってください」
突然。
エミリアが足を止めた。
全員が即座に立ち止まる。
「どうした?」
ビルセイヤが尋ねる。
エミリアは答えない。
耳を澄ませるように目を閉じている。
やがて――。
「……聞こえます」
「何が?」
「声です」
エミリアの表情が曇った。
「土の精霊たちが……泣いています」
その言葉と同時だった。
地脈探知杖の光が乱れる。
明滅。
明滅。
明滅。
「これは……!」
フィリアが杖を握り締める。
次の瞬間。
――ズズズズズ……!
「っ!」
大地が揺れた。
「また地震!?」
セシリアがリシアを抱き寄せる。
「皆、足元に気をつけろ!」
ビルセイヤが叫ぶ。
だが。
今回は、今までとは違った。
ミシッ。
石畳に亀裂が走る。
一本。
二本。
そして――。
バキバキバキッ!
「下がれ!」
ビルセイヤが叫んだ直後。
目の前の石畳が大きく割れた。
地面の裂け目から――黒い霧が噴き出す。
「黒い……霧……」
セシリアが目を見開いた。
全員の脳裏に、同じ光景が蘇る。
蒼天霊樹。
風精霊シルフィを蝕んでいた、あの穢れ。
「蛇の牙……!」
ツバサが剣を抜いた。
しかし。
「待て!」
ビルセイヤが制止する。
黒い霧の中で何かが動いた。
ゴゴゴ……。
岩。
いや。
人の形をした巨大な岩だった。
高さは三メートルほど。
全身が岩石で構成され、その隙間から黒い魔力が漏れ出している。
胸の中央には黒い結晶が突き刺さっていた。
「岩石型魔物……!」
セシリアが盾を構える。
「町で聞いた話は、これか!」
ツバサも剣を構えた。
だが。
エミリアだけは違った。
「待ってください!」
「この子……魔物じゃありません!」
「何?」
「精霊です!」
全員が驚く。
「大地の精霊が……無理やり身体を作らされています!」
岩の巨人が腕を振り上げる。
『グ……ォォ……』
苦しそうな声。
敵意というより――悲鳴だった。
『タ……ス……ケ……』
ビルセイヤの目が見開かれる。
「今……」
聞こえた。
確かに。
助けて、と。
その瞬間。
蒼天霊樹での出来事が脳裏をよぎる。
操られた存在。
穢された精霊。
守るべき命。
ビルセイヤは白枝を抜いた。
澄んだ刃が神域の光を反射する。
「ビルセイヤ?」
セシリアが彼を見る。
「倒さない」
静かな声だった。
「助ける」
ツバサが口元を緩める。
「やっぱり、そう言うと思った」
フィリアも杖を構えた。
「黒い結晶が穢れの核になっています」
「ですが、精霊の核とは別です」
「なら――」
ビルセイヤが腰を落とす。
狙うのは命ではない。
胸に埋め込まれた、黒い結晶だけ。
だが岩の精霊は苦しみながらも両腕を振り上げた。
ドゴォォォン!
地面が砕ける。
「速い!」
巨大な身体からは想像できない速度だった。
しかし。
ビルセイヤはすでに踏み込んでいた。
飛天御剣流。
速さとは、ただ敵を斬るためのものではない。
誰かが傷つくより先に。
悲しみが生まれるより先に。
救うために届く力。
「――飛天御剣流」
一歩。
姿が消える。
岩の巨腕を紙一重でかわし、その懐へ。
白枝を返す。
狙う場所はただ一つ。
「――龍翔閃!」
閃光。
ガキィィィン!!
刀身が黒い結晶だけを正確に捉えた。
亀裂が走る。
「今だ、フィリア!」
「はい!」
フィリアが杖を掲げる。
「氷よ――穢れだけを封じなさい!」
蒼白い冷気が黒い結晶を包み込む。
「エミリア!」
「精霊さん!」
エミリアも両手を伸ばす。
「戻ってきて!」
周囲の精霊たちが一斉に輝いた。
風。
草木。
そして小さな土の精霊。
無数の光が岩の巨人へ集まる。
そして――。
パキィン!
黒い結晶が砕けた。
『オ……ォ……』
巨体が崩れる。
「ビルセイヤ!」
「大丈夫だ!」
ビルセイヤは白枝を鞘へ戻した。
岩が次々と地面へ落ちていく。
しかし、その中央から小さな光が浮かび上がった。
掌ほどの、小さな茶色い精霊。
丸い身体。
短い手足。
その身体には、まだ僅かに黒い染みが残っていた。
『……ありがとう』
小さな声だった。
エミリアがそっと手を差し出す。
「もう大丈夫ですよ」
精霊はエミリアの掌へ降り立った。
そして。
『地母様が……』
「地母様?」
フィリアの表情が変わる。
精霊は震えながら北西を指差した。
『地母様が……泣いてる』
『黒い人たちが……根っこに……』
ビルセイヤたちの表情が一斉に険しくなる。
「黒い人たち……」
ツバサが呟く。
「蛇の牙ね」
セシリアが盾を握り締める。
精霊はさらに言葉を続けた。
『山の王も……苦しい』
『守りたいのに……壊してる』
『助けて……』
山の王。
ガドルから聞いた、大地の守護獣。
やはり、あれも敵ではない。
操られている。
ビルセイヤはしゃがみ込み、小さな精霊と目線を合わせた。
「分かった」
『……?』
「俺たちが助ける」
迷いはなかった。
「地母様も」
「山の王も」
「この大地で生きる命も」
「全部だ」
小さな精霊の瞳に光が戻る。
その瞬間――。
ドクン。
「……っ!」
ビルセイヤが足元を見る。
大地の奥深くから。
巨大な鼓動が伝わってきた。
ドクン。
ドクン。
だが、その鼓動は弱い。
そして苦しげだった。
フィリアが青ざめる。
「これは……地霊樹の鼓動です」
「こんな遠くまで伝わっているのか?」
「違います」
フィリアは首を振る。
「私たちが近づいたのです」
地脈探知杖を掲げる。
琥珀色の光が真っ直ぐ北西を指した。
その先。
木々の隙間から巨大な山が見える。
だが――。
山頂付近を覆っているのは雲ではなかった。
黒い霧。
巨大な黒い渦が、山全体を覆い始めていた。
「……蛇の牙」
ビルセイヤは白枝の柄を握る。
その瞳には怒りではなく、強い決意が宿っていた。
剣は命を奪うためにあるのではない。
少なくとも。
自分が振るう剣だけは違う。
「急ごう」
ビルセイヤは仲間たちを振り返った。
「地霊樹が俺たちを呼んでいる」
セシリア。
エミリア。
ツバサ。
フィリア。
そしてリシア。
全員が頷いた。
小さな土の精霊がふわりと浮かび上がり、一行の前を進み始める。
まるで。
彼らを導くように。
その先で待つものが希望なのか。
それとも、新たな絶望なのか。
まだ誰にも分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
蒼天霊樹に続く、二つ目の戦い。
――地霊樹を巡る本当の戦いが、今、始まろうとしていた。




