第百九十六話 蒼天の聖域
蒼い光の柱が天へと伸びている。
その神々しい輝きに、黒い鎖のような穢れが幾重にも絡み付き、まるで命を奪うかのように締め上げていた。
「……あれが。」
ビルセイヤは静かに呟く。
「蒼天霊樹。」
フィリアは胸元の首飾りを強く握り締めた。
目の前にあるのは、千年もの間、この地を守り続けてきた風の霊樹。
そして今、消えようとしている命だった。
◇◇◇
「急ぎましょう。」
エアリスは普段の穏やかな表情とは違い、焦りを隠せなかった。
「穢れが霊樹の根まで達しています。」
「あと少し侵食が進めば……。」
その先は口にしなかった。
だが、一行には十分伝わっていた。
白き霊樹の時以上に、状況は深刻なのだ。
◇◇◇
一行は風道を駆け抜ける。
左右には蒼い花々が咲き乱れ、風の精霊たちが舞っている。
しかし、その数は少ない。
元気もない。
飛び方は弱々しく、時折ふらついていた。
エミリアが悲しそうに呟く。
「精霊たちまで……。」
ヴァルグラムも低く唸る。
『霊樹が弱れば、精霊も弱る。』
『四霊樹は世界そのものを支えておるからな。』
◇◇◇
やがて風道は途切れ、巨大な断崖へと続いた。
その先に広がっていたのは、神秘的な盆地だった。
中心には天を突くほど巨大な一本の樹。
幹は蒼白く輝き、枝葉は空そのものを映したような青緑色。
枝が揺れるたび、無数の風の粒子が空へ舞い上がる。
「綺麗……。」
セシリアが思わず見惚れる。
しかし、その美しい姿は痛々しかった。
幹には黒い亀裂が走り、枝の一部は枯れ始めている。
霊樹の周囲には黒い霧が渦を巻き、風の流れを無理やりねじ曲げていた。
◇◇◇
「蒼天霊樹……。」
エアリスは涙ぐみながら跪く。
「遅くなって、ごめんなさい。」
その声に応えるように、霊樹の枝がわずかに揺れた。
サァァァ……。
優しい風が吹き抜ける。
フィリアの髪を揺らし、ビルセイヤの頬を撫でた。
そして、一枚の蒼い葉がゆっくりと舞い降りる。
その葉は、ビルセイヤの手の中へ静かに収まった。
◇◇◇
「歓迎……されている?」
ツバサが驚く。
ヴァルグラムが静かに答える。
『うむ。』
『霊樹は希望を見出したのであろう。』
ビルセイヤは葉を見つめる。
温かい。
生命そのものの鼓動が伝わってくる。
◇◇◇
その時だった。
ドクン――。
黒い鎖が大きく脈打つ。
霊樹が苦しそうに枝を震わせる。
風が一気に乱れた。
「来ます!」
エミリアが叫ぶ。
霊樹の根元から黒い霧が噴き上がり、地面が割れ始める。
ゴゴゴゴゴ……。
大地の裂け目から、黒い蔦が何本も這い出してきた。
その蔦には鋭い棘が生え、穢れの魔力を放っている。
◇◇◇
「これは!」
セシリアが盾を構える。
黒い蔦は一本では終わらなかった。
二本。
三本。
十本。
数え切れないほどの蔦が霊樹を縛り付け、さらに一行へ向かって襲い掛かる。
「散開!」
ビルセイヤの声が響く。
仲間たちは一斉に左右へ飛び退いた。
ドォン!
黒い蔦が地面へ突き刺さり、岩盤を粉々に砕く。
◇◇◇
「《ウィンドカッター》!」
エミリアの風刃が蔦を切り裂く。
しかし、切断された蔦は黒い霧となって再生し、再び襲い掛かってきた。
「再生する!」
ツバサが剣で迎え撃ちながら叫ぶ。
「普通に斬っても駄目です!」
フィリアも聖魔法を放つ。
「《ホーリーアロー》!」
聖なる光を受けた蔦だけが、黒い灰となって消えていく。
◇◇◇
ビルセイヤはその光景を見つめ、静かに呟いた。
「本体は……。」
視線は霊樹ではなく、その根元へ向く。
黒い鎖が集まり、一つの巨大な塊を形作っていた。
まるで心臓のように脈打つ、漆黒の核。
ドクン。
ドクン。
その鼓動に合わせるように、無数の蔦が動いている。
ヴァルグラムの声が響く。
『見つけたぞ。』
『あれが穢れの核だ。』
ビルセイヤは白枝をゆっくりと抜いた。
翡翠色の光が刀身を包み込む。
白き霊樹の時と同じように。
いや、それ以上に強大な穢れが、今、彼の前に立ちはだかっていた。
――続く。




