第百八十九話 守護獣が示す道
氷牙熊の額から最後の黒い靄が消え去る。
吹き荒れていた冷たい風は静まり、代わりに穏やかな山風が旧街道を吹き抜けた。
その風は、まるで長い悪夢から目覚めた山そのものが安堵しているかのようだった。
◇◇◇
「グルル……。」
氷牙熊は静かに喉を鳴らし、ビルセイヤの前で頭を垂れる。
巨大な身体からは、先ほどまで感じていた禍々しい魔力は完全に消えていた。
代わりに感じるのは、澄み切った風と氷の魔力。
フィリアは優しく微笑んだ。
「戻ったんですね……。」
氷牙熊はその言葉に応えるように小さく頷く。
「本当に分かっているみたい。」
リシアが目を輝かせた。
◇◇◇
エミリアは静かに魔力を探る。
「穢れは完全に消えています。」
「これなら安心ですね。」
ヴァルグラムも満足そうに頷いた。
『うむ。』
『本来、この者は霊樹を守る守護獣だったのであろう。』
「守護獣……。」
セシリアが氷牙熊を見上げる。
「だからあんなに強かったのね。」
『本来の力なら、まだまだあの程度ではない。』
ヴァルグラムの言葉に、一同は思わず苦笑した。
◇◇◇
その時。
氷牙熊がゆっくりと歩き始めた。
「どこへ?」
ツバサが首を傾げる。
数歩進んだところで立ち止まり、一行を振り返る。
そして再び歩き出した。
「……来いと言っているのか。」
ビルセイヤが呟く。
フィリアは静かに頷いた。
「案内してくれるんだと思います。」
◇◇◇
一行は氷牙熊の後を追って山道を進む。
獣道のように見えた場所だったが、不思議なことに歩き始めると風が雪を払い、道が現れていく。
「すごい……。」
リシアが感嘆の声を漏らす。
「こんな道、村の人も知りません。」
「守護獣だけが知る道なのかもしれないな。」
ビルセイヤは辺りを見渡した。
◇◇◇
しばらく歩くと、小さな滝へ辿り着く。
滝といっても、水はすべて氷となり、青白く輝く巨大な氷柱になっていた。
「綺麗……。」
エミリアが思わず見惚れる。
風が吹くたび、氷柱同士が触れ合い、澄んだ音色を響かせる。
まるで自然が奏でる鐘の音だった。
◇◇◇
氷牙熊は滝の前で立ち止まる。
そして大きな前脚で地面を軽く叩いた。
ゴンッ。
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ……。
氷壁がゆっくりと左右へ開いていく。
「隠し通路……!」
ツバサが目を丸くした。
「こんな場所があったなんて。」
エルドールから渡された古地図にも記されていない道だった。
◇◇◇
『神代の道だ。』
ヴァルグラムが静かに告げる。
『霊樹へ仕える者と守護獣だけが通ることを許された道。』
フィリアは息を呑む。
「そんな場所へ……私たちが。」
『お前は巫女として認められたのであろう。』
ヴァルグラムの言葉に、フィリアは胸元の母の形見へ手を添えた。
首飾りは優しく光っている。
◇◇◇
一行が通路へ入ると、外の吹雪が嘘のように消えた。
洞窟の壁には青白い結晶が無数に埋め込まれ、柔らかな光を放っている。
「天然の魔晶石でしょうか。」
エミリアが感心する。
「ええ。」
フィリアも頷いた。
「でも、誰かに見守られているような感じがします。」
その言葉に、ビルセイヤも静かに目を閉じる。
確かに感じる。
敵意ではない。
温かな視線。
この地を訪れた者を見極めるような、優しい気配だった。
◇◇◇
やがて洞窟を抜けると、一気に視界が開けた。
「これは……!」
セシリアが息を呑む。
眼下には広大な盆地が広がっていた。
一面を白銀の雪が覆い、その中央には煙突から煙を上げる小さな村。
木造の家々が寄り添うように建ち並び、雪景色の中で静かに佇んでいる。
リシアは目に涙を浮かべた。
「あれが……。」
「スノリア村です。」
◇◇◇
しかし、その喜びも束の間だった。
ビルセイヤの表情が引き締まる。
「様子がおかしい。」
村全体を見渡すと、家々の屋根や広場が厚い氷に覆われている。
人影もほとんど見えない。
さらに村の中央からは、淡い黒い霧がゆっくりと空へ立ち昇っていた。
エミリアが険しい表情で呟く。
「穢れの魔力です……。」
フィリアは胸を押さえ、小さく震えた。
「間に合って……。」
「お願いだから……。」
故郷を見つめるその瞳には、不安と決意が宿っていた。
ビルセイヤは静かに白枝を握り直す。
「急ごう。」
「村のみんなが待っている。」
一行は守護獣に導かれながら、蒼雪の巫女の故郷――スノリア村へ向かって駆け出した。
――続く。




