第百八十七話 旧街道に眠る祈り
夜明けの光が、蒼天の山々を淡く照らし始める。
ビルセイヤたちは宿場町リンドを後にし、エルドールから託された古地図を頼りに旧街道へと足を踏み入れていた。
リンドから離れるにつれ、人の気配は次第に遠ざかる。
聞こえるのは風が木々を揺らす音と、鳥たちのさえずりだけだった。
◇◇◇
「……この道です。」
フィリアが地図と周囲の景色を見比べながら歩く。
「昔は巫女たちが霊樹へ祈りを捧げに行くための道だったそうです。」
道幅は狭いものの、ところどころに石畳が残っている。
長い年月で苔むしてはいるが、人の手で整えられた名残ははっきりと分かった。
「ずいぶん古い道ね。」
セシリアが辺りを見回す。
「少なくとも数百年は経っています。」
エミリアが石積みに手を触れる。
「風の精霊が、この場所をずっと守ってきたようです。」
◇◇◇
ビルセイヤは立ち止まり、周囲を見渡した。
「不思議だな。」
「何がですか?」
ツバサが尋ねる。
「魔物の気配がほとんどない。」
確かに山へ入ってから一度も魔物に遭遇していない。
ヴァルグラムが静かに答えた。
『風が結界となっておる。』
『邪悪な魔物は、この先へ踏み込めぬのだろう。』
カグラも頷く。
『それだけ、この地には今なお神代の力が残っているということです。』
◇◇◇
さらに進むと、道の脇に小さな石碑が現れた。
高さは大人の腰ほど。
表面には風を思わせる渦の紋様が刻まれている。
「これは……。」
フィリアは懐かしそうに石碑へ触れた。
「子どもの頃、一度だけ見たことがあります。」
「知っているのか?」
ビルセイヤが尋ねる。
「はい。」
「《風護の碑》です。」
「旅人が無事に帰れるよう祈るための石碑なんです。」
◇◇◇
その瞬間だった。
ピュウ――。
一陣の風が石碑の周囲を巡る。
すると、長い年月で消えかけていた紋様が淡く青白く輝き始めた。
「えっ……?」
リシアが目を丸くする。
風はフィリアの周囲を優しく舞い、まるで歓迎するように彼女の髪を揺らした。
石碑から柔らかな光が溢れる。
そして――。
『ようこそ、蒼雪の巫女よ。』
穏やかな女性の声が、一行の耳へ届いた。
◇◇◇
「今の声……。」
セシリアが驚く。
「皆さんにも聞こえましたか?」
フィリアが尋ねる。
「ええ。」
エミリアが頷く。
「精霊の声ではありません。」
「もっと古い……。」
ヴァルグラムが目を細めた。
『これは残留思念だ。』
『石碑へ刻まれた祈りが、長き時を経ても残っていたのだ。』
◇◇◇
光はすぐに静まり、石碑は再び静かな姿へ戻る。
しかし、その足元には小さな祠が半ば土へ埋もれているのが見えた。
「こんな所に祠が。」
ツバサが落ち葉を払う。
中には風車を模した小さな木彫りのお守りが置かれていた。
驚くほど綺麗な状態で残っている。
フィリアはそれを見つめ、懐かしそうに微笑んだ。
「これは《風守り》。」
「村の子どもたちが旅立つ時、お守りとして持たせてもらうものです。」
「リシアも持っているのか?」
ビルセイヤが尋ねると、少女は首元から同じ形のお守りを取り出した。
「はい。」
「おばあちゃんが作ってくれました。」
二つのお守りは、まるで呼応するように淡く輝いた。
◇◇◇
「この祠も、まだ生きているんですね。」
エミリアが感心したように呟く。
ビルセイヤは静かに祠へ一礼した。
「この土地を守り続けてくれて、ありがとう。」
その言葉に応えるように、柔らかな風が一行を包み込む。
冷たさはなく、どこか温かい。
フィリアは胸元の母の形見へ手を添えた。
「……歓迎されている。」
その声には安堵が滲んでいた。
◇◇◇
だが、その穏やかな空気は長くは続かなかった。
ゴォォォォォ……。
突然、山の奥から重く唸るような風が吹き抜ける。
先ほどまでとはまるで違う。
冷たく、鋭く、どこか怒りを帯びた風。
エミリアの表情が引き締まる。
「この風は……!」
風の精霊たちが一斉に怯え始めた。
ヴァルグラムも低く唸る。
『来るぞ。』
『穢れに侵された何かが近付いている。』
ビルセイヤは静かに白枝を抜いた。
仲間たちも武器を構える。
山道の先。
白い吹雪の中から、ゆっくりと巨大な影が姿を現そうとしていた。
――続く。




