第百八十四話 宿場町リンドの古老
宿場町リンドへ足を踏み入れたビルセイヤたちは、まず商隊と共に宿へ荷を下ろした。
山岳地帯へ入る前の最後の宿場町ということもあり、町には多くの旅人や商人、冒険者たちの姿がある。
しかし、その表情はどこか暗かった。
酒場から聞こえる話題も、皆同じだった。
「また白い女が現れたらしい。」
「昨日も猟師が一人、山で凍り付いて見つかった。」
「命は助かったが、今も目を覚まさないそうだ。」
不安が町全体へ広がっている。
◇◇◇
「噂以上ですね。」
エミリアが小さく呟く。
フィリアも頷いた。
「ここまで人々が怯えているなんて……。」
ベルガは深いため息をつく。
「だから最近は西へ向かう商隊も減ってしまったんです。」
「このままでは町の経済も立ち行かなくなるでしょう。」
◇◇◇
その時、一人の老人が杖を突きながら近付いてきた。
真っ白な髭を胸まで伸ばし、厚手の外套をまとっている。
門番が慌てて頭を下げた。
「村長。」
「お待ちしておりました。」
老人は穏やかな目でビルセイヤたちを見つめた。
「旅の方々じゃな。」
「わしはリンドの村長、エルドールという。」
ビルセイヤは丁寧に頭を下げる。
「ビルセイヤです。」
「少し、お話を伺えますか。」
「もちろんじゃ。」
◇◇◇
村長の家は町外れの高台に建っていた。
暖炉には薪がくべられ、室内は外とは違って暖かい。
全員へ温かい薬草茶が振る舞われる。
「まずは礼を言わせてほしい。」
エルドールは微笑んだ。
「銀鹿商会から話は聞いた。」
「街道で遭難者を救ってくれたそうじゃな。」
「当然のことをしただけです。」
ビルセイヤが答えると、老人は満足そうに頷いた。
「そう言える者は少なくなった。」
◇◇◇
「さて。」
エルドールは棚から一本の古い巻物を取り出した。
「そなたらが知りたいのは、《白き風の乙女》のことじゃろう。」
フィリアが思わず身を乗り出す。
「ご存じなんですか?」
「昔から伝わる話じゃ。」
巻物を静かに広げる。
そこには風をまとった女性と、大樹のようなものが描かれていた。
ビルセイヤは目を細める。
「これは……。」
「霊樹?」
◇◇◇
エルドールは静かに頷いた。
「今では伝説扱いじゃが、この地には昔、《蒼天霊樹》があったと言われておる。」
その一言に、ヴァルグラムが反応する。
『蒼天霊樹……。』
炎神の声には、わずかな驚きが混じっていた。
『やはり生きていたか。』
ビルセイヤが心の中で尋ねる。
「知っているのか?」
『神代、四霊樹の一柱。』
『風を司る霊樹だ。』
◇◇◇
エルドールは巻物を指差す。
「白き風の乙女とは、蒼天霊樹へ仕えた巫女だと言われておる。」
「巫女……。」
フィリアが小さく呟く。
「千年以上前。」
「巫女は霊樹と契約し、この地へ吹く風を鎮め、人々を守っていた。」
「しかしある日。」
老人の表情が曇る。
「霊樹は眠りにつき、巫女も姿を消した。」
◇◇◇
「それからです。」
「吹雪が激しくなったのは。」
「峡谷では時折、人知を超えた風が吹くようになり、多くの旅人が命を落としました。」
エミリアは静かに考え込む。
「白き霊樹も穢れで眠っていました。」
「なら。」
「蒼天霊樹も同じ可能性があります。」
「その可能性は高い。」
ビルセイヤも頷く。
◇◇◇
老人はさらに一枚の古地図を取り出した。
「これを見なさい。」
そこには蒼天の峡谷周辺が描かれていた。
峡谷の中心部。
赤い印が付けられている。
「ここが《風哭きの谷》。」
「風哭き?」
セシリアが聞き返す。
「風が泣く、と書く。」
「昔から、風が人の泣き声のように響く場所じゃ。」
フィリアは息を呑んだ。
「手紙に書かれていた……。」
アイリスから届いた言葉。
――風が泣いている。
それと一致していた。
◇◇◇
「ですが。」
エルドールは険しい顔になる。
「誰も谷の最奥までは辿り着けておらん。」
「なぜです?」
「必ず吹雪に遭う。」
「道に迷う。」
「そして。」
老人は小さく息を吐く。
「白き風の乙女を見る。」
部屋の空気が重くなる。
◇◇◇
その時だった。
コンコン。
玄関の扉が叩かれた。
「村長!」
若い門番が慌てた様子で飛び込んでくる。
「大変です!」
「どうした。」
「西門に。」
「女の子が倒れています!」
「子供?」
「はい!」
「全身が凍り付いて……。」
フィリアが立ち上がる。
「すぐ行きましょう!」
ビルセイヤも白枝へ手を掛けた。
「案内してくれ。」
「はい!」
◇◇◇
一行は門番の後を追い、西門へ駆け出した。
雪は降っていない。
それなのに。
町へ近づくにつれ、空気が急激に冷えていく。
そして西門前。
一人の少女が静かに倒れていた。
年齢は十歳ほど。
白い髪。
白い外套。
胸元には風を象った青い首飾り。
身体は薄い氷に覆われている。
しかし。
その右手だけは、何かを大切に握り締めていた。
「この子は……。」
フィリアは息を呑む。
少女の顔には、どこか自分とよく似た面影があった。
そして少女の唇が、かすかに動く。
「……巫女……さま……。」
その言葉を最後に、少女は再び意識を失った。
ビルセイヤたちは互いに顔を見合わせる。
蒼雪の巫女。
その名を知る少女との出会いが、新たな物語の幕を開けようとしていた。
――続く。




