第百六十七話 翡翠魔核
ドクン――。
黒い石柱の奥底から、心臓の鼓動のような音が響いた。
聖域全体が震える。
白枝の泉の水面には波紋が広がり、白く澄んでいた水は再び翡翠色へと染まり始めていた。
「まずい!」
エミリアが顔色を変える。
「泉そのものが侵食されています!」
白き霊樹も大きく枝葉を揺らした。
まるで苦しむように。
サァァァァ……
葉擦れの音は悲鳴にも似ていた。
◇◇◇
ガイゼルは両腕を広げる。
「これこそ我ら蛇の牙が千年をかけて完成させた神代技術。」
「《翡翠魔核》。」
黒い石柱に無数の亀裂が走る。
その隙間から溢れ出した翡翠色の魔力は、泉全体へ広がっていく。
「世界樹の魔力を模倣し。」
「瘴気と融合させ。」
「人工的に神代の力を再現する。」
「そんなこと……!」
フィリアが息を呑む。
「世界樹を真似するなんて!」
「真似ではない。」
ガイゼルは笑った。
「超えるのだ。」
◇◇◇
『愚か者!!』
ヴァルグラムの怒号が轟いた。
神炎が激しく燃え上がる。
『世界樹は命を循環させる根源!』
『瘴気と融合など不可能だ!』
「だから失敗も多かった。」
ガイゼルは平然と答える。
「何百年も。」
「何千人も。」
「実験を繰り返してきた。」
その言葉に、ビルセイヤの拳が震えた。
「……何だと。」
「尊い犠牲だった。」
ガイゼルは何の迷いもなく言う。
「神代へ至るためには必要な犠牲だ。」
◇◇◇
「ふざけるな!」
セシリアが怒りを露わにする。
「人の命を何だと思ってるの!」
「数字だ。」
ガイゼルは冷たく言い放つ。
「成功率を上げるための。」
その一言で、ツバサの表情も消えた。
「もう十分だ。」
剣を構える。
「お前だけは絶対に許さねぇ。」
◇◇◇
しかし。
ビルセイヤは右手を上げ、仲間たちを制した。
「待て。」
静かな声だった。
怒鳴り声ではない。
だからこそ全員が足を止めた。
「ビルセイヤ?」
セシリアが振り返る。
ビルセイヤは黒い石柱を見据えていた。
「敵はガイゼルだけじゃない。」
「あの石柱だ。」
エミリアもすぐに理解する。
「確かに。」
「石柱から魔力が流れ続けています。」
「ガイゼルを倒しても止まらないかもしれません。」
「その通り。」
ヴァルグラムも頷く。
『魔核そのものを止めねば意味はない。』
◇◇◇
その時だった。
白き霊樹から、一枚の白い葉が舞い落ちる。
ふわり。
ゆっくりと風へ乗る。
そしてビルセイヤの肩へ静かに止まった。
葉から温かな光が流れ込む。
頭の中へ、優しい声が響いた。
『……泉……。』
『泉を……清めて……。』
ビルセイヤは静かに目を閉じる。
「白き霊樹……。」
カグラが微笑んだ。
「霊樹が語りかけています。」
「泉が源なのでしょう。」
ビルセイヤは目を開いた。
「石柱だけじゃない。」
「泉そのものが侵されてる。」
◇◇◇
エミリアは泉を見つめながら頷く。
「魔力の流れが逆転しています。」
「本来なら霊樹から泉へ流れる命の力が。」
「今は石柱から霊樹へ逆流している。」
「つまり。」
フィリアが続ける。
「石柱が毒を流しているんですね。」
「はい。」
エミリアは真剣な表情で答えた。
「だから白き霊樹が苦しんでいるんです。」
◇◇◇
ガイゼルは薄く笑った。
「理解したか。」
「だが遅い。」
杖を高く掲げる。
「魔核よ。」
「契約者を喰らえ。」
ドゴォォォォン!!
石柱が完全に砕け散る。
翡翠色の奔流が空へ噴き上がった。
そして。
その中心から巨大な影が姿を現す。
◇◇◇
「……何だ、あれ。」
ツバサが息を呑む。
翡翠色の結晶で覆われた巨大な魔物。
人型にも見える。
だが腕は四本。
背中から無数の結晶が突き出し、頭部には角のような巨大な水晶が生えていた。
その胸の中央には、巨大な翡翠色の核が脈打っている。
ドクン。
ドクン。
鼓動のたびに瘴気が溢れ出す。
フィリアの顔が青ざめた。
「こんな魔物……。」
「見たことありません。」
ヴァルグラムも険しい表情になる。
『魔物ではない。』
『神代の失敗作だ。』
「失敗作?」
ビルセイヤが問う。
『神々が世界樹を守るため生み出そうとした人工守護兵器。』
『完成する前に封印された存在だ。』
『まさか蛇の牙が……。』
炎神は低く唸る。
『核だけを再現したというのか。』
◇◇◇
ガイゼルは歓喜の笑みを浮かべた。
「名付けよう。」
「《翡翠魔兵》。」
「神々が捨てた力を。」
「我らが完成させた。」
翡翠魔兵がゆっくりと目を開く。
虚ろだった瞳が、真っ直ぐビルセイヤを見据えた。
次の瞬間――。
ゴォォォォォッ!!
轟音とともに、翡翠魔兵が大地を砕きながら突進してきた。
神代の禁忌。
千年の執念が生み出した最悪の兵器との戦いが、今、幕を開ける。
――続く。




