第百六十六話 蛇の牙の狙い
「お前の存在こそ、我ら蛇の牙最大の収穫なのだから。」
ガイゼルの言葉が、静まり返った聖域に重く響いた。
ビルセイヤは白枝を構えたまま、その男を鋭く見据える。
「……どういう意味だ。」
静かな問いだった。
だが、その一言には明確な敵意が込められていた。
ガイゼルは愉快そうに肩をすくめる。
「知らぬのか?」
「アークレイドは、何も話していないようだな。」
その名を聞いた瞬間、ビルセイヤたちの表情が変わった。
「アークレイドを知っているのか!」
セシリアが声を上げる。
ガイゼルは小さく笑った。
「知っているとも。」
「千年前、我ら蛇の牙が最も邪魔とした男だ。」
◇◇◇
ヴァルグラムの瞳が細められる。
『やはりそうか……。』
低く呟く炎神へ、ビルセイヤが視線を向けた。
「ヴァルグラム。」
「何か知っているのか。」
炎神はしばらく沈黙していた。
やがて重々しく口を開く。
『蛇の牙は千年前にも存在した。』
『当時は今ほど大きな組織ではなかったが、神代の遺産を求めて各地を暗躍していた。』
「やっぱり……。」
エミリアが小さく息を呑む。
『そしてアークレイドは、その連中と何度も戦っていた。』
『世界樹を守るためにな。』
◇◇◇
「そうだ。」
ガイゼルは笑みを深める。
「だが結局、奴は我らを滅ぼせなかった。」
「だから今日まで生き延びた。」
蛇杖の先端が淡く翡翠色に輝く。
「千年という時をかけて、我らは神代の知識を集め続けた。」
「そしてようやく見つけた。」
「契約者を完成させる方法を。」
その一言に、カグラの表情が強張る。
「まさか……!」
「神代の契約を利用するつもりですか!?」
「その通り。」
ガイゼルは満足そうに頷いた。
◇◇◇
「神代の契約は、本来なら四霊樹すべてに認められた者だけが完成できる。」
「だが。」
ガイゼルは蛇杖を掲げる。
「もし契約者候補を捕らえ、その契約を強制的に奪うことができれば――」
聖域の空気が凍りつく。
「神代の門は開く。」
その言葉に、ヴァルグラムが怒りを露わにした。
『愚か者が!!』
炎神の怒声が轟く。
神炎が大きく燃え上がった。
『契約とは魂そのものだ!』
『奪えば世界そのものが歪む!』
「だからこそ価値がある。」
ガイゼルは平然と言い放つ。
「世界など作り直せばいい。」
◇◇◇
「ふざけるな!」
ツバサが剣を抜き放つ。
「そんな理由で命を弄ぶな!」
「命?」
ガイゼルは冷たく笑う。
「命など道具だ。」
「研究材料だ。」
「より高みへ至るための礎。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
ビルセイヤの中で、静かだった怒りが燃え上がる。
古代神殿で犠牲になった人々。
白き霊樹。
苦しめられたフェンリル。
森の命。
そしてルルの涙。
すべてを踏みにじった男が、今目の前にいる。
◇◇◇
「命は道具じゃない。」
ビルセイヤは静かに言った。
その声は驚くほど落ち着いていた。
「一つ一つに、生きる意味がある。」
「人も。」
「森も。」
「精霊も。」
「全部だ。」
白枝をゆっくりと構える。
「だから俺は、お前を止める。」
◇◇◇
その瞬間。
白枝が澄んだ音を響かせた。
キィィン――。
刀身を白銀の光が包む。
さらに胸元の炎心晶が共鳴し、紅蓮の霊樹から柔らかな光が流れ込む。
カグラが目を見開いた。
「契約が……。」
「さらに深まっています。」
ヴァルグラムも静かに頷いた。
『怒りではない。』
『守るという意志。』
『それが契約を育てている。』
◇◇◇
ガイゼルの笑みが初めて消えた。
「……面白くない。」
蛇杖を強く握る。
「契約が進めば進むほど、奪う価値も高まる。」
「なら。」
杖を天へ突き上げた。
「ここで完成させる前に奪えばいい。」
轟音が響く。
黒い雲が聖域の上空を覆い始めた。
空気が重くなる。
大地が揺れる。
そして白枝の泉の中央に突き立つ黒い石柱が、不気味な光を放ち始めた。
◇◇◇
「石柱が!」
フィリアが叫ぶ。
黒い石柱に刻まれた翡翠色の筋が次々と明滅する。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓が鼓動しているようだった。
エミリアが青ざめる。
「嫌な気配……!」
「この魔力、まだ終わっていません!」
フェンリルも低く唸る。
ガルルルル……。
その視線は石柱へ向けられていた。
白き霊樹も枝葉を大きく揺らし始める。
まるで危険を知らせるように。
◇◇◇
ガイゼルは狂気じみた笑みを浮かべた。
「見せてやろう。」
「蛇の牙が千年かけて完成させた秘術を。」
蛇杖を石柱へ向ける。
「目覚めよ。」
「《翡翠魔核》!」
その瞬間、黒い石柱全体に無数の亀裂が走った。
内側から漏れ出すのは、翡翠色ではない。
どす黒く濁った、禍々しい翠の光。
聖域そのものが悲鳴を上げるように震え始めた。
ビルセイヤは白枝を強く握る。
「来るぞ!」
誰もが直感した。
蛇の牙が最後まで隠していた切り札が、今まさに姿を現そうとしていた。
――続く。




