第百五十五話 神代最後の鍛冶師
巨大な鍛冶炉の炎が、静かに揺らめいていた。
黄金にも紅蓮にも見える神炎。
その炎の中から現れた老人は、ゆっくりと一歩前へ歩み出る。
長く伸びた白い髭。
日に焼けた逞しい身体。
鍛え抜かれた腕には無数の傷跡が刻まれている。
そして、その瞳だけは炎のような紅色に輝いていた。
「……ヴァルグラム。」
ビルセイヤはその名を静かに口にする。
老人は穏やかに頷いた。
『久しく、その名で呼ばれることもなくなった。』
『今はただ、この鍛冶場を守る残滓に過ぎぬ。』
その声には威圧感はない。
しかし、その場に立つだけで周囲の空気が変わるほどの存在感があった。
◇◇◇
セシリアは思わず息を呑む。
「この人……。」
「強い。」
ツバサも真剣な顔になる。
「いや、それだけじゃない。」
「まるで山そのものを見てるみたいだ。」
エミリアは静かに目を閉じた。
「精霊たちが、とても嬉しそうです。」
「嬉しい?」
「はい。」
「まるで、ずっと会いたかった人へ再会したように。」
フィリアも小さく頷いた。
「炎だけではありません。」
「水も風も、大地も……すべての精霊が敬意を払っています。」
神代最後の鍛冶師。
その存在は、人だけではなく世界そのものに認められていた。
◇◇◇
『ビルセイヤ。』
ヴァルグラムは静かに名を呼んだ。
「はい。」
『お前は何故、鍛冶師になろうと思った。』
突然の問いだった。
ビルセイヤは少しだけ考える。
鍛冶師見習いだった日本での日々。
師匠。
炉の熱。
鉄を打つ音。
異世界へ来てから守ってきた仲間たち。
その全てを思い返しながら答えた。
「最初は、師匠に憧れたからです。」
「でも今は違います。」
「武器を必要とする人がいる。」
「誰かを守りたい人がいる。」
「だったら、その人たちが安心して握れる剣を作りたい。」
「それが、俺の鍛冶です。」
部屋が静まり返る。
ヴァルグラムは何も言わない。
ただ静かにビルセイヤを見つめていた。
◇◇◇
やがて老人は小さく笑った。
『良い。』
『実に良い。』
『剣を作る者は多い。』
『だが、人を想って剣を打つ者は少ない。』
ヴァルグラムは鍛冶槌を肩へ担ぐ。
『鍛冶とは鉄を鍛える技術ではない。』
『人の願いを形へ変える技だ。』
『それを忘れぬ限り、お前は道を違えぬ。』
その言葉に、ビルセイヤは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
◇◇◇
その時だった。
巨大な炉が激しく燃え上がる。
ゴォォォォォッ!!
床に刻まれた魔法陣が赤く輝き始める。
「魔法陣?」
セシリアが身構える。
フィリアは周囲を見回した。
「これは転移陣ではありません。」
「鍛冶炉全体が魔法陣になっています。」
『第二の試練。』
ヴァルグラムが静かに宣言する。
『技を見せよ。』
『己だけの鍛冶を示せ。』
◇◇◇
巨大な炉の前へ、一つの金床が現れた。
隣には神代の炉。
そして、一塊の玉鋼。
その輝きは、これまで見たどの鋼よりも美しかった。
「これで……打てと。」
『そうだ。』
『好きな武器を作れ。』
『時間は日が沈むまで。』
「え?」
ツバサが目を丸くする。
「そんな短時間で?」
『真の鍛冶師は迷わぬ。』
『鉄は迷いを映す。』
『心が定まれば、槌も迷わぬ。』
ヴァルグラムの言葉が静かに響く。
◇◇◇
ビルセイヤは炉の前へ立つ。
玉鋼を手に取った瞬間だった。
ドクン。
鼓動のような音が響いた。
「!」
炎心晶。
白枝。
そして胸の奥。
三つが同時に共鳴している。
炉の炎が静かに色を変えた。
黄金色だった炎は、淡い白金色へ。
「神炎が……。」
エミリアが目を見開く。
ヴァルグラムは僅かに目を細めた。
『やはりか。』
『炎がお前を選んだ。』
『ならば遠慮は要らぬ。』
『神炎を使え。』
その一言に、仲間たちが驚く。
「神炎を?」
セシリアが思わず声を上げる。
「そんなもの、人が扱えるの?」
ヴァルグラムは静かに笑う。
『普通の人間なら灰になる。』
『だが、この者は違う。』
『炎が拒まぬ。』
◇◇◇
ビルセイヤは静かに息を吸う。
目を閉じる。
耳に届くのは、炉の音。
炎の揺らめき。
鉄の鼓動。
まるで炉そのものが話しかけてくるようだった。
「……分かった。」
ゆっくりと目を開く。
その瞳には迷いがない。
「打ちます。」
「俺の鍛冶を。」
神炎が大きく燃え上がる。
黄金と白金が混ざり合う炎の中で、ビルセイヤは神代の槌を握った。
ついに始まる第二の試練。
それは敵との戦いではない。
己自身の技と心を問われる、神代最高峰の鍛錬だった。
――続く。




