第百四十一話 新たな旅立ち
翌朝――。
ガルディアの街は、久しぶりに穏やかな朝を迎えていた。
ルミナスの深森を覆っていた不穏な気配は消え、街を吹き抜ける風には木々の香りが戻っている。
市場には商人たちの元気な呼び声が響き、閉ざされていた北東街道にも少しずつ荷馬車が戻り始めていた。
「ようやく日常が戻ってきたわね」
宿の窓から街を眺めながら、セシリアがほっと息をつく。
「ええ」
エミリアも微笑む。
「精霊たちも、とても穏やかです」
昨日まで森中を覆っていた不安と恐怖は、嘘のように消えていた。
◇◇◇
朝食を終えたビルセイヤたちは、辺境伯ダリウスから呼び出され、館の執務室を訪れていた。
「来てくれたか」
ダリウスは机の前に立ち、一枚の羊皮紙を広げる。
「まずは正式に礼を言おう」
彼は深々と頭を下げた。
「ガルディア辺境伯家を代表し、心から感謝する」
「白枝の泉と霊樹、そして我が兵たちを救ってくれた恩は、生涯忘れん」
「頭を上げてください」
ビルセイヤは静かに答えた。
「俺たちは依頼を果たしただけです」
「……そう言えるからこそ、お前たちは信頼できる」
ダリウスは穏やかに笑った。
◇◇◇
執事が大きな木箱を運び込む。
箱を開けると、中には整然と並べられた金貨が輝いていた。
「正式依頼の報酬だ」
「白枝の泉調査、行方不明兵士救出、蛇の牙討伐、街道防衛――すべてを合わせた報酬として、金板五枚、金貨五十枚を受け取ってほしい」
ツバサが目を丸くする。
「ずいぶん奮発したな」
「命と領地を救われたのだ」
ダリウスは真顔で答える。
「これでも安いくらいだ」
ビルセイヤは一度仲間たちを見る。
全員が静かに頷いた。
「ありがたく受け取ります」
◇◇◇
さらにダリウスは、小さな木箱を取り出した。
「これは個人的な礼だ」
中には銀色に輝く金属塊が収められていた。
美しく澄んだ銀色。
しかし、普通の銀ではない。
「これは……」
ビルセイヤの目が変わる。
「ミスリル銀ですか」
「その通り」
ダリウスは頷いた。
「ガルディア鉱山で採れる最高品質のミスリル銀だ」
「量は多くないが、お前なら価値が分かるだろう」
鍛冶師であるビルセイヤにとって、それは金貨以上の価値を持つ素材だった。
「ありがとうございます」
彼は大切そうに受け取る。
「必ず、この素材に相応しい武器を作ります」
「期待している」
ダリウスは満足そうに笑った。
◇◇◇
館を出ると、中庭ではルルが待っていた。
「ビル……」
まだ名前を呼ぶのは少し照れくさいらしい。
ルルは小さな袋を差し出す。
「これ……」
「私?」
「うん」
袋の中には、小さな木の実と白い花の種が入っていた。
「森の子だけが育てられる花」
「元気になる」
エミリアが目を丸くする。
「これは……精霊花の種ですね」
「貴重なものなんですか?」
セシリアが尋ねる。
「はい」
フィリアが説明する。
「霊樹の加護を受けた土地でしか咲かない花です」
「疲労回復や魔力回復にも使われる、とても貴重な薬草になります」
ビルセイヤはルルの前にしゃがんだ。
「ありがとう」
「大切に育てる」
ルルは嬉しそうに笑った。
◇◇◇
その時だった。
「ビルセイヤ殿!」
ロドリグが走ってくる。
「出発前に、これを」
差し出されたのは、一冊の革張りの手帳だった。
「これは?」
「ガルディア周辺の地図です」
「巡回路、水場、野営地、危険地帯まで記した実用地図になります」
ロドリグは少し照れくさそうに笑う。
「私が十年以上かけて書き込んできたものです」
「ですが、あなた方の方が必要でしょう」
ビルセイヤは驚いた。
兵士にとって、それは財産とも言えるものだった。
「本当にいいんですか?」
「もちろんです」
「また、いつか一緒に戦える日を楽しみにしています」
二人は固く握手を交わした。
◇◇◇
昼前。
ガルディアの正門前には、多くの人々が集まっていた。
辺境伯。
ロドリグ。
救出されたカイルとベルン。
兵士たち。
街の人々。
そしてルル。
皆がビルセイヤたちを見送りに来ていた。
「短い間だったが、本当に世話になった」
ビルセイヤが一礼する。
ダリウスは豪快に笑った。
「またいつでも来い!」
「今度は酒でも飲もう!」
「その時はゆっくりさせてもらいます」
セシリアも笑う。
「今度は戦い抜きでね」
「それが一番だ!」
辺境伯の豪快な笑い声が響いた。
◇◇◇
フィリアは最後に振り返った。
遠くに見えるルミナスの深森。
そして、そのさらに奥。
蒼氷の霊樹が眠る雪山。
「また来ます」
小さく呟く。
風が優しく吹いた。
それはまるで、霊樹が「待っている」と応えてくれたようだった。
◇◇◇
ビルセイヤは街道の先を見つめる。
「次の目的地は?」
ツバサが尋ねる。
ビルセイヤは懐から、一枚の古い羊皮紙を取り出した。
アークレイドから受け継いだ、古代の地図。
白枝の霊樹。
蒼氷の霊樹。
二つの印が、淡く光っていた。
そして――。
さらに西の方角。
まだ訪れたことのない場所に、三つ目の光が浮かび上がる。
「反応が増えた……」
エミリアが息を呑む。
フィリアも地図を見つめる。
「新しい霊樹です」
ビルセイヤは静かに頷いた。
「ああ」
「次の目的地が決まった」
仲間たちも迷いなく頷く。
白枝の霊樹。
蒼氷の霊樹。
そして、新たな霊樹。
世界樹に連なる存在を巡る旅は、まだ始まったばかりだった。
ビルセイヤたちは、新たな希望を胸に、次なる地へ向かって歩き始める。
その先で待つ、新たな出会いと試練をまだ知らぬまま――。
――続く。




