第十九話 動き始める運命
シーサスの朝は今日も活気に満ちていた。
港では漁師たちが大漁旗を掲げながら帰港し、市場には新鮮な魚介類が並び始める。
商人たちは露店の準備に追われ、街道には王都や周辺の村から訪れた旅人たちの姿も見えた。
そんな賑やかな街の一角。
鍛冶師ギルドの裏庭で、ビルセイヤは地面に広げた黒い砂を見つめていた。
◇◇◇
「やっぱり足りないな……」
小さく呟く。
目の前にあるのは砂鉄だった。
この数日、海辺や川辺を歩き回って少しずつ集めたものだ。
しかし量が足りない。
圧倒的に足りない。
日本刀を作るために必要な玉鋼。
その玉鋼を作るためには、さらに大量の砂鉄と木炭が必要になる。
古代鍛冶師録の知識によれば、たたら製鉄は想像以上に大掛かりな作業だった。
◇◇◇
「おはようございます!」
聞き慣れた元気な声が響く。
振り返るとセシリアが手を振りながら近付いてきた。
軽装鎧に片手剣。
いつもの冒険者スタイルだ。
「朝から何をしているんですか?」
「砂集めだ」
「砂?」
セシリアが首を傾げる。
その反応は予想通りだった。
◇◇◇
ビルセイヤは砂鉄を手に取る。
「これだ」
「黒い砂ですね」
「ああ」
「何に使うんです?」
「鉄を作る」
セシリアの動きが止まった。
「……はい?」
理解できなかったらしい。
◇◇◇
「これで鉄を作れる」
「砂ですよね?」
「砂だな」
「鉄ですよね?」
「鉄になる」
会話が噛み合わない。
セシリアはしばらく悩んだ末に結論を出した。
「ビルセイヤさんだから出来るんですね!」
理解を放棄したらしい。
◇◇◇
そこへエミリアもやって来た。
「おはようございます」
相変わらず落ち着いた雰囲気だ。
風に揺れるエルフ特有の長い耳が印象的だった。
「何か素材ですか?」
砂鉄を見て尋ねる。
「鉄の原料だ」
やはり同じ反応だった。
「これがですか?」
「そうだ」
エミリアも不思議そうな顔をしている。
どうやらこの世界では砂鉄から鉄を作る文化が存在しないらしい。
◇◇◇
「ところで今日は依頼でしたよね?」
エミリアが話題を変える。
「ああ」
ビルセイヤは頷いた。
本日の依頼はフォレスト草原東部の調査。
最近ゴブリンの目撃情報が増えているため、その原因を探る依頼だった。
討伐ではない。
あくまで調査。
だが冒険者にとって調査依頼ほど危険なものもない。
何が出るか分からないからだ。
◇◇◇
三人は冒険者ギルドへ向かった。
朝のギルドは活気に溢れている。
依頼を探す冒険者。
帰還した冒険者。
酒場では既に酒を飲んでいる者までいた。
「ビルセイヤさん」
受付嬢が三人を見るなり声を掛けてきた。
「依頼について追加情報があります」
嫌な予感がした。
◇◇◇
「何かあったのか?」
「はい」
受付嬢は資料を取り出す。
「今朝方戻った冒険者から報告がありました」
表情が少し真剣になる。
「ゴブリンの数が予想以上に増えている可能性があります」
◇◇◇
周囲の冒険者たちも耳を傾けていた。
「どれくらいだ?」
ビルセイヤが尋ねる。
「最低でも二十体以上」
ざわり。
ギルド内がざわつく。
二十体。
新人冒険者なら即座に撤退を選ぶ数だ。
◇◇◇
セシリアも真剣な顔になる。
「どうしますか?」
エミリアもビルセイヤを見る。
二人とも判断を任せていた。
ビルセイヤは少し考える。
そして静かに頷いた。
「予定通り向かう」
「了解です!」
セシリアが力強く答える。
「私も異論ありません」
エミリアも頷いた。
いつの間にか三人の中心はビルセイヤになっていた。
◇◇◇
一方その頃。
王都アルティアでは。
「シーサスへ行きたいですわ!」
第二王女アイリスが元気よく宣言していた。
マリアは予想通りという顔をしている。
「駄目です」
「まだ理由を言ってませんわ」
「どうせビルセイヤ様に会いに行くのでしょう」
アイリスが固まった。
図星だった。
◇◇◇
「ならば!」
アイリスは勢いよく立ち上がる。
「冒険者になりますわ!」
とうとう言った。
マリアは頭痛を堪えるように額を押さえる。
だがアイリスは本気だった。
◇◇◇
その話はすぐに王城中へ広まった。
当然ながら王太子ウィルの耳にも届く。
「アイリスが冒険者に?」
執務室で報告を受けたウィルは苦笑した。
妹らしい。
実に妹らしい発想だった。
◇◇◇
しばらくすると噂の本人がやって来る。
「兄上!」
勢いよく扉を開ける。
ウィルは苦笑を深めた。
「聞いたぞ」
「冒険者になりますわ!」
本気だった。
◇◇◇
ウィルは立ち上がる。
剣術にも優れる王太子だ。
王国屈指の実力者でもある。
「アイリス」
「はい!」
「冒険者になるなら最低限の実力が必要だ」
「実力……」
「そうだ」
そう言うと訓練用の木剣を手に取った。
◇◇◇
「俺と一本やってみるか?」
アイリスが固まる。
相手はウィルだ。
王国でも有数の剣士。
勝てるはずがない。
だが。
◇◇◇
アイリスは拳を握り締めた。
脳裏に浮かぶのはシーサスで見た青年。
黒髪の冒険者。
ビルセイヤ。
「やりますわ!」
即答だった。
◇◇◇
ウィルは少し驚く。
本気らしい。
遊びではない。
恋する乙女は時に驚くほど強くなる。
もっとも。
方向性が正しいかは別問題だが。
◇◇◇
一方。
フォレスト草原へ向かうビルセイヤたちはまだ知らない。
遠く離れた王都で。
一人の王女が自分を追い掛けるために剣を握り始めたことを。
そして。
未来の親友となる王太子ウィルとの縁が、少しずつ動き始めていることを。
第一章 第十九話
「動き始める運命」
――続く。




