第十八話 王女、冒険者を目指す
王都アルティア。
王城の朝は早い。
侍女たちが忙しく行き交い、騎士たちが巡回を行い、文官たちは山積みの書類と格闘している。
そんな王城の一角――国王執務室の扉が、勢いよく開かれた。
「お父様!」
元気いっぱいの声が響く。
書類へ目を通していた国王ライオットは、思わず顔を上げた。
嫌な予感しかしない。
長年父親をやっていると分かる。
この娘がこういうテンションの時は、大抵ろくでもない話を持ってくる。
「どうした、アイリス」
できるだけ冷静に尋ねる。
第二王女アイリスは、満面の笑みを浮かべていた。
嫌な予感がさらに強くなる。
「お願いがありますわ!」
「聞くだけ聞こう」
ライオットは覚悟を決めた。
するとアイリスは胸を張り、堂々と宣言した。
「冒険者になりたいですわ!」
◇◇◇
沈黙。
部屋の空気が凍りついた。
執務を補佐していた宰相が固まり、近衛騎士も固まり、文官たちも一斉に手を止める。
もちろん国王ライオットも固まった。
「……今、何と言った?」
数秒後、ようやく絞り出すように問う。
「冒険者になりたいですわ!」
今度はさらに元気だった。
聞き間違いではなかったらしい。
ライオットは額を押さえる。
頭が痛い。
非常に痛い。
まだ朝だというのに。
「理由を聞こう」
「運命ですわ!」
「意味が分からん」
即答だった。
◇◇◇
アイリスは嬉しそうに語り始めた。
「素敵な殿方と出会いましたの!」
その瞬間、部屋の空気が変わる。
国王。
宰相。
近衛騎士。
文官たち。
全員の目つきが変わった。
王女の恋愛問題は、国家問題である。
「ほう……」
ライオットが低い声を出す。
「それで?」
「その方が冒険者でしたの!」
「なるほど」
何も分からなかった。
その後、一時間近く説明を受けた結果、ライオットはようやく事情を理解した。
理解したくはなかったが。
「つまりだな」
ライオットが確認する。
「シーサスで出会った冒険者に一目惚れした」
「はい!」
「だから自分も冒険者になれば近づけると思った」
「はい!」
満面の笑みだった。
娘は本気らしい。
ライオットは天井を見上げた。
誰か助けてほしい。
切実にそう思った。
◇◇◇
「アイリス」
「はい!」
「普通はまず話しかけるものだ」
するとアイリスの瞳が輝いた。
「なるほどですわ!」
嫌な予感しかしない。
「まずは話しかけますわ!」
「そういう意味ではない」
即座に否定する。
だが、すでに遅かった。
アイリスの頭の中では何か計画が進行しているらしい。
その時だった。
コンコン。
執務室の扉がノックされる。
「失礼いたします」
入ってきたのはマリアだった。
専属侍女であり、アイリスの幼少期からの教育係でもある。
ライオットは少しだけ安堵した。
彼女なら止めてくれる。
そう思ったのだ。
「マリア」
「はい」
「アイリスを説得してくれ」
しかし。
マリアは少しだけ考えた後、
「無理かと」
と答えた。
◇◇◇
ライオットが固まる。
「無理なのか?」
「無理です」
即答だった。
長年アイリスを見てきた人物が断言する。
つまり、本当に無理なのだろう。
「ですが」
マリアは続けた。
「条件付きで認めるという方法もございます」
ライオットとアイリスが同時に反応した。
「条件ですの?」
「どんな条件だ?」
マリアは静かに答える。
「まず、護身術を学ぶことです」
王女が冒険者になる。
普通なら論外だ。
だが、どうしてもやるというなら最低限の実力は必要だった。
「やりますわ!」
即答だった。
「さらに王族としての勉強を怠らないこと」
「問題ありませんわ」
「剣術や体力訓練も継続すること」
「もちろんですわ」
アイリスはやる気満々だった。
恋の力は偉大である。
「そして最後に」
マリアはじっとアイリスを見る。
「勝手に城を抜け出さないこと」
アイリスが露骨に目を逸らした。
全員が察する。
今後もやるつもりだったのだろう。
「アイリス様?」
「善処しますわ」
「守ること」
「……はい」
少し不満そうだったが、完全否定されなかっただけでも大きな前進だった。
◇◇◇
一方その頃。
シーサスではビルセイヤが鍛冶師ギルドを訪れていた。
「砂鉄?」
ガルドが首を傾げる。
「ああ」
ビルセイヤは頷いた。
「大量に欲しい」
ガルドは不思議そうな顔をした。
「鉄鉱石じゃ駄目なのか?」
「駄目だ」
即答だった。
日本刀を作るためには砂鉄が必要だ。
少なくともビルセイヤはそう考えている。
「何を作る気だ?」
「秘密だ」
説明しても理解されないだろう。
それに、まだ成功すると決まったわけでもない。
だが、ビルセイヤの胸は高鳴っていた。
玉鋼。
たたら製鉄。
日本刀。
この世界には存在しない技術。
それを再現できるかもしれない。
夢への第一歩だった。
◇◇◇
「砂鉄なら、海辺か川辺を当たるのが早いかもしれねぇな」
ガルドが腕を組みながら言った。
「黒っぽい砂が混じる場所なら、鉄分を多く含んでることがある」
「本当か?」
「ああ。ただし大量に集めるとなると骨が折れるぞ」
「それでもやるさ」
ビルセイヤは迷いなく答えた。
ガルドはそんな彼を見て、豪快に笑う。
「面白ぇ顔だ。そんなに鍛冶が好きか」
「好きだな」
ビルセイヤは即答した。
剣を握るのも好きだ。
戦うのも嫌いじゃない。
だが、鉄を打つ時間だけは別だった。
炎の前に立ち、金槌を振るい、自分の理想を形にしていくあの時間は、何ものにも代えがたい。
「まあいい。砂鉄の情報は俺も集めておいてやる」
「助かる」
「ただし、変なもん作って工房を吹っ飛ばすなよ?」
「善処する」
「不安になる返事はやめろ」
ガルドが呆れたように笑う。
だが、その目はどこか楽しそうだった。
◇◇◇
その日の夕方。
ビルセイヤは一人、海辺を歩いていた。
シーサスの南に広がる浜辺。
波が穏やかに打ち寄せ、夕日が海面を赤く染めている。
「砂鉄か……」
しゃがみ込み、指先で砂を掬う。
さらさらと零れ落ちる砂の感触。
この中に、本当に日本刀の材料になるものが眠っているのだろうか。
だが、古代鍛冶師録の知識と、自分の記憶は確かに告げている。
道はある、と。
「やるしかないな」
ビルセイヤは静かに呟いた。
まだ設備も足りない。
資金も足りない。
仲間も少ない。
だが、それでも前に進むしかない。
この世界で、自分だけの刀を打つために。
◇◇◇
一方、王都では。
木剣を握るアイリスの姿があった。
「えいっ!」
空振り。
「やあっ!」
また空振り。
王城の訓練場で、アイリスは騎士の指導を受けていた。
教師役の騎士は、少し困った顔をしている。
「アイリス様、まずは足の運びからです」
「足ですの?」
「はい。剣は腕だけで振るものではありません」
アイリスは真剣な顔で頷いた。
「分かりましたわ!」
だが次の瞬間。
「とりゃあっ!」
やはり空振りした。
剣術の才能は、正直に言って微妙だった。
それでも、アイリスの瞳は輝いていた。
頬は汗で濡れ、呼吸も少し乱れている。
だが、弱音は吐かない。
恋する乙女は強いのだ。
◇◇◇
訓練の休憩中。
マリアが水差しを持って近づいてくる。
「アイリス様、お水を」
「ありがとう、マリア」
アイリスは木剣を抱えたまま、水を受け取った。
「大変ですね」
「大変ですわ」
即答だった。
「腕は痛いですし、足も疲れますし、剣は重いですし……」
「でしたら、やめますか?」
「やめませんわ!」
これも即答だった。
マリアは少しだけ目を細める。
「本気なのですね」
「もちろんですわ」
アイリスは胸を張る。
「ビルセイヤ様の隣に立つには、きっと中途半端では駄目だと思いますの」
マリアは一瞬だけ目を見開いた。
いつもの勢いだけではない。
ちゃんと、自分なりに考えているらしい。
「それに」
アイリスは木剣を見つめる。
「ただ守られるだけでは嫌ですわ」
「……」
「私も、自分の足で歩いて、自分で選んで、あの方の隣へ行きたいんですの」
その言葉に、マリアは静かに息を吐いた。
困った王女だ。
手のかかるお嬢様だ。
いつも無茶ばかり言って、周囲を振り回す。
けれど。
「分かりました」
マリアは小さく微笑んだ。
「では、最後までお付き合いいたします」
「本当ですの!?」
「はい。ただし、無茶はなさらないこと」
「善処しますわ!」
「守ること」
「……はい」
やはり少し不満そうだった。
◇◇◇
夜。
王城の自室に戻ったアイリスは、ベッドへ倒れ込んだ。
「つ、疲れましたわ……」
腕が重い。
足も痛い。
肩も張っている。
剣の訓練など、今まで本格的にやったことはなかった。
王族として最低限の護身術は学んでいたが、冒険者を目指すような訓練とはまるで違う。
それでも。
脳裏に浮かぶのは、あの黒髪の青年だった。
自然体で笑う顔。
困っている子供に手を差し伸べる優しさ。
武器や鍛冶の話をする時の真剣な横顔。
「待っていてくださいませ……」
もちろんビルセイヤには聞こえない。
「必ず冒険者になりますわ」
ぎゅっと拳を握る。
その決意だけは本物だった。
◇◇◇
こうして。
ビルセイヤが日本刀への道を歩み始める一方で。
第二王女アイリスもまた、恋する冒険者への第一歩を踏み出していた。
もっとも――その道は、前途多難であることを、まだ本人だけが理解していなかった。
剣の腕はまだまだ未熟。
体力も不足。
王女という立場は、自由を許してくれない。
だが、それでも。
恋を知った少女は強い。
そして職人の夢を抱いた青年もまた、止まらない。
二人の道は、まだ交わったばかり。
けれど確かに、少しずつ同じ未来へ向かって動き始めていた。
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第一章 第十八話
王女、冒険者を目指す
――続く。




