第百三十六話 蒼氷の霊樹
第二結界が砕け散った、その直後だった。
――ゴォォォォォォォッ!!
山全体が咆哮を上げたかのような轟音が響く。
雪崩にも似た振動が足元から伝わり、ルミナスの深森で感じたものと同じ「世界樹の鼓動」が、大地を震わせていた。
しかし、その鼓動はどこか苦しげだった。
まるで誰かが胸を締めつけられながら、必死に呼吸をしているような――そんな痛々しい響きだった。
「……苦しんでいる」
エミリアが胸に手を当てる。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「蒼氷の霊樹が……助けを求めています」
フィリアも唇を噛み締める。
「急ぎましょう!」
「第三結界が完全に閉じる前に!」
◇◇◇
四人は雪山最深部への坂道を駆け上がった。
途中には倒れた石柱。
砕けた古代遺跡。
雪に埋もれた祭壇。
どれも何百年、あるいは何千年もの時を経てなお、霊樹を守り続けてきた神聖な遺構だった。
しかし今、その多くには蛇の牙の紋章が刻まれている。
黒い魔法陣。
翡翠色に濁った結晶。
聖なる場所は、完全に穢されていた。
「許せないな……」
セシリアが低く呟く。
「こんな場所まで汚すなんて」
ビルセイヤも無言で頷いた。
彼の握る白枝が微かに震えている。
怒りなのか。
あるいは霊樹との共鳴なのか。
その両方だった。
◇◇◇
やがて。
森が途切れた。
目の前に巨大な盆地が広がる。
「……!」
誰もが息を呑んだ。
そこには一本の巨大な樹が立っていた。
空を突くほど高い幹。
純白の樹皮。
青く輝く葉。
枝先には、まるで氷の結晶から生まれたような花々が咲いている。
本来なら、神話そのもののような美しい光景だっただろう。
だが――。
その幹の半分以上が、黒い翡翠色の亀裂に覆われていた。
根元には無数の黒い結晶。
枝葉は苦しむように震え、青い葉が一枚、また一枚と散っていく。
「蒼氷の霊樹……」
フィリアが震える声で呟いた。
「母なる樹……」
◇◇◇
その瞬間。
白枝が強く輝いた。
ビルセイヤの懐にある白き霊樹の加護枝も共鳴する。
さらに。
フィリアの蒼氷の杖も青白い光を放った。
三つの光。
白。
蒼。
淡い翠。
それらが互いに引き寄せられるように共鳴を始める。
「霊樹同士が……」
エミリアは驚きに目を見開く。
「語り合っています」
フィリアは静かに目を閉じた。
「聞こえます」
「蒼氷の霊樹の声が」
◇◇◇
――助けて。
小さな少女のような声だった。
――痛い。
――眠りたい。
――もう苦しい。
その声はビルセイヤにも届いた。
「これが……」
世界樹に連なる霊樹の声。
白枝を握る右手へ、悲しみが流れ込んでくる。
何百年も耐え続けた苦痛。
精霊たちを守り続けた孤独。
それでも倒れなかった強さ。
全てが胸へ伝わってくる。
「安心しろ」
ビルセイヤは静かに呟いた。
「必ず助ける」
その言葉に応えるように、霊樹の枝が微かに揺れた。
◇◇◇
しかし。
その静寂は長く続かなかった。
ゴゴゴゴ……。
霊樹の根元に埋め込まれていた巨大な黒い結晶が脈動を始める。
翡翠色の光が一気に広がった。
「来ます!」
フィリアが叫ぶ。
次の瞬間。
霊樹の根元から、巨大な人影が立ち上がった。
高さは十メートルを超える。
全身が黒い氷で覆われた騎士。
胸には巨大な蛇の紋章。
その両目には、禍々しい翡翠色の炎が宿っていた。
「これは……!」
ツバサが剣を抜く。
「守護者か!?」
「違います!」
フィリアが首を振る。
「あれは本来、霊樹を守る守護騎士です!」
「蛇の牙に穢されてしまった……!」
◇◇◇
守護騎士はゆっくりと大剣を持ち上げる。
その剣だけで、普通の家ほどの大きさがあった。
空気が震える。
圧倒的な威圧感。
まるで山そのものが敵になったかのようだった。
「ビルセイヤ」
セシリアが静かに言う。
「私たちで道を作る」
「あなたは霊樹を」
ビルセイヤは仲間を見渡した。
セシリア。
エミリア。
ツバサ。
フィリア。
全員が迷いなく頷いている。
「分かった」
白枝を構える。
「必ず救う」
◇◇◇
その時。
遠くの祭壇の上から、拍手が聞こえた。
パン。
パン。
パン。
《氷蛇》ヴァイスだった。
彼は笑みを浮かべながら立っている。
「見事です」
「ここまで辿り着いた者は、あなた方が初めてですよ」
ヴァイスは杖を静かに掲げた。
「ですが」
「第三結界は、もはや止まりません」
祭壇全体が翡翠色に染まる。
巨大な魔法陣が霊樹を包み込む。
その中心には、これまで見たどの結界核よりも巨大な黒い結晶が浮かんでいた。
「第三結界の核……!」
フィリアの顔が青ざめる。
「あれを壊さなければ……」
「霊樹は完全に侵食されます!」
ビルセイヤは静かに息を吸った。
守護騎士。
ヴァイス。
第三結界。
三つの障害が、霊樹への道を塞いでいる。
だが。
彼の心に迷いはなかった。
「行くぞ」
白枝が眩く輝く。
飛天御剣流の構え。
白き霊樹と蒼氷の霊樹、二つの加護が彼の剣へ宿る。
第二章最大の決戦が、ついに幕を開けようとしていた。
――続く。
次回、第百三十七話「穢された守護騎士」。
ビルセイヤたちは、蛇の牙によって操られた霊樹の守護騎士との激闘に挑みます。その戦いの先で、《氷蛇》ヴァイスとの決着、そして蒼氷の霊樹を救う最後の戦いが始まります。第二章は、いよいよ最終決戦へ突入します。




