第百三十三話 氷蛇ヴァイス
第一結界が砕け散った。
翡翠色に染まっていた雪原は、本来の純白を取り戻し始める。
苦しげだった精霊たちの声も、わずかながら穏やかさを取り戻していた。
しかし――。
「まだ終わりではありません」
蒼雪の巫女フィリアは、北方の山頂を見つめた。
「蒼氷の霊樹へ続く結界は、あと二つ」
「その先に、蛇の牙の幹部がいる」
ビルセイヤは白枝を静かに鞘へ納める。
「なら進むだけだ」
その時だった。
ゴォォォォ……。
突然、山頂から吹き下ろす風が一変した。
先ほどまでの自然な冷気ではない。
刃のように鋭い冷気が、四人の頬を切り裂くように吹き抜ける。
「これは……!」
エミリアが思わず身構える。
「魔力を含んだ吹雪です!」
雪煙が渦を巻く。
白い世界の中心に、一人の人影がゆっくりと姿を現した。
◇◇◇
男は細身だった。
白銀の長髪。
氷のように冷たい青白い肌。
漆黒の外套には、蛇の牙の紋章。
その手には、透き通る蒼い氷の杖が握られている。
男は静かに微笑んだ。
「初めまして」
「白き霊樹を救った英雄たち」
その笑みには温かさなど一切ない。
あるのは、獲物を見つけた捕食者の愉悦だけだった。
「貴様が……」
ツバサが剣を抜く。
「蛇の牙か」
「ええ」
男は優雅に一礼する。
「蛇の牙・第三幹部」
「《氷蛇》ヴァイス」
その名を聞いた瞬間、フィリアの顔色が変わった。
「やっぱり……」
ヴァイスは少女へ視線を向ける。
「蒼雪の巫女」
「まだ生きていたとは」
その言葉に、フィリアは杖を強く握った。
「あなたが……」
「私たちの村を……」
「焼いた」
ヴァイスは否定しなかった。
むしろ楽しげに笑う。
「抵抗したからですよ」
「世界は変わる」
「そのための犠牲です」
ビルセイヤの目が鋭く細められる。
「命を犠牲としか見ていないのか」
「もちろんです」
ヴァイスは即答した。
「世界樹が目覚め、新しい世界が始まれば」
「人など、いくらでも作り直せますから」
その一言で、空気が凍りついた。
◇◇◇
「ふざけるな」
ビルセイヤが一歩前へ出る。
白枝へ手を添える。
「人の命を、そんな風に扱うな」
「怒りましたか?」
ヴァイスは楽しそうに笑う。
「実に人間らしい」
「ですが安心してください」
「あなた方も、間もなくその価値観を捨てることになります」
杖を静かに掲げる。
同時に、周囲の雪が浮かび上がった。
「《氷雪牢界》」
ゴゴゴゴゴ……。
雪原から巨大な氷壁が次々と立ち上がる。
瞬く間に四方を囲まれた。
「閉じ込められた!」
セシリアが盾を構える。
壁の高さは二十メートル以上。
完全な氷の迷宮だった。
◇◇◇
「ただの壁じゃありません!」
エミリアが叫ぶ。
「精霊の流れが遮断されています!」
フィリアも頷く。
「巫女の結界術を逆転利用した魔法です!」
ヴァイスは満足そうに微笑む。
「よく勉強していますね」
「ですが、理解したところで意味はありません」
パチン、と指を鳴らす。
すると氷壁の中から、無数の氷像が歩き始めた。
狼。
熊。
鳥。
そして騎士。
全てが氷でできた魔物だった。
「今度は全部まとめてか」
ツバサが苦笑する。
「歓迎が派手だな」
◇◇◇
「セシリア!」
「任せて!」
盾を構え、最初の氷熊を受け止める。
轟音。
氷片が飛び散る。
「重い!」
普段の魔物以上の重量。
だが押し返せないほどではない。
「エミリア!」
「はい!」
風の精霊が集まる。
矢が放たれる。
氷鳥が次々と撃ち落とされる。
ツバサも横へ回り込み、氷狼を次々と斬り伏せる。
しかし。
砕けた氷がまた集まり、元の姿へ戻っていく。
「再生する!」
「核があります!」
フィリアが叫ぶ。
「胸の中心です!」
◇◇◇
ビルセイヤは周囲を見渡す。
敵は無数。
だが。
ヴァイス本人は動かない。
遠くから静かに見下ろしているだけ。
「試してるな」
ビルセイヤは呟く。
「俺たちの力を」
ヴァイスは小さく拍手した。
「素晴らしい洞察力です」
「その通り」
「私はあなたを観察しています」
「世界樹に選ばれた剣士」
「どこまで成長するのか」
その言葉に、ビルセイヤは静かに白枝を抜いた。
「なら」
刀身へ風が集まる。
さらに、白き霊樹から授かった加護枝が淡く輝いた。
「見せてやる」
「俺の剣を」
白い光が雪原を照らす。
ヴァイスの笑みが、初めてわずかに揺らいだ。
「ほう……」
「その力は予想以上ですね」
雪山を吹き荒れる吹雪の中。
英雄と蛇の牙幹部。
二人は静かに互いを見据える。
本格的な決戦は、今まさに始まろうとしていた。
――続く。
次回、第百三十四話「飛天御剣流、雪嵐を裂く」。
ビルセイヤは《氷蛇》ヴァイスとの本格的な戦闘に突入します。一方、セシリア、エミリア、ツバサ、フィリアは氷雪牢界の核を破壊するため、それぞれの役割を果たす戦いへ挑みます。




