第百三十一話 雪原の巫女
白銀橋での戦いから一夜明けた。
ノースリッジの町は、久しぶりに穏やかな朝を迎えていた。
翡翠色に侵されたアイスウルフの群れは姿を消え、街道は再び人々が行き交い始めている。
だが、ビルセイヤたちに休む時間はなかった。
昨夜、雪山の奥で立ち上った巨大な翡翠色の光柱。
世界樹羅針盤が示した北。
すべてが、蒼氷の霊樹で新たな異変が起きていることを示していた。
◇◇◇
「準備はいいか?」
ビルセイヤが仲間たちを見回す。
「いつでも」
セシリアは盾を背負い直しながら答える。
「保存食も補充したし、防寒具も問題なし」
「精霊たちも北を見ています」
エミリアは静かに呟く。
「急ぎましょう」
「雪崩だけは勘弁してほしいけどな」
ツバサが苦笑する。
「相手が蛇の牙なら、それくらい起こしかねない」
四人はノースリッジを後にし、さらに北へ続く山道へ足を踏み入れた。
◇◇◇
昼過ぎ。
街道は次第に雪へ覆われ始める。
草原は白銀の世界へ変わり、木々には厚い雪が積もっていた。
風は冷たく、吐く息は白い。
それでもビルセイヤたちは歩みを止めない。
「静かね」
セシリアが辺りを見回した。
「魔物の気配がない」
「逆に不気味です」
エミリアが眉をひそめる。
「精霊たちも、息を潜めています」
その時だった。
――カラン。
かすかな鈴の音が風に乗る。
全員が立ち止まった。
「誰かいる」
ビルセイヤが剣の柄へ手を添える。
吹雪の向こう。
白い雪煙の中から、一つの人影が現れた。
◇◇◇
それは、一人の少女だった。
年の頃は十六、七歳。
長い銀色の髪は雪景色へ溶け込むほど白く、澄んだ蒼い瞳が印象的だった。
白と水色を基調とした巫女装束をまとい、手には蒼い水晶が埋め込まれた長杖を持っている。
その姿は、雪山そのものが人になったような美しさだった。
少女は四人を見ると、小さく頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「……俺たちを?」
ビルセイヤが尋ねる。
「はい」
少女は静かに頷く。
「白き霊樹から風に乗って知らせが届きました」
エミリアが息を呑む。
「霊樹同士で……?」
「繋がっているのです」
少女は微笑んだ。
「私はフィリア」
「蒼氷の霊樹を守る一族、《蒼雪の巫女》です」
◇◇◇
「蒼雪の巫女……」
セシリアが呟く。
フィリアは少しだけ寂しそうに笑った。
「今は、その最後の一人ですが」
「最後?」
ツバサが眉をひそめる。
フィリアは雪山の奥を見つめた。
「蛇の牙が来ました」
「三日前です」
「村は?」
ビルセイヤが静かに問う。
「焼かれました」
短い返事だった。
だが、その言葉だけで十分だった。
「皆さんは私を逃がすために戦い……」
フィリアは唇を噛む。
「戻ってきませんでした」
重い沈黙が流れる。
◇◇◇
「蛇の牙は何をしている?」
ビルセイヤが問いかける。
フィリアは杖を強く握った。
「蒼氷の霊樹を無理やり目覚めさせようとしています」
「白き霊樹と同じか」
セシリアが言う。
「少し違います」
フィリアは首を振った。
「蒼氷の霊樹は眠ることで世界の寒気を制御しています」
「眠ることで?」
エミリアが興味深そうに尋ねる。
「はい」
「もし完全に目覚めれば」
「北方全域が永久凍土になります」
「!」
ツバサが目を見開く。
「それって……」
「王国北部すべてが雪に埋もれます」
フィリアは静かに答えた。
「畑も村も町も」
「全部です」
◇◇◇
「蛇の牙の目的は?」
ビルセイヤが続ける。
「まだ分かりません」
「ですが」
フィリアは空を見上げる。
「彼らは何度も言っていました」
『世界樹の均衡を崩す』
『六つの霊樹が目覚めれば、新たな世界が始まる』
その言葉にエミリアの表情が変わる。
「六つ……」
「やっぱり全部の霊樹を狙っている」
ビルセイヤも頷く。
白き霊樹。
蒼氷の霊樹。
そして巡礼記に記されていた残る四つ。
すべてを巡る戦いになる。
◇◇◇
その時だった。
世界樹羅針盤が淡く震え始める。
さらに。
ビルセイヤの荷袋へ入れていた《白き霊樹の加護枝》も優しい光を放った。
「反応してる」
フィリアが驚く。
「その枝……」
「白き霊樹から託された」
ビルセイヤが答える。
フィリアは目を潤ませた。
「間に合ったんですね」
「白き霊樹様は……助かったんですね」
「ああ」
ビルセイヤは静かに頷く。
「だから今度は蒼氷の霊樹を助ける」
フィリアは深く頭を下げた。
「どうか、お力を貸してください」
「もちろんです」
エミリアが優しく微笑む。
「精霊たちも、あなたを待っていました」
◇◇◇
フィリアは雪へ杖を突き立てる。
すると蒼い光が広がり、一枚の氷の地図が現れた。
「これは……」
セシリアが驚く。
「霊樹の結界図です」
フィリアは説明を始めた。
「ここが現在地」
氷の地図に青い光が灯る。
「そしてここが《蒼氷の霊樹》」
さらに奥。
巨大な氷山の中心が輝いた。
「ですが」
その周囲には黒い光が三つ。
「蛇の牙の拠点です」
ツバサが眉をひそめる。
「三つ?」
「はい」
「三方向から結界を侵食しています」
「つまり」
ビルセイヤは地図を見つめる。
「全部壊さなければ霊樹へ辿り着けない」
「その通りです」
フィリアは頷いた。
「しかも、それぞれを守る幹部がいます」
雪山を吹き抜ける風が強くなる。
遠く。
山頂付近で再び翡翠色の光が瞬いた。
蒼氷の霊樹は、今も苦しみ続けている。
ビルセイヤは白枝へ手を添えた。
「急ごう」
「これ以上苦しませるわけにはいかない」
その言葉に仲間たちも力強く頷く。
白き霊樹を救った英雄たちは、新たな守護者――蒼雪の巫女フィリアを仲間に迎え、雪山の最深部へ向かって歩き出した。
そこには、蛇の牙の新たな幹部と、蒼氷の霊樹を巡る激しい戦いが待ち受けている。
――続く。
次回、第百三十二話「氷雪結界」。
ビルセイヤたちはフィリアの案内で雪山最深部へ向かいます。しかし道中には蛇の牙が張り巡らせた「氷雪結界」が待ち受け、最初の幹部との戦いが始まります。




