第百三十話 白銀橋の攻防
白銀橋。
フロストヴェールへと続く街道最大の石橋は、今や雪と血で染まりつつあった。
橋の中央では、二台の荷馬車を守る護衛冒険者たちが必死に剣を振るっている。
しかし、その表情には疲労の色が濃い。
相手は二十体を超えるアイスウルフの群れ。
しかも、その全てが翡翠色の魔力に侵され、通常種を遥かに上回る力を持っていた。
「もう駄目だ……!」
一人の冒険者が膝をつく。
牙を剥いたアイスウルフが飛びかかった、その瞬間――
「間に合った!」
鋭い声とともに、一閃。
銀色の軌跡が雪原を走り、飛びかかった魔物が真っ二つになる。
「なっ!?」
護衛たちが目を見開いた。
白枝を構えたビルセイヤが、橋の上へ降り立っていた。
「全員、下がれ!」
短い声。
それだけで、場の空気が変わる。
◇◇◇
「セシリア!」
「任せて!」
セシリアは盾を構え、一気に前へ飛び出す。
身体強化を纏った盾が先頭の三体を正面から受け止めた。
轟音。
雪が舞い上がる。
「硬い!」
普段のアイスウルフなら、この一撃で吹き飛ぶ。
しかし、翡翠色に侵された個体は違う。
まるで痛みを感じないかのように牙を剥き続ける。
「でも!」
セシリアは笑った。
「止めるくらいなら十分よ!」
◇◇◇
「エミリア!」
「はい!」
エミリアは橋の欄干へ飛び乗る。
弓を引く。
風の精霊が集まり、矢へ宿る。
「風よ――」
透明な魔力が矢を包む。
「《ウィンドアロー》!」
放たれた矢は三本へ分裂。
さらに空中で六本へ。
正確にアイスウルフの肩、脚、首元を射抜いていく。
「すごい……」
護衛冒険者の一人が呆然と呟いた。
「全部急所だ……」
◇◇◇
「じゃあ俺も!」
ツバサは雪を蹴る。
低い姿勢から群れの横へ潜り込む。
抜刀。
一閃。
二閃。
三閃。
無駄のない剣筋が、アイスウルフたちの脚を次々と断っていく。
「動けなくなれば!」
振り返りざまに蹴りを放つ。
一体が雪煙を上げながら吹き飛んだ。
「怖くねぇだろ!」
◇◇◇
一方――
ビルセイヤは群れの中央へ向かっていた。
視線の先。
そこには巨大なアイスウルフロード。
白銀の体毛。
胸元を走る翡翠色の亀裂。
全身から黒緑色の魔力が噴き出している。
「グルルルル……」
低い唸り。
しかし、その瞳の奥には苦しみが見えた。
「……お前も被害者か」
ビルセイヤは静かに剣を構える。
狼は咆哮した。
轟音が雪山へ響く。
次の瞬間。
地面が弾けるほどの勢いで突進してきた。
「速い!」
セシリアが叫ぶ。
通常種とは比べ物にならない。
だが。
ビルセイヤもまた前へ出る。
身体強化。
風魔法。
両方を同時に発動。
世界が一瞬だけ静止したように感じる。
そして――
交錯。
キィィィン!
白枝が牙を受け止めた。
衝撃で雪が吹き飛ぶ。
「力も強いな」
狼は再び飛び退く。
すぐに二度目の突撃。
今度は左右へ細かく動きながら距離を詰めてくる。
「学習してる!」
ツバサが驚く。
「普通の魔物じゃねぇ!」
◇◇◇
その時だった。
「ビルセイヤ!」
エミリアが叫ぶ。
「胸です!」
「胸?」
「翡翠色の亀裂!」
「そこだけ精霊の気配が違います!」
ビルセイヤは目を凝らす。
確かに。
胸元だけ魔力が集中している。
「核か」
あそこが侵食の中心。
壊せば助けられるかもしれない。
「セシリア!」
「了解!」
言葉はそれだけで十分だった。
セシリアが正面へ飛び込む。
「こっちよ!」
盾を叩き、狼の注意を引く。
怒り狂ったアイスウルフロードが牙を剥く。
その一瞬。
ビルセイヤが背後へ回った。
「風よ」
白枝へ風魔法を纏わせる。
さらに火属性を重ねる。
青白い刃が黄金色へ染まる。
「飛天御剣流――」
腰を落とす。
一歩。
踏み込む。
「龍翔閃!」
轟音。
炎と風を纏った斬撃が、狼の胸元を正確に切り裂いた。
翡翠色の核へ届く。
パリン――
ガラスが割れるような音。
胸元の翡翠色が砕け散る。
「ガァァァァ!」
狼は苦しげな叫びを上げた。
だが。
その叫びは次第に穏やかになる。
翡翠色の瞳が、元の蒼い瞳へ戻っていく。
やがて。
巨大な体は静かに雪の上へ横たわった。
◇◇◇
残るアイスウルフたちも変化した。
翡翠色の光が消え。
一斉に動きを止める。
そして――
森の方へ走り去っていった。
「終わった……?」
冒険者の一人が呟く。
静寂。
吹雪だけが雪原を吹き抜ける。
◇◇◇
ビルセイヤは倒れたアイスウルフロードへ近付く。
狼は最後の力で顔を上げた。
蒼い瞳。
もう苦しみはない。
「グゥ……」
静かな鳴き声。
まるで礼を言うようだった。
「安心しろ」
ビルセイヤはその額へ手を置く。
「もう終わった」
狼はゆっくりと目を閉じる。
その身体は淡い光となり、雪へ溶けるように消えていった。
残されたのは――
一つの蒼い魔石。
「浄化された……」
エミリアが静かに呟く。
「世界樹に近い力が、侵食だけを消したんです」
◇◇◇
その時。
ビルセイヤの懐に入れていた世界樹羅針盤が突然震えた。
「!」
針が激しく回転する。
止まった方角は――
北。
フロストヴェール。
そして同時に。
遥か雪山の彼方で。
巨大な翡翠色の光柱が天を貫いた。
「またか!」
ツバサが空を見上げる。
エミリアの顔色が変わる。
「違います!」
「あれは今までよりずっと強い!」
冷たい風が吹き荒れる。
吹雪が一気に勢いを増した。
まるで雪山全体が悲鳴を上げているようだった。
ビルセイヤは羅針盤を握り締める。
「蒼氷の霊樹が危ない」
その一言に、仲間たちは力強く頷いた。
白銀橋の戦いは終わった。
しかし、本当の戦いはまだ始まったばかり。
蛇の牙はすでに雪山の奥深くへ到達している。
蒼氷の霊樹を巡る新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
――続く。
次回、第百三十一話「雪山への道」。
フロストヴェールへ向かうビルセイヤたちは、雪山の集落で《蒼氷の巫女》と出会います。彼女は蒼氷の霊樹を代々守る一族の生き残りであり、蛇の牙の真の目的を語り始めます。




