第百二十八話 北へ続く約束
王都アルティア。
蛇の牙が再び暗躍し、『世界樹巡礼記』を奪い去った翌日。
王城では、慌ただしく次の遠征準備が進められていた。
目的地は、王国北方の雪山地帯――フロストヴェール。
そこには、巡礼記に記されていた第二の霊樹、《蒼氷の霊樹》が眠っているという。
蛇の牙もまた、そこを目指している可能性が高い。
時間との勝負だった。
◇◇◇
王城中庭。
朝露に濡れた石畳の上で、ビルセイヤは装備を点検していた。
腰には愛刀《白枝》。
背には予備の片手剣。
腰袋には鍛冶道具と砥石、薬草、魔力回復薬。
「本当に最低限なの?」
呆れた声が飛ぶ。
振り返ると、セシリアが腕を組んで立っていた。
「最低限だ」
「鍛冶道具一式を最低限って言う人、初めて見たわ」
「刃物は手入れしないと意味がない」
「そこは否定しないけど……」
セシリアは苦笑した。
その横ではエミリアが旅の荷を確認している。
「保存食は七日分。
飲み水は途中で補給できます。
防寒具も問題ありません」
「雪山だからな」
ツバサが分厚い毛皮の外套を肩へ掛ける。
「今度は寒さとの戦いか」
「暑いよりはマシだ」
ビルセイヤが短く答える。
「そういう問題か?」
ツバサが笑う。
いつも通りのやり取り。
だが、その空気が皆の緊張を少しだけ和らげていた。
◇◇◇
「ビルセイヤさん!」
聞き慣れた声が響く。
中庭へ駆け込んできたのはアイリスだった。
今日は訓練着姿ではない。
王女としての正装を身にまとっている。
しかし、その胸には変わらず翡翠の枝杖が抱えられていた。
「出発前に間に合いました!」
少し息を切らせながら微笑む。
「今日は王女らしい格好なんだな」
ビルセイヤが言うと、
「今日はお見送りですから!」
アイリスは胸を張った。
その後ろからシリスが優雅に歩いてくる。
「朝から鏡の前で三十分も悩んでいましたのよ?」
「お姉様!」
「可愛らしかったですわ」
「言わないでください!」
真っ赤になるアイリス。
セシリアたちは思わず笑みをこぼした。
◇◇◇
やがてライオット国王と王妃たち、ウィルも姿を見せる。
「準備は整ったようだな」
「はい」
ビルセイヤが頷く。
ライオットは静かに一本の木箱を差し出した。
「これは?」
「王家の保管庫にあった物だ」
蓋を開く。
中には、美しい銀色の方位盤が収められていた。
中央には世界樹を思わせる意匠。
周囲には古代文字が刻まれている。
「世界樹羅針盤」
ミリア王妃が説明する。
「古くから王家へ伝わる魔道具です」
「霊樹に反応する、と伝えられています」
ビルセイヤは慎重に手に取った。
すると針がゆっくりと回転し――
北。
まっすぐ一点を指した。
「……反応した」
エミリアが驚く。
「蒼氷の霊樹でしょうか」
「可能性は高い」
ライオットが頷く。
「巡礼記が失われた今、おそらくこれがお前たち最大の道標になる」
「ありがとうございます」
ビルセイヤは深く頭を下げた。
◇◇◇
「ビルセイヤさん」
アイリスが小さく声を掛ける。
「少しいいですか?」
二人は中庭の端へ歩く。
風が若葉を揺らす。
アイリスは枝杖を見つめながら、小さく笑った。
「白き霊樹……助かって、本当によかったです」
「ああ」
「枝杖も、最近はよく笑うんです」
「笑う?」
「えへへ」
枝杖を抱き締める。
「なんとなく分かるんです」
「嬉しい時は温かくて。
悲しい時は少し冷たくて」
ビルセイヤは静かに枝杖を見る。
確かに若葉は柔らかな光を放っていた。
「成長してるな」
「私もです!」
アイリスが力強く言う。
「毎日訓練しています!」
「ウィル兄様、全然手加減してくれません!」
「それは良いことだ」
「えぇ〜」
思わず頬を膨らませる。
「でも」
アイリスは真剣な表情になる。
「今度会う時は、もっと強くなっています」
「楽しみにしてる」
「はい!」
◇◇◇
その時だった。
枝杖が淡く光る。
若葉から一枚の小さな翡翠色の葉が舞い落ちた。
「え?」
アイリスが驚く。
葉は風に乗り、ゆっくりとビルセイヤの前へ。
そして、その手のひらへ静かに乗った。
「これは……」
葉は消えない。
宝石のような透明感を保ったまま、小さな光を宿している。
エミリアが目を見開いた。
「世界樹の祝福……」
「祝福?」
「霊樹が自ら葉を授けるのは、ごく稀なことです」
ライオットも驚きを隠せない。
「そんな記録は見たことがない」
アイリスは少し照れくさそうに笑う。
「枝杖が……
"これも持っていって"って言ってる気がします」
ビルセイヤは葉を大切に革袋へ納めた。
「預かる」
「はい」
「必ず持って帰ってきます」
アイリスは嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
王城正門。
見送りの兵士たちが整列する。
ウィルが前へ出た。
「戻ったら約束の試合だ」
「ああ」
「逃げるなよ」
「そっちこそ」
二人は小さく笑った。
シリスは扇子で口元を隠す。
「本当に仲がよろしいですこと」
「違います」
二人同時の返事に、周囲から笑いが起こる。
◇◇◇
「それでは」
ビルセイヤは仲間を見渡した。
「行こう」
セシリア。
エミリア。
ツバサ。
三人が力強く頷く。
四人は王都を後にした。
「ビルセイヤさん!」
背後からアイリスの声が響く。
振り返る。
アイリスは枝杖を掲げ、大きく手を振っていた。
「無事に帰ってきてください!」
「ああ!」
「約束ですよ!」
「約束だ!」
その返事を聞き、アイリスは満面の笑みを浮かべた。
若葉が風に揺れる。
北から吹く冷たい風が、旅立つ四人の背中を押した。
目指すは北方雪山フロストヴェール。
そこには新たな霊樹と、新たな蛇の牙の陰謀が待っている。
世界樹を巡る旅は、新たな局面へ。
ビルセイヤたちは、王都アルティアを後にし、雪と氷の大地へ向かって歩き始めるのだった。
――続く。
第二章・北方霊樹編が開幕しました。
次回、第百二十九話では、北へ向かう街道で新たな仲間との出会い、そして雪山で発生している異変の詳細が明らかになります。




