第百二十六話 白き霊樹の加護枝
白き霊樹の加護枝と、アイリスの翡翠の枝杖。
二つが共鳴した瞬間、応接室は柔らかな翡翠色の光に包まれた。
光は暖かく、眩しさはない。
春の日差しのような優しい輝きだった。
「きれい……」
アイリスが思わず呟く。
胸に抱えた枝杖は、小さく震えるように光を放ち、白き霊樹の加護枝へ向かって若葉をゆっくりと揺らしていた。
まるで再会を喜ぶように。
あるいは、離れ離れだった家族を見つけたように。
「これは……」
ライオット国王も目を見開く。
シズク王妃は思わず胸元へ手を当て、シリスも扇子を閉じたまま光景を見つめている。
ウィルだけは静かに目を細めた。
「本当に、生きているようだな」
「ああ」
ビルセイヤは小さく頷いた。
「ルミナスの深森で、白き霊樹から託された枝です」
その言葉で、部屋の空気が変わった。
「白き霊樹……」
ライオット国王が静かに呟く。
「話を聞かせてもらおう」
「はい」
ビルセイヤは一礼した。
◇◇◇
応接室の机には、ガルディア辺境伯ダリウスから預かった封書が広げられていた。
ビルセイヤは王都を出てから今日までの出来事を、一つひとつ丁寧に説明していく。
ガルディアで起きていた異変。
翡翠に侵された魔物。
白枝の泉。
蛇の牙。
黒杭。
森の民。
そして、白き霊樹。
部屋の誰一人として口を挟まない。
静かに耳を傾けていた。
「……以上です」
話し終えた頃には、部屋は重苦しい沈黙に包まれていた。
「まさか……」
シズク王妃が小さく息を呑む。
「世界樹へ繋がる霊樹が、本当に存在していたなんて……」
「しかも蛇の牙が狙っていた」
ウィルの表情も険しい。
「父上」
「ああ」
ライオット国王は重々しく頷いた。
「事態は、想像以上だ」
◇◇◇
その時だった。
アイリスがそっと手を挙げた。
「あの……」
「どうした?」
ライオット国王が尋ねる。
アイリスは少しだけ遠慮がちに、白き霊樹の加護枝を見つめた。
「その枝……触っても、いいですか?」
ビルセイヤは少しだけ微笑み、加護枝を差し出した。
「もちろんだ」
「ありがとうございます」
アイリスは両手で丁寧に受け取る。
その瞬間だった。
白き霊樹の加護枝が淡く輝き、アイリスの枝杖も強く共鳴した。
翡翠色の光が部屋いっぱいへ広がる。
「えっ?」
アイリスが驚く。
加護枝から、小さな光の粒が浮かび上がった。
その粒はゆっくりと枝杖へ吸い込まれていく。
すると――
カサリ。
枝杖の先端から、新しい若葉が一枚芽吹いた。
「増えた……!」
セシリアが目を見開く。
「本当に成長したわ」
「そんな……」
アイリスは震える声で枝杖を見つめた。
「昨日まで一枚だったのに……」
今、若葉は二枚になっていた。
しかも枝そのものも少しだけ長くなっている。
「成長してる」
エミリアが優しく微笑む。
「白き霊樹が認めた証ですね」
◇◇◇
すると、アイリスは突然目を閉じた。
「アイリス?」
シズク王妃が心配そうに声を掛ける。
だがアイリスはゆっくり首を振る。
「……何か、聞こえる」
「聞こえる?」
ビルセイヤが問う。
アイリスは静かに頷いた。
「風の音じゃない……」
翡翠色の光が、さらに柔らかく揺れる。
部屋の全員が息を呑んだ。
「"ありがとう"って……」
その言葉に、エミリアが目を見開いた。
「まさか……」
「白い木……」
アイリスは小さく呟く。
「白い木が、お礼を言ってる」
部屋は完全に静まり返った。
世界樹の声。
いや、正確には白き霊樹の想い。
それを受け取ったのだ。
「継承者候補だから……」
ビルセイヤは静かに言った。
「枝を通して繋がったんだ」
エミリアも頷く。
「精霊魔法とは違います。
これはもっと深い……
世界樹の系譜だけが持つ繋がりです」
◇◇◇
アイリスはゆっくり目を開けた。
その瞳には、ほんの少しだけ翡翠色の光が宿っていた。
「ビルセイヤさん」
「なんだ?」
「白い木が……」
アイリスは少し考えるように言葉を選ぶ。
「"まだ終わってない"って」
ライオット国王の表情が変わる。
「まだ終わっていない?」
「はい」
アイリスは頷いた。
「"根は繋がっている"
"白だけではない"
……そんな感じです」
ビルセイヤは加護枝を見る。
白き霊樹が最後に言っていた。
世界樹の根は世界中へ伸びている、と。
「つまり……」
ウィルが低く言う。
「ルミナスの深森だけでは終わらない」
「ああ」
ビルセイヤは頷いた。
「他にも世界樹へ繋がる場所がある」
ライオット国王は静かに立ち上がる。
「ならば王国だけの問題では済まんな」
◇◇◇
その時、応接室の扉が叩かれた。
「失礼します!」
近衛騎士が慌ただしく入ってくる。
「陛下!」
「どうした?」
「昨夜の侵入事件について、新しい報告です!」
部屋の空気が一変した。
「話せ」
「古文書庫から、一冊だけ本がなくなっております!」
「何だと?」
ライオット国王が立ち上がる。
「何の本だ?」
騎士は息を整えながら答えた。
「題名は――」
一瞬、部屋が静まり返る。
「『世界樹巡礼記』でございます」
ビルセイヤの目が鋭くなる。
世界樹巡礼記。
名前からして偶然とは思えない。
「内容は?」
「まだ確認中ですが、王家の古い探索記録らしく……」
ウィルが拳を握る。
「蛇の牙の狙いは、それだったのか」
「いや」
ビルセイヤは静かに首を振った。
「違う」
「?」
「本そのものじゃない」
ビルセイヤはアイリスを見る。
「世界樹の場所を知るための地図だ」
部屋の全員が息を呑んだ。
「奴らは次の霊樹を探し始めている」
◇◇◇
ライオット国王は深く息を吸い、静かに命じた。
「ウィル」
「はい」
「王都の警戒をさらに強化せよ。
古文書庫は全面封鎖。
関係者以外立入禁止だ」
「承知しました」
「シリス」
「はい、お父様」
「各貴族へ極秘通達。
王都への出入りを厳重に管理する」
「かしこまりました」
「マリア」
「はい」
「アイリスから目を離すな」
「命に代えましても」
最後にライオット国王はビルセイヤを見る。
「ビルセイヤ殿」
「はい」
「君には、もう一つ頼みたいことがある」
その声は国王としてではなく、
一人の父としての願いが滲んでいた。
「アイリスを守ってくれ」
ビルセイヤは少しだけ考え、
静かに頷く。
「守ります」
そして続けた。
「でも、それだけじゃありません」
「?」
「アイリス王女自身が、自分を守れるようにします」
アイリスは驚いたようにビルセイヤを見る。
「そのために三か月の約束があります」
ビルセイヤは微笑んだ。
「だから今は、訓練を続けてください」
アイリスは枝杖を強く握る。
若葉が、小さく揺れた。
「はい!」
その返事は、
以前よりずっと力強かった。
王都へ戻ったことで終わった旅ではない。
むしろ、ここから新たな戦いが始まる。
世界樹巡礼記を奪った蛇の牙。
次なる霊樹。
そして、世界樹の継承者候補であるアイリス。
王都アルティアは静かに、
次なる嵐を迎えようとしていた。
――続く。
第二章・王都帰還編が本格始動しました。
次回、第百二十七話では、盗まれた『世界樹巡礼記』の内容を調査し、蛇の牙が狙う「第二の霊樹」の存在が明らかになります。また、アイリスの新たな修行も始まります。




