第百二十五話 王都に迫る黒き影
夕暮れ。
ビルセイヤたちは、再び王都アルティアの正門をくぐった。
数日前に旅立ったばかりだというのに、王都の空気はどこか違う。
門の前には以前の倍近い兵士が立ち、荷馬車や旅人一人ひとりを丁寧に確認している。
城壁の上にも見張りが増え、弓兵たちが周囲を警戒していた。
「やっぱり警備が厳しくなってるな」
ツバサが小さく呟く。
「ああ」
ビルセイヤは頷いた。
「ダリウス辺境伯の早馬が届いたんだろう」
門番はビルセイヤたちを見ると、一瞬驚いた表情を浮かべた。
「ビルセイヤ殿!」
「帰還した」
ビルセイヤはガルディア辺境伯の封書を取り出す。
「ライオット陛下へ至急届けたい」
「承知しました!」
門番はすぐに敬礼し、一人の兵士へ命じる。
「王城へ伝令! ビルセイヤ殿ご一行が帰還された!」
「はっ!」
若い兵士が城へ向かって駆け出していく。
「こちらへどうぞ」
門番はすぐに道を開けた。
「陛下より、帰還された際は直ちに王城へ案内するよう命じられております」
「もう話は通ってるのね」
セシリアが感心したように言う。
「ええ。ここ数日は王都全体が慌ただしく……」
門番は言葉を濁した。
「何かあったのか?」
ビルセイヤが尋ねる。
門番は周囲を確認し、小声で答える。
「詳しくは城でお聞きください。ただ……城下で不審者の目撃が相次いでおります」
ビルセイヤたちは顔を見合わせた。
やはり、蛇の牙は動いている。
◇◇◇
王都の大通りを歩く。
いつもなら賑やかな露店街も、今日は少し静かだった。
商人たちは早めに店を閉め始め、衛兵が巡回を繰り返している。
子どもたちの姿も少ない。
「噂が広まってるんでしょうね」
エミリアが周囲を見渡す。
「人は理由が分からない不安にも敏感ですから」
「戦になるような空気じゃないけどな」
ツバサが腕を組む。
「何か見えないものに怯えてる感じだ」
「それが一番厄介よ」
セシリアが答えた。
「敵が分からない方が、人は不安になるもの」
その時だった。
「ビルセイヤさん!」
聞き覚えのある声が響く。
振り向くと、王城の方から一人の女性が走ってきた。
「マリア?」
アイリス付き侍女のマリアだった。
普段は落ち着いた彼女が、ここまで慌てている姿は珍しい。
「よかった……!」
マリアは息を整えながら頭を下げた。
「皆様、ご無事だったのですね」
「ああ」
「王女様が、とても心配されていました」
「アイリス王女が?」
「はい」
マリアは少し困ったように笑う。
「毎日のように城門へ様子を見に来られて……」
「え?」
セシリアが思わず声を漏らす。
「毎日?」
「ええ」
マリアは苦笑する。
「『今日は帰ってきますか?』と門番へ何度も聞かれて……」
ツバサが小さく笑った。
「分かりやすいな、本当に」
「ツバサさん」
マリアも思わず笑う。
「私もそう思います」
◇◇◇
王城へ到着すると、入口にはライオット国王直属の近衛騎士たちが並んでいた。
その中央に立っていたのは、第一王子ウィルである。
「戻ったか」
ウィルは静かに歩み寄ってきた。
「ええ」
ビルセイヤは封書を差し出す。
「ダリウス辺境伯からです」
「父上へ届けよう」
ウィルは封書を受け取った。
だが、その表情はどこか疲れている。
「何かあったのか?」
ビルセイヤが問う。
ウィルは少しだけ周囲を確認し、小さく息を吐いた。
「昨日の夜だ」
「?」
「王城の古文書庫へ侵入者が現れた」
その一言で、全員の表情が変わる。
「侵入されたのか!」
ビルセイヤが低く問う。
「いや」
ウィルは首を振る。
「未遂だ」
「未遂?」
「巡回中の近衛騎士が二名、不審者を発見した」
「捕まえたの?」
セシリアが尋ねる。
「逃げられた」
ウィルは悔しそうに拳を握る。
「黒い外套に仮面を付けた三人組だった」
「蛇の牙……」
エミリアが呟く。
「証拠はない」
ウィルは続ける。
「だが、侵入者が逃げた後、書庫の壁に奇妙な印が残されていた」
ビルセイヤは目を細める。
「蛇の牙の印か」
「父上も同じ考えだ」
「やっぱり来たか」
ツバサが小さく舌打ちした。
◇◇◇
そのまま一行は王城の奥へ案内される。
歩きながら、ウィルが状況を説明した。
「幸い、重要書庫までは入られていない」
「被害は?」
「書庫番が一人軽傷」
ウィルの声が低くなる。
「侵入者は逃走時、煙玉のような魔道具を使った」
「準備がいいな」
ビルセイヤは呟く。
「それだけじゃない」
ウィルは足を止めた。
「アイリスも狙われた」
全員が立ち止まる。
「……何?」
ビルセイヤの声が低くなる。
「昨夜、訓練を終えて部屋へ戻る途中だった」
ウィルは真っ直ぐビルセイヤを見る。
「庭園で気配を感じたらしい」
「無事なのか?」
「ああ」
ウィルは頷いた。
「枝杖が突然光り、アイリスへ警告したそうだ」
ビルセイヤは思わず懐を押さえた。
白き霊樹の加護枝。
アイリスの枝杖。
やはり互いに繋がっている。
「その後どうなった?」
「近衛騎士が駆けつけた時には、侵入者はいなかった」
「枝杖が守ったのね」
エミリアが安堵の息を吐く。
「世界樹の加護でしょう」
◇◇◇
王城の応接室前。
ウィルは静かに扉を開いた。
「父上」
中にはライオット国王。
シズク王妃。
ミリア王妃。
シリス。
そして――
「ビルセイヤさん!」
アイリスが勢いよく立ち上がった。
以前より少し日焼けし、動きやすい訓練服姿。
腰には訓練用の剣。
背中には棒。
そして胸元には翡翠の枝杖。
別れてからまだ十日も経っていない。
それでも彼女の立ち姿は、少しだけ変わっていた。
「お帰りなさい!」
満面の笑み。
だが次の瞬間。
「……って!」
アイリスは頬を膨らませた。
「早すぎます!」
「え?」
「三か月後じゃないんですか!?」
部屋に一瞬、静寂が流れ――
「はははは!」
ライオット国王が豪快に笑い出した。
シリスも扇子で口元を隠して笑っている。
セシリアたちも思わず吹き出した。
「そんな理由で怒るとは思わなかったわ」
「だって!」
アイリスは慌てる。
「まだ全然強くなってないのに!」
ビルセイヤは少しだけ苦笑した。
「安心しろ」
「え?」
「迎えに来たわけじゃない」
そう言って、懐から布に包んだ加護枝を取り出す。
包みを開く。
白く輝く小枝。
その瞬間。
アイリスの枝杖が、ふわりと優しい翡翠色に輝いた。
「……!」
部屋中が静まり返る。
白き霊樹の加護枝。
世界樹の枝杖。
二つの光が共鳴し、小さな翡翠色の粒子が部屋いっぱいに舞い始めた。
まるで再会を喜ぶように。
そして誰もが理解した。
ルミナスの深森で得たものは、本物だったのだと。
――続く。
王都編・帰還パート開幕です。
次回、第百二十六話では、ライオット国王への正式報告、ルミナスの深森で起きた出来事、そして白き霊樹からアイリスへ託された「加護枝」の秘密が明かされます。




