第十六話 王女のお忍び
王都アルティア。
王国最大の都市であり、王城を中心に発展した繁栄の都である。
高い城壁に囲まれた街には全国から商人や職人、冒険者たちが集まり、昼夜を問わず活気に満ちていた。
そんな王都の中心。
壮麗な王城の一室で、一人の少女が机へ突っ伏していた。
「退屈ですわぁ……」
ぐったりとした声が響く。
この国の第二王女――アイリスだった。
◇◇◇
腰まで届く美しい金髪。
透き通るような白い肌。
宝石のように澄んだ青い瞳。
誰もが振り返るほどの美少女である。
本来なら優雅に紅茶を楽しむ姿が似合う王女だ。
しかし今は違う。
完全にだらけていた。
「アイリス様」
呆れた声が部屋に響く。
専属侍女のマリアだった。
幼少の頃から仕えている女性であり、アイリスにとっては姉のような存在でもある。
「淑女がそのような姿を見せるものではありません」
「マリアぁ……」
アイリスは顔だけ上げた。
「退屈なんですの」
「本日だけで五回は聞きました」
◇◇◇
マリアは深くため息を吐く。
アイリスは優秀だ。
勉強もできる。
礼儀作法も完璧。
政治や外交の知識も同年代では群を抜いている。
だが。
好奇心が強すぎた。
城の中だけでは満足できないのである。
「本日の勉強は終わりましたか?」
「終わりましたわ」
「礼儀作法は?」
「終わりましたわ」
「政治学は?」
「終わりましたわ」
「剣術の講義は?」
「終わりましたわ」
全部終わっていた。
だから余計に厄介だった。
◇◇◇
アイリスは窓の外を見つめる。
眼下には王都の街並みが広がっていた。
露店。
商人。
冒険者。
行き交う人々。
楽しそうだ。
「……行きたいですわ」
ぽつりと呟く。
マリアは嫌な予感しかしなかった。
「どちらへですか?」
「城下町ですわ」
「駄目です」
即答だった。
◇◇◇
「まだ理由も言ってませんわ!」
「聞く必要がありません」
長い付き合いである。
考えていることなど手に取るように分かる。
「少しくらい良いではありませんか」
「駄目です」
「一時間だけ」
「駄目です」
「三十分だけ」
「駄目です」
「十五分」
「駄目です」
鉄壁だった。
王国最強の盾は親衛隊ではなくマリアなのかもしれない。
◇◇◇
しかし。
アイリスは諦めない。
むしろ燃えていた。
「ふふふ……」
不敵な笑み。
マリアの額に嫌な汗が流れる。
「その笑い方は何ですか?」
「別に?」
「絶対に何か企んでいますね」
「気のせいですわ」
全く気のせいではなかった。
◇◇◇
そしてその日の夕方。
王城は軽い騒ぎになっていた。
「アイリス様がいません!」
「またですか!?」
「部屋にも庭園にもいないそうです!」
侍女たちが慌ただしく走り回る。
マリアは額を押さえた。
「やっぱりですか……」
予感は当たった。
今回も見事に逃げられたのである。
◇◇◇
一方その頃。
「大成功ですわ♪」
城下町を歩く少女がいた。
シンプルなワンピース。
帽子。
平民風の服装。
だが隠し切れない気品と美貌。
もちろんアイリスである。
王女のお忍び散策は慣れたものだった。
マリアに知られたら卒倒されそうだが。
◇◇◇
「やっぱり外は楽しいですわ!」
露店を見る。
果物を見る。
雑貨を見る。
焼き串の香りを楽しむ。
王城では味わえない空気だった。
人々の笑顔。
商人たちの活気。
子供たちの笑い声。
それら全てが新鮮だった。
◇◇◇
そんな時だった。
前方が少し騒がしい。
「なんですの?」
野次馬が集まっている。
気になったアイリスは人混みの隙間から中を覗き込んだ。
そして。
運命は突然訪れた。
◇◇◇
一人の青年がいた。
黒髪。
整った顔立ち。
無駄のない体つき。
腰には剣。
武器屋の店主と何かを話している。
「この剣も悪くないんだがな……」
青年が呟く。
店主が苦笑する。
「お前、本当に新人冒険者か?」
「一応な」
周囲から笑い声が上がる。
◇◇◇
その瞬間だった。
アイリスの世界が止まった。
「え……?」
胸が高鳴る。
心臓が跳ねる。
呼吸が浅くなる。
目が離せない。
今まで一度も経験したことがない感覚だった。
◇◇◇
(かっこいい……)
それが最初の感想だった。
続いて。
(素敵ですわ……)
自然とそんな言葉が浮かぶ。
そして。
数秒後には。
(結婚したいですわ)
という結論に到達していた。
◇◇◇
恋に落ちる速度としては歴代最速である。
だが本人は至って真剣だった。
第二王女アイリス。
人生初の恋。
そして人生初の一目惚れである。
◇◇◇
一方のビルセイヤ。
そんな視線にまるで気付いていなかった。
「玉鋼という金属は知らないか?」
「聞いたことねぇな」
「そうか……」
少し残念そうな顔をする。
日本刀製作に必要な素材を探している最中だった。
恋愛どころではない。
◇◇◇
その様子を見つめながら。
アイリスはそっと拳を握る。
王女らしからぬ決意に満ちた瞳だった。
「決めましたわ」
小さく呟く。
「必ずお近付きになります」
その声には妙な迫力があった。
◇◇◇
こうして。
後に英雄ビルセイヤの妻となる第二王女アイリスは。
運命の相手と出会った。
まだ名前すら知らない。
身分も知らない。
何者なのかも知らない。
だが一つだけ確かなことがある。
恋する王女の暴走は。
ここから始まるのだった。
第一章 第十六話
「王女のお忍び」
――続く。




