第百六話 ガルディアへの街道
王都アルティアを出てから、ビルセイヤたちは北東へ向かう街道を進んでいた。
目的地は、辺境伯領ガルディア。
そして、その先に広がるルミナスの深森である。
街道はよく整備されていた。王都から辺境伯領へ続く重要な道だけあり、石畳こそ途中で途切れるものの、馬車が通りやすいように地面は固く均されている。
左右には草原が広がり、遠くには低い山並みが見えた。
空は青く、旅日和と言っていい。
だが、ビルセイヤたちの表情は決して軽くなかった。
「休憩所で聞いた話、気になるわね」
セシリアが歩きながら呟く。
「翡翠色の光。凶暴化した魔物。そして、森に残された謎の印」
「明らかに普通じゃないな」
ツバサが肩を竦める。
「どう考えても、誰かが先に森へ入ってる」
「王国の兵士ではないんですよね?」
エミリアが確認するように尋ねた。
「あの冒険者の話ではな」
ビルセイヤは静かに答える。
「兵士でも冒険者でもない。なら、考えられるのは密猟者、盗賊、あるいは……」
「蛇の牙、か」
ツバサの声が低くなる。
その名が出た瞬間、空気がわずかに重くなった。
古代神殿で暗躍していた組織。
蛇の牙。
彼らが何を目的としていたのか、まだ全ては分かっていない。
だが、アークレイドの封印に関わる神殿を調べていたことは事実だ。
そして今回も、世界樹に関わる可能性がある場所で異変が起きている。
偶然と考えるには、あまりにも出来すぎていた。
「もし蛇の牙が絡んでるなら、急いだ方がいいわね」
セシリアが表情を引き締める。
「あいつらが世界樹の手掛かりを狙っているなら、放っておけない」
「ですね」
エミリアも頷いた。
「ルミナスの深森は、精霊の気配が強い森だと聞きました。無理に荒らされれば、周辺の自然にも影響が出ます」
「精霊が怒ると面倒そうだな」
「面倒どころではありません」
エミリアは真面目な顔で言った。
「精霊は普段、人に干渉することは少ないです。でも森そのものが傷つけられれば、魔物の凶暴化や異常繁殖が起きることもあります」
「じゃあ、今の状況と一致するな」
ビルセイヤは北東の空を見つめた。
まだ、ルミナスの深森は見えない。
それでも風に混じる空気は、王都周辺のものとは少し違ってきていた。
どこか湿った、深い森の匂い。
そして微かに混ざる、魔力の流れ。
「……エミリア」
「はい」
「この辺りで精霊の気配は感じるか?」
エミリアは足を止め、そっと目を閉じた。
耳を澄ませるように、風の流れへ意識を向ける。
しばらくして、彼女の眉がわずかに動いた。
「……います」
「やっぱりか」
「ただ、少し怯えています」
その言葉に、セシリアが眉をひそめる。
「怯えてる?」
「はい。遠くの森の方から、ざわついた気配が流れてきます。精霊たちが落ち着かない様子です」
「森で何か起きてる証拠だな」
ツバサが小さく舌打ちする。
ビルセイヤは腰の剣に手を添えた。
「急ぐぞ」
四人は歩調を速めた。
◇◇◇
夕刻。
ビルセイヤたちは、街道沿いの小さな宿場町へ到着した。
ガルディアまでは、ここからさらに一日ほどかかる。
宿場町はそれほど大きくない。
旅人向けの宿、馬小屋、鍛冶屋、簡素な食堂、そして小さな冒険者出張所がある程度だ。
だが、そこに集まっている人々の数は予想以上に多かった。
「妙だな」
ビルセイヤが周囲を見回す。
宿場町の広場には、荷馬車がいくつも停まっていた。
行商人、護衛の冒険者、旅人。
それ自体は珍しくない。
問題は、その多くが北東へ進むでも王都へ戻るでもなく、足止めを食っているように見えることだった。
「何かあったみたいね」
「聞いてみるか」
ビルセイヤたちは、まず冒険者出張所へ向かった。
建物は小さい。
王都やシーサスのギルドとは比べものにならない規模だが、街道の安全管理や緊急依頼の受付には十分なのだろう。
中に入ると、受付の女性が慌ただしく書類を整理していた。
「すみません」
ビルセイヤが声をかける。
「ガルディア方面へ向かいたいんですが、何か問題が起きていますか?」
受付嬢は顔を上げた。
そして、ビルセイヤたちの装備を見るなり、少しだけ安堵したような表情を浮かべる。
「冒険者の方ですか?」
「はい」
ビルセイヤはギルド証を見せる。
セシリアたちも続いて提示した。
「助かります。実は、ガルディア方面の街道で魔物の目撃が増えていまして」
「魔物?」
「はい。普段なら森の近くにしか出ないはずのフォレストウルフが、街道近くまで出ています。それで商人たちが足止めされているんです」
「フォレストウルフか」
ツバサが腕を組む。
「数は?」
「昨日の報告では五体ほどでした。でも今日の昼には十体以上の群れを見たという話もあります」
「増えてるな」
セシリアが表情を引き締める。
「討伐依頼は出ているの?」
「はい。緊急依頼として出しています」
受付嬢は一枚の依頼書を差し出した。
そこには、ガルディア方面街道に出現したフォレストウルフの討伐と、街道安全確認の内容が記されていた。
報酬は金貨十枚。
緊急依頼としては、妥当な額だ。
「どうする?」
ツバサがビルセイヤを見る。
「受ける」
ビルセイヤは即答した。
「俺たちの目的地もガルディアだ。放っておく理由がない」
「そうね」
セシリアも頷く。
「商人たちが動けないと、町にも影響が出るわ」
「私も賛成です」
エミリアは静かに言った。
「フォレストウルフが森から出てきているなら、原因を探る手掛かりになるかもしれません」
受付嬢は、ほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます。では、こちらに署名をお願いします」
こうしてビルセイヤたちは、ガルディア街道の緊急依頼を受けることになった。
◇◇◇
その夜。
宿場町の外れ。
街道脇の見張り台近くで、ビルセイヤたちは簡単な作戦会議をしていた。
「フォレストウルフは夜行性だったか?」
ツバサが尋ねる。
「完全な夜行性ではないけど、夜の方が動きは活発になるわね」
セシリアが答えた。
「群れで狩りをする魔物よ。単体ならDランク相当だけど、群れだとCランク冒険者でも危険」
「十体以上なら油断できないな」
ビルセイヤが言う。
「特に今回は凶暴化している可能性がある」
「精霊の気配も乱れています」
エミリアは森の方角を見つめた。
「普通のフォレストウルフなら、ここまで街道へ近づくことは少ないはずです」
「つまり、森から追い出されたか、何かに操られてるか」
ツバサが拳を鳴らす。
「どっちにしても厄介だな」
その時だった。
遠くから、低い遠吠えが響いた。
ひとつ。
ふたつ。
そして、複数の声が重なっていく。
宿場町の人々がざわめき始めた。
「来たな」
ビルセイヤが剣を抜く。
セシリアは盾を構え、エミリアは弓を手にする。
ツバサは軽く首を鳴らしながら、腰の剣へ手を添えた。
街道の闇の向こう。
草むらが揺れる。
次の瞬間、緑色に濁った目をした狼型の魔物が姿を現した。
フォレストウルフ。
だが、様子がおかしい。
体毛は逆立ち、口元からは黒っぽい涎が垂れている。
何より、その首筋には薄い翡翠色の筋のような光が走っていた。
「……あれ」
エミリアの表情が強張る。
「普通の魔物じゃありません」
「ああ」
ビルセイヤも剣を構えた。
「何かの魔力に侵されてる」
フォレストウルフは一体ではない。
二体。
五体。
十体。
闇の中から次々と姿を現す。
数は報告より多い。
「十五……いや、もっといるな」
ツバサが目を細める。
「宿場町に入らせるな」
ビルセイヤが低く言った。
「ここで止める」
「任せて。正面は私が受ける」
セシリアが前に出る。
「後方から援護します」
エミリアは弓に矢を番えた。
「じゃあ、俺は横から数を削るか」
ツバサが口元を吊り上げる。
ビルセイヤは剣を構え、無属性の身体強化を全身に巡らせた。
アークレイドから受け継いだ力が、静かに体の奥で脈打つ。
次の瞬間。
フォレストウルフの群れが、一斉に襲いかかってきた。
「来るぞ!」
ビルセイヤの声と共に、夜の街道で戦闘が始まった。
セシリアの盾が、最初の一撃を受け止める。
重い衝突音。
その隙に、エミリアの矢が闇を裂き、先頭の一体を正確に射抜いた。
ツバサは身体を低く沈め、横から飛び込んできた魔物の顎を蹴り上げる。
そのまま剣を抜き、首筋を断ち切った。
ビルセイヤは正面へ踏み込む。
風を纏うような一歩。
剣が一閃し、フォレストウルフの爪を弾き、そのまま胴を斬り裂く。
「硬いな」
通常のフォレストウルフよりも明らかに耐久力が高い。
翡翠色の筋がある個体は、魔力によって強化されているらしい。
「ビルセイヤ!」
セシリアの声。
横から二体が回り込んでいた。
「分かってる」
ビルセイヤは振り向きざまに火魔法を放つ。
「《フレイム》!」
炎が夜闇を照らし、二体の進路を塞ぐ。
その一瞬の隙に、エミリアの氷の矢が飛んだ。
「《アイスアロー》!」
氷の矢が一体の足を射抜き、動きを止める。
そこへツバサが飛び込み、剣を振るった。
「よし、一体!」
だが、群れは怯まない。
むしろ痛みを感じていないかのように、なおも突っ込んでくる。
「操られてるっていうより、暴走してる感じね」
セシリアが盾で一体を押し返しながら言う。
「なら、原因を断たないと止まらないかもしれません」
エミリアが森の方角を見る。
その瞬間だった。
遠くの空。
ルミナスの深森がある方角で、淡い翡翠色の光が一瞬だけ瞬いた。
「見えたか!?」
ツバサが叫ぶ。
「ああ」
ビルセイヤは目を細める。
その光が見えた直後、フォレストウルフたちの動きがさらに荒くなった。
まるで、何かに呼応しているかのように。
「やっぱり、森の奥に何かある」
ビルセイヤは剣を構え直す。
「ここで時間をかけてる場合じゃないな」
「でも、町を守らないと!」
セシリアが叫ぶ。
「分かってる」
ビルセイヤは深く息を吸った。
無属性の身体強化をさらに高める。
次に、風魔法を剣へ纏わせた。
剣身が淡く揺らぐ。
「一気に片付ける」
ビルセイヤは地を蹴った。
その動きは、先ほどまでよりさらに速い。
フォレストウルフの群れの間を駆け抜け、爪をかわし、牙を避け、最小限の動きで剣を振るう。
一体。
二体。
三体。
風を纏った斬撃が、魔物たちの足を止めていく。
「相変わらず無茶するわね!」
セシリアが呆れながらも、盾で群れの進路を塞ぐ。
「合わせます!」
エミリアが精霊魔法を発動させた。
「風の精霊よ、彼の歩みを支えて!」
周囲の風が柔らかく集まり、ビルセイヤの背を押す。
さらにツバサが横から魔法を放った。
「《アースバインド》!」
地面から土の腕が伸び、数体のフォレストウルフの足を絡め取る。
「今だ!」
「《フレイム》!」
ビルセイヤの炎が、拘束された魔物たちを包み込む。
夜の街道に、炎の光が広がった。
◇◇◇
数分後。
最後の一体が倒れ、辺りに静寂が戻った。
宿場町の人々は遠巻きに見守りながら、誰も言葉を発せずにいた。
やがて、受付嬢が震える声で呟く。
「す、すごい……」
ビルセイヤは剣を振って血を払い、倒れたフォレストウルフへ近づいた。
首筋には、まだ翡翠色の筋が残っている。
だが、その光は次第に黒く濁り、煙のように消えていった。
「普通の魔力じゃないな」
ツバサが隣へ来る。
「ああ」
ビルセイヤは北東の空を見る。
「ルミナスの深森で何かが起きてる。それも、思ったより深刻だ」
「精霊たちの怯えが強くなっています」
エミリアも静かに頷いた。
「森が……泣いているみたいです」
その言葉に、全員が黙り込む。
森が泣いている。
エミリアの表現は、大げさではないのだろう。
遠く、北東の空。
翡翠色の光が、もう一度だけ微かに瞬いた。
まるで、助けを求めるように。
ビルセイヤは静かに拳を握った。
「明朝、すぐにガルディアへ向かう」
誰も反対しなかった。
ルミナスの深森。
その奥で待つ何かは、確実に彼らを呼んでいる。
王都を発った旅は、すでにただの調査ではなくなっていた。
世界樹へと繋がる森。
翡翠色の光。
そして、森を蝕む謎の魔力。
次に待つのは、辺境伯領ガルディア。
そこには、この異変のさらなる手掛かりがあるはずだった。
――続く。




