第百一話 王家の翡翠の加護
白銀の守護騎士エルドが、再び槍を構え直す。
その全身から放たれる圧は、先ほどまでとは比べものにならなかった。
翡翠色の光が長槍へと絡みつき、まるで一振りそのものが世界樹の枝へと変じたかのように、淡く、しかし確かな脈動を放っている。
「……っ」
アイリスは、剣と棒を握り直した。
腕は痺れ、脇腹は痛む。頬の切り傷もひりついていた。呼吸も荒く、足元だって決して安定しているとは言えない。
けれど――不思議と、心は折れていなかった。
さっきの一撃は、確かに届いたのだ。
棒術、剣術、魔法、そしてツバサに教わった崩し。
全部を繋げれば、相手に届く。
ならば、やるしかない。
『継承候補よ』
エルドの低い声が、闘技場に重く響く。
『ここから先は、もはや試すための戦いではない。お前が本当に“力”を扱う資格を持つか――その答えを示せ』
次の瞬間。
エルドが地を蹴った。
「速――っ!?」
目で追えない。
先ほどまでの突進とは、まるで別物だった。翡翠の残光を引きながら、白銀の騎士は一瞬でアイリスの懐へ入り込んでいた。
槍が閃く。
咄嗟に棒を横へ構える。
だが――
ガァァンッ!!
「きゃあっ!?」
受けた瞬間、両腕に激痛が走った。
重い、なんてものじゃない。衝撃そのものが塊になって叩きつけられたようだった。棒ごと身体が吹き飛ばされ、アイリスは石床を何度も転がる。
「アイリス!」
セシリアの叫びが響く。
しかし、追撃は止まらない。
エルドは倒れたアイリスへ、容赦なく槍を振り下ろした。
「《アースウォール》!」
反射的に土魔法を発動する。
アイリスの前に石壁がせり上がる。だが次の瞬間、その槍は土壁をいとも容易く粉砕した。
「そんな……っ!」
砕け散る石片の向こうから、石突きが腹へ叩き込まれる。
「ぐっ……!!」
息が止まった。
身体がくの字に折れ、そのまま数メートル後方まで吹き飛ぶ。ごろり、と床を転がってようやく止まった時には、全身が悲鳴を上げていた。
「アイリス……!」
エミリアが思わず一歩踏み出す。
だが、闘技場の外縁に淡い翡翠色の壁が立ち上がり、彼女の進路を阻んだ。
『試練への直接介入は許されぬ』
アークレイドの思念が静かに告げる。
「でも、このままじゃ……!」
セシリアが悔しそうに唇を噛む。
ビルセイヤもまた、拳を握り締めていた。
分かっている。
これはアイリス自身の試練だ。
だが、目の前で仲間が一方的に追い詰められていくのを、ただ見ているだけというのは、やはり苦しい。
「……立て、アイリス」
ビルセイヤは低く呟いた。
倒れ伏したアイリスの指先が、ぴくりと動く。
ゆっくりと、彼女は顔を上げた。
「ま……だ……」
震える声だった。
それでも、アイリスは棒を杖代わりにして立ち上がる。足はふらつき、呼吸も乱れ、誰の目にも限界が近いと分かる。
『それがお前の限界か』
エルドが淡々と問う。
『ならば、この試練はここで終わりだ』
「終わりません……!」
アイリスは唇を噛み、睨み返した。
だが、その直後――エルドが再び槍を構える。
今度こそ、本当に終わるかもしれない。
そう思った、その時だった。
「――アイリス!!」
ビルセイヤの声が、闘技場に響き渡る。
アイリスがはっと顔を上げる。
「お前の武器は何だ!」
「え……?」
一瞬、思考が止まる。
武器?
剣? 棒? 魔法?
――違う。
ビルセイヤが問うているのは、そういうことじゃない。
「ウィルみたいに剣一本で戦うわけじゃない! ツバサみたいに魔法だけで制圧するわけでもない!」
ビルセイヤはまっすぐアイリスを見据え、叫んだ。
「お前がこの数日で一番強かった瞬間を思い出せ! 何を繋げた時に、相手へ届いた!」
その言葉に、アイリスの脳裏へさっきの攻防が蘇る。
風で視界を奪い、火で牽制し、水で足を止め、剣で崩し、棒で打ち抜いた。
剣だけじゃない。
棒だけでもない。
魔法だけでもない。
全部を繋げた時、初めて届いたのだ。
「お前の武器は、一つじゃねえ!」
今度はツバサが叫ぶ。
「棒術も剣も魔法も、全部まとめて“アイリスの戦い方”だろうが!」
「……っ!」
その瞬間。
胸の奥で、何かがかちりと噛み合った。
そうだ。
自分は、誰かの真似をする必要なんてない。
ウィルのような剣士になれなくてもいい。
シリスのように完璧な王女でなくてもいい。
自分は、自分の武器で戦えばいいのだ。
「……そう、です」
アイリスはゆっくりと息を吸った。
そして剣を腰へ戻し、両手で棒を握り直す。
「私の武器は、剣だけじゃない」
足元に、淡い光が集まり始める。
「棒術も、魔法も、身体強化も……全部です」
胸元の翡翠が、呼応するように輝いた。
ふわり、と。
優しい緑の光が、アイリスの身体を包み込む。
「これは……!」
セシリアが目を見開いた。
翡翠の光は、アイリスの腕へ、脚へ、そして手にした棒へと流れ込んでいく。まるで王家のペンダントそのものが、彼女の決意に応えるように。
『世界樹の欠片が……加護を与えたか』
アークレイドの思念が、僅かに驚きを滲ませる。
アイリス自身も驚いていた。
身体が軽い。
傷の痛みが消えたわけではない。けれど、それ以上に、身体の芯へ力が満ちていく感覚があった。
足元から、棒の先まで。
自分の身体と武器と魔力が、一本の線で繋がっていくような感覚。
「……いける」
アイリスは小さく呟いた。
エルドが槍を構え直す。
『ならば見せよ。継承候補としての力を』
「はい!」
アイリスが地を蹴った。
先ほどまでよりも明らかに速い。
身体強化に加え、翡翠の加護が彼女の動きを一段押し上げていた。
エルドの槍が迎え撃つように突き出される。
だが、アイリスは真正面から受けない。
「《ウィンド》!」
風を足元へ集中。
瞬間的に軌道をずらし、槍の穂先を紙一重でかわす。そのまま左へ回り込みながら、今度は火の魔法を放つ。
「《フレイムアロー》!」
炎の矢が三連続で飛ぶ。
エルドは槍で二本を払う。だが、最後の一本は牽制だ。
その炎の陰から、アイリスが棒を振り抜く。
ガンッ!
エルドが槍の柄で受け止める。
だが、その一撃には風の補助が乗っていた。押し返された勢いで、エルドの体勢がわずかにぶれる。
「まだっ!」
アイリスは間を置かず、足元へ水を走らせる。
「《アイス》!」
床が凍り、エルドの踏み込みが遅れる。
その隙に、今度は身体強化を一気に高めた。
脚力。
腕力。
踏み込み。
すべてに翡翠の加護が重なり、彼女の身体を押し上げる。
アイリスは低く潜り込むように間合いへ入り、棒の石突きでエルドの脇腹を打った。
ガッ!
重い音が響く。
止まらない。
返す動きで肩口を打ち、さらに逆薙ぎで足元を払う。
棒術の連撃。
その動きは、もはや最初の粗削りなものではなかった。
ツバサに教わった体の使い方。
ビルセイヤに叩き込まれた踏み込み。
そして、自分自身で組み立てた戦い方。
その全てが、一本の流れになっていた。
『……!』
初めて、エルドが明確に押し込まれる。
アイリスはさらに一歩踏み込んだ。
だが、その瞬間。
エルドが槍を大きく薙いだ。
強烈な反撃。
「くっ……!」
アイリスは棒で受けるが、衝撃を殺しきれず後ろへ弾かれる。
だが、今度は踏みとどまった。
むしろ、その勢いを利用して後方へ跳び、距離を取る。
「《ウォーター》……《フリーズ》!」
宙へ放った水が、一瞬で無数の氷片へ変わる。
さらに――
「《ウィンド》!」
風で加速された氷の礫が、一斉にエルドへ降り注いだ。
エルドは槍を回転させて防ぐが、その視界は氷と風に埋まる。
その隙だった。
アイリスは全力で踏み込んだ。
翡翠の光が、棒へ集束していく。
身体強化、風の加速、そして王家の翡翠の加護。
全てを乗せた、渾身の一撃。
「はああああああっ!!」
真っ直ぐに振り下ろされた棒が、エルドの槍と激突した。
轟音。
衝撃で闘技場の石床に亀裂が走る。
押し合いになるかと思われた、その瞬間――
ぱきん、と。
白銀の槍に、細いひびが入った。
「え……」
アイリス自身が目を見開く。
次の瞬間、ひびは一気に広がった。
パリンッ!
翡翠色の光を纏っていた槍が、砕け散る。
『――見事だ』
エルドの低い声が、静かに響いた。
白銀の騎士は槍を失ったまま、その場に片膝をつく。兜の奥の光が、穏やかに揺れていた。
『力任せではなく、己の持つ全てを繋げ、一つの答えへと昇華した。今の一撃、確かに世界樹の加護に値する力だった』
アイリスは荒い呼吸のまま、棒を握りしめて立ち尽くした。
勝った――のか。
実感が追いつかない。
だが次の瞬間、白銀の騎士の身体が光の粒となって崩れ始める。
『第二の試練――“力”』
エルドは静かに告げた。
『継承候補アイリス。お前はこれを突破した』
「……っ!」
その言葉が耳に届いた瞬間、アイリスの全身から力が抜けた。
棒を取り落としそうになったところを、ビルセイヤが駆け寄って支える。
「よくやった」
短い言葉だった。
けれど、その一言だけで、胸の奥が熱くなる。
「び、ビルセイヤさん……私……」
「ああ」
ビルセイヤは小さく笑った。
「ちゃんと、お前の力で勝ったんだ」
セシリアも、エミリアも、ツバサもすぐに駆け寄ってくる。
「すごかったわ、アイリス!」
「最後の連撃、すごく綺麗でした!」
「やるじゃねえか、王女様」
口々にかけられる言葉に、アイリスはようやく実感した。
本当に、越えたのだ。
第一の試練“心”。
そして、第二の試練“力”。
残るは、あと一つ。
その時、白い空間の奥でアークレイドの思念が静かに頷いた。
『見事だった、継承候補』
その声には、もはや最初のような試す色は薄れていた。
『だが、最後の試練こそが最も重い』
闘技場が光に包まれ、ゆっくりと消えていく。
代わりに現れたのは――巨大な一本の樹だった。
空へ届くほど高く、枝葉は星空のように輝き、幹には無数の翡翠色の光が流れている。
圧倒的な存在感。
それを見た瞬間、アイリスは直感した。
――あれが、世界樹に連なるものだ。
『第三の試練――“絆”』
アークレイドの思念の声が、静かに響く。
『お前が何を信じ、誰と歩むのか。その答えを示してもらおう』
翡翠の大樹の根元に、ゆっくりと新たな扉が現れる。
最後の試練が、ついに始まろうとしていた。
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第二章 第百一話
王家の翡翠の加護
――続く。




