第九十七話 王家の秘話
王城の一室――普段は国王や王妃たちが密談に用いるという重厚な会議室へ、ビルセイヤたちは案内されていた。
室内には、ライオット国王、第一王妃ミリア、第二王妃シズク、ウィル王太子、シリス王女、そしてアイリスが揃っている。
アルティア王家の中枢が、ほぼ勢揃いだった。
そんな中、テーブルの中央には、先ほどまでアイリスが身に着けていた翡翠のペンダントが、赤い布の上にそっと置かれている。
小さな装飾品だ。
だが今のビルセイヤには、それが並の宝石には到底思えなかった。
静かにそこにあるだけで、妙な存在感を放っている。
まるで、長い時を超えて何かを待ち続けてきたような――そんな重みがあった。
「改めて話そう」
沈黙を破ったのは、ライオット国王だった。
いつもの柔らかな笑みはない。
その表情には、王家の秘を語る者としての厳しさが浮かんでいる。
「先ほど訓練場で話した通り、あのペンダントは世界樹ユグドラシルの欠片だ」
アイリスが思わず胸元へ手を当てる。
ついさっきまで自分が身に着けていた物が、世界を救う鍵の一部かもしれない――そう告げられれば、動揺しない方がおかしい。
「そんな……」
アイリスが呆然と呟いた。
「私、ずっとただの家宝だと思っていました……」
「実際、表向きにはそのように扱ってきた」
ライオット国王は静かに頷く。
「この国にとって、あまりにも重要すぎる代物だからだ」
「でも、どうしてアイリスがそれを?」
セシリアが疑問を口にする。
「王家の秘宝なら、普通は国王陛下か王太子殿下が持つものでは……」
「本来ならそう考えるだろうな」
ライオット国王は苦く笑った。
「だが、このペンダントだけは違う」
そう言って、国王はシズク王妃へ視線を向ける。
シズク王妃は静かに頷き、穏やかな声で言葉を継いだ。
「アイリスが生まれた時のことです」
その一言で、部屋の空気が少しだけ変わる。
「この子がまだ赤子だった頃、王家の宝物庫に保管してあった翡翠が、突然光を放ったのです」
「光を……?」
エミリアが目を丸くする。
「ええ」
今度は第一王妃ミリアも頷いた。
「それまで何百年もの間、ただの秘宝として保管されていたものが、アイリスが生まれたその日だけ反応したのです」
ビルセイヤは思わず身を乗り出す。
「まさか……継承者として?」
「そこまでは分からぬ」
ライオット国王が低く答える。
「だが、王家の古い記録にはこう残されている。
――『世界樹の欠片は、時に持ち主を選ぶ』とな」
その言葉に、会議室の空気が一段と張り詰めた。
持ち主を選ぶ。
それはつまり、アイリスが偶然これを身に着けていたわけではないということだ。
「では……」
ビルセイヤは慎重に言葉を選ぶ。
「アイリスが、世界樹ユグドラシルの継承者である可能性がある、と?」
ライオット国王はすぐには答えなかった。
代わりに口を開いたのは、ウィルだった。
「可能性は高い」
王太子は真剣な眼差しで妹を見る。
「少なくとも、今日のように明確に反応した例は、王家の記録にもほとんど残っていない」
アイリスは自分の両手を見つめた。
訓練場で、確かに身体がふわりと浮いた。
あれは風魔法でも、身体強化でもない。
自分の意志で起こした現象ですらなかった。
「私が……継承者……」
その声は、かすかに震えていた。
王女として育ってきた少女が、突然“世界を救う鍵かもしれない”と告げられたのだ。
動揺しないはずがない。
そんな妹を見て、シリスがそっと微笑む。
「大丈夫よ、アイリス」
その声音は、姉としての優しさに満ちていた。
「いきなり全部を背負えと言われているわけではないもの」
「お姉様……」
「そうだ」
ライオット国王も頷く。
「我らが知りたいのは、あくまで真実だ。お前を追い詰めるために話しているわけではない」
だが――と、国王は続けた。
「もし本当にアイリスが継承者であるならば、これはアルティア王国だけの問題では済まない」
重い言葉だった。
アークレイドが残した建国記。
異界の災厄。
世界樹ユグドラシル。
それらが一本の線で繋がり始めた今、もはやこれは一王国の家宝の話ではない。
「一つ、王家に伝わる古い伝承がある」
ライオット国王はそう言って、テーブルの上の翡翠へ視線を落とした。
「建国王アルト・アルティアは、英雄アークレイドと共に一つの約束を交わした」
「約束……?」
ビルセイヤが呟く。
「『いずれ世界に再び災厄が訪れる時、翡翠は継承者のもとで目覚める』――とな」
その言葉に、誰もが息を呑んだ。
あまりにも出来すぎている。
アークレイドが建国記に残した警告。
そして王家に伝わる伝承。
まるで、千年前からこの瞬間が定められていたかのようだった。
「つまり」
ツバサが腕を組む。
「アイリスのペンダントが光ったってことは、災厄が近い可能性があるってことか」
「その解釈になる」
ウィルが低く答える。
セシリアが不安そうにアイリスを見る。
エミリアもまた、言葉を失っていた。
アイリス本人はまだ呆然としている。
だが、ビルセイヤの中では、別の感覚が生まれていた。
胸の奥で、ばらばらだったものが少しずつ繋がっていく。
アークレイドは言っていた。
世界樹を探せ。
世界樹の継承者は災厄に対抗する鍵となる。
そして今、その欠片がアイリスに反応した。
ここまで来て、偶然で済ませるには無理がある。
「陛下」
ビルセイヤは真っ直ぐライオット国王を見た。
「他に記録はありませんか? 世界樹の継承者について、何か」
「ある」
国王は短く答えた。
「だが、それは王家の中でもごく一部しか知らぬ記録だ」
そう言って、部屋の隅で控えていた老執事へ視線を向ける。
「持ってきてくれ」
「かしこまりました」
老執事は一礼すると、部屋の奥にある棚から、細長い木箱を丁重に取り出してきた。
古びた箱だった。
だが、ただ古いだけではない。
表面には複雑な紋様が刻まれ、その中央には世界樹を思わせる意匠が浮かんでいる。
「これは……」
ビルセイヤが目を細める。
「王家に伝わる、もう一つの秘宝だ」
ライオット国王は静かに告げた。
「世界樹の継承者が現れた時にのみ開かれる、と伝えられている」
その場の全員の視線が、木箱へ集まった。
ライオット国王は一度アイリスを見る。
「アイリス。お前がこれに触れてみなさい」
「わ、私がですか!?」
「そうだ」
アイリスは緊張した面持ちで立ち上がると、ゆっくりと木箱へ手を伸ばした。
指先が箱に触れる。
その瞬間――
カァァァァァ……!
翡翠色の光が、木箱から溢れ出した。
「なっ……!?」
部屋の全員が目を見開く。
箱の紋様が次々と発光し、まるで生きているかのように脈打ち始める。
そして――
カチリ。
小さな音を立てて、固く閉ざされていた蓋がひとりでに開いた。
「開いた……」
セシリアが息を呑む。
木箱の中に納められていたのは、一粒の種だった。
淡い緑色の光を宿した、神秘的な種。
ただの植物の種には見えない。
小さなそれ一つに、森の息吹そのものを閉じ込めたような、不思議な存在感があった。
「これが……」
アイリスが震える声で呟く。
ライオット国王は、厳かな声で告げた。
「――世界樹ユグドラシルの種子だ」
世界樹の欠片に続き、今度は種子まで現れた。
それはつまり――
アイリスが、ただの王女ではないことを決定的に示していた。
会議室に沈黙が落ちる。
誰もが言葉を失っていた。
世界樹ユグドラシル。
アークレイドが遺した記録にあった、世界を救う鍵。
その欠片がアイリスのもとで目覚め、さらに王家の秘宝である種子まで反応した。
もはや疑いようがない。
アイリスは“何か”に選ばれたのだ。
ビルセイヤは、無意識に拳を握り締めていた。
英雄アークレイドが遺した言葉。
建国王が残した記録。
そして、目の前で明かされた王家の秘話。
すべてが、これから始まる何かへ繋がっている。
世界樹の継承者。
その意味が何を指すのか、まだ誰にも分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
アイリスの運命は、もう後戻りできないところまで動き始めてしまったのだ――。
第二章 第九十七話
王家の秘話
――続く。




