第九十六話 王家の翡翠
アイリスの特訓が始まってから三日。
王城の訓練場には、今日も朝から活気が満ちていた。
木剣の打ち合う音。兵士たちの掛け声。地面を蹴る足音。
その中心にいるのは、やはりアイリスだった。
「はぁっ!」
鋭い踏み込みと共に、訓練用の棒が風を切る。
突き。
払い。
さらに返すように木剣へ持ち替え、斜めから振り下ろす。
まだ粗削りではあるが、三日前と比べれば動きは見違えるほど良くなっていた。
「おお……」
エミリアが感心したように声を漏らす。
「本当に上達が早いですね」
「素直だからな」
ツバサが腕を組みながら頷いた。
「言われたことをすぐ試すし、変な意地も張らない。ああいうタイプは伸びる」
「でも、たまに無茶しますよね」
セシリアが苦笑する。
「さっきも勢い余って転びそうになってたし」
「勢いで誤魔化そうとする癖があるんだよ」
ツバサは肩を竦めた。
「そこを直さないと、実戦じゃ危ねえ」
ビルセイヤは訓練場の中央で棒を振るアイリスを見つめながら、静かに息を吐いた。
確かに成長は早い。
軽い剣術と棒術に、無属性の身体強化を少しずつ組み合わせ始めている。さらに火、水、風、土の四属性魔法まで使えるのだから、将来的にはかなり面白い戦い方ができるだろう。
だが、気になることもあった。
――あの翡翠のペンダントだ。
あれから二度、ビルセイヤはアイリスの胸元で微かな緑の光を見ている。本人は気付いていないらしい。だが、世界樹ユグドラシルの話を聞いた時から妙な反応を示している以上、偶然で片付けるには不自然すぎた。
「……ビルセイヤ?」
セシリアが不思議そうに顔を覗き込む。
「さっきから考え込んでるけど、どうかした?」
「ああ……いや」
ビルセイヤは視線を訓練場から外さないまま答えた。
「アイリスのペンダントのことが気になってな」
「ペンダント?」
セシリアが首を傾げる。
「前に言ってた、光ったってやつ?」
「たぶん気のせいじゃない」
ビルセイヤは低く言った。
「王家秘蔵図書庫で建国記を読んだ時から引っ掛かってる。ユグドラシルの継承者って話と、あれが無関係とは思えない」
セシリアの表情が引き締まる。
「……私も少し気になっていたのよね」
そう言ったのは、いつの間にか近くまで来ていたシリス王女だった。
優雅な笑みを浮かべているが、その瞳には明らかな興味が宿っている。
「シリス王女」
ビルセイヤたちが一礼する。
「いいのよ、堅苦しいのは」
シリスは手をひらひらと振った。
「わたくしも少し気になって、訓練を見に来ていただけですもの」
「気になるって、何がですか?」
セシリアが尋ねる。
シリスは訓練中のアイリスへ視線を向けた。
「アイリスが身に着けている、あの翡翠のペンダントよ」
静かな声で言う。
「あれはアルティア王家に代々伝わる装飾品の一つなの」
「やっぱり、ただのアクセサリーじゃないんですね」
「ええ。けれど、詳しいことはわたくしも知らないの」
シリスは肩をすくめた。
「王家に伝わる品ではあるけれど、なぜ伝わっているのか、どういう意味があるのかは、ほとんど記録が残っていないらしいわ」
「記録が残っていない……?」
「少なくとも、表向きにはね」
その言い回しに、ビルセイヤは眉を動かした。
「つまり、裏には何かあると?」
「さあ?」
シリスはくすりと笑う。
「でも、建国記に世界樹ユグドラシルの記述があって、その直後からアイリスのペンダントが怪しい反応をしている。偶然にしては出来すぎているでしょう?」
まったくその通りだった。
その時。
「きゃっ!?」
訓練場の中央で、アイリスがバランスを崩した。
棒術の回転から剣への持ち替えで足を滑らせたらしい。前のめりに倒れかける。
「危ない!」
エミリアが思わず声を上げる。
だが次の瞬間。
ふわり、と。
アイリスの身体が、不自然なほど柔らかく持ち上がった。
「……え?」
訓練場の空気が止まる。
倒れかけたはずのアイリスは、まるで見えない誰かに支えられたかのように体勢を立て直していた。
しかも、その胸元では翡翠のペンダントが淡い緑色に輝いている。
「い、今の……」
アイリス自身が一番驚いていた。
ツバサも目を細める。
「おい、見たか?」
「ああ」
ビルセイヤは即答した。
「気のせいじゃない。今、確かにペンダントが反応した」
周囲の近衛騎士たちもざわつき始める。
「今、光ったよな……?」
「浮いたように見えたぞ」
「魔法か……?」
だが、アイリス本人はぽかんと胸元を見下ろしているだけだった。
「え、えっと……何が起きたんでしょう?」
「お前、自分で魔法を使った自覚はあるか?」
ツバサが問いかける。
「ありません!」
アイリスはぶんぶんと首を振った。
「身体強化も使ってませんし、風魔法も発動してません!」
ならば、やはりあのペンダントの力なのか。
ビルセイヤが一歩前へ出た、その時だった。
「……どうやら、隠しておくのも難しそうだな」
低く落ち着いた声が、訓練場の入口から響いた。
振り向けば、そこに立っていたのはライオット国王だった。
その隣にはミリア王妃とシズク王妃、そしてウィル王太子まで揃っている。
「陛下?」
ビルセイヤが目を細める。
ライオット国王はアイリスの胸元のペンダントを見つめ、静かに息を吐いた。
「本当は、もう少し先に話すつもりだった」
国王は重々しく口を開く。
「だが、こうなった以上は仕方あるまい」
アイリスが不安そうに父を見る。
「お父様……?」
ライオット国王は娘に向かって、ゆっくりと頷いた。
「アイリス。そのペンダントは、ただの王家の装飾品ではない」
訓練場が静まり返る。
誰もが次の言葉を待っていた。
「それは建国以前より、アルティア王家に受け継がれてきた秘宝――」
国王の声が、重く響く。
そして次の一言が、この場の全員を凍り付かせた。
「――世界樹ユグドラシルの欠片だ」
沈黙。
風すら止まったかのような静寂が、訓練場を包み込む。
アイリスは目を見開き、言葉を失った。
ビルセイヤたちも同じだった。
世界樹ユグドラシル。
アークレイドが遺した記録にあった、世界を救う鍵。
その欠片が、今、アイリスの胸元にある――。
「詳しい話は場所を移してする」
ライオット国王は厳しい表情で言った。
「王家の者と、ビルセイヤたちだけでな」
その声音には、国王としての重みがあった。
遊びでも噂話でもない。
これは王家が千年以上隠してきた、本物の秘密なのだ。
こうして――
アイリスのペンダントに隠された真実は、ついに表へ姿を現そうとしていた。
第二章 第九十六話
王家の翡翠
――続く。




