第八十四話 祝宴の夜
その日の冒険者ギルドは、まるで祭りのような賑わいだった。
「乾杯だぁぁぁっ!!」
ギルドマスターの豪快な声が、広い酒場に響き渡る。
次の瞬間――
「おおおおおおっ!!」
冒険者たちが一斉にジョッキを掲げた。
エールが飛び交う。
笑い声が響く。
酒場全体が熱気に包まれていた。
つい数時間前まで、超危険指定の古代神殿から帰還したばかりだというのに、ギルドの空気は重苦しさとは無縁だった。
むしろ、生きて帰ってきた者たちを祝福する熱で満ちている。
「お前ら、本当に生きて帰ってきやがったんだな!」
「古代神殿なんて、絶対に全滅したと思ってたぞ!」
「失礼ね!」
セシリアが頬を膨らませる。
だが、その表情はどこか楽しそうだった。
口では文句を言いながらも、頬は少し緩んでいる。
仲間たちも笑っていた。
緊張から解放された今だからこそ味わえる、穏やかな時間だった。
テーブルの上には料理がずらりと並んでいる。
オークの生姜焼き。
串焼き肉。
焼き立ての白パン。
熱々のシチュー。
果実ジュースにエール。
どれもギルド食堂の定番料理だ。
普段から何度も食べているはずの味。
それなのに――今夜は格別に美味く感じた。
「生きてるって素晴らしいな……」
ツバサが肉を頬張りながら、しみじみと呟く。
「急に年寄りみたいなこと言わないでください」
エミリアが苦笑した。
「いや、でも本当にそう思うぞ?」
ツバサはジョッキを持ち上げる。
「魔神と戦うなんて二度と御免だ」
「それは同感ね」
セシリアも苦笑しながら頷いた。
今回ばかりは、本気で死を覚悟した。
あの神殿最深部で見た異界の魔神の瞳を思い出すだけで、今でも背筋が寒くなる。
圧倒的な威圧感。
ただそこにいるだけで心が折れそうになる存在。
それでも、こうして全員で笑っていられる。
その事実が、何より嬉しかった。
ビルセイヤは、仲間たちの顔を順に見た。
セシリア。
ツバサ。
エミリア。
誰も欠けていない。
それだけで胸の奥が温かくなる。
あの戦いには、確かに意味があったのだと思えた。
「ビルセイヤ」
その時、不意に声を掛けられる。
振り向くと、ギルドマスターが大きなジョッキを片手に立っていた。
「少しいいか」
「はい」
ビルセイヤは頷き、二人で少し離れた席へ移動する。
喧騒から半歩だけ外れた場所。
それでも、冒険者たちの笑い声や乾杯の音はよく聞こえた。
ギルドマスターはエールを一口飲み、真剣な表情でビルセイヤを見た。
「お前に聞きたいことがある」
「何ですか?」
「アークレイドから、何か託されたか?」
一瞬、ビルセイヤは目を瞬かせた。
「……どうしてそう思うんです?」
「勘だ」
ギルドマスターがニヤリと笑う。
「英雄ってのは、そういうもんだからな」
その答えが妙にしっくりきて、ビルセイヤは苦笑する。
右手を見る。
今も、そこには微かな温もりが残っていた。
アークレイドから受け継いだ力。
剣技、知識、戦いの感覚――まだ全てを理解できたわけではない。
だが確かに、自分の中に息づいている。
「剣技や知識を、少しだけ」
正直に答えると、ギルドマスターは静かに目を細めた。
「やっぱりか」
驚くというより、どこか納得したような声だった。
「大切にしろ」
「はい」
「それは英雄の遺産だ」
短い言葉だった。
だが、その一言には重みがあった。
千年前に世界を救った英雄。
そして、再び世界を守るために立ち上がり、最後には静かに消えていった男。
その遺志の一部が、今、自分の中にある。
そう思うと、自然と背筋が伸びた。
軽い気持ちで扱っていいものではない。
必ず自分の力にしなければならない。
ビルセイヤは静かに頷いた。
その時だった。
不意に、ギルドの入口が開く。
ガチャッ――
大きくはない音だった。
だが、どこか場違いな静けさを伴ったその音に、酒場の空気がわずかに変わる。
全員の視線が入口へ向いた。
現れたのは、一人の騎士だった。
白い鎧。
胸元には王国の紋章。
腰に佩いた剣も、立ち姿も、街の衛兵とは明らかに格が違う。
普通の人物ではない。
一目でそう分かる。
騎士はギルド内を見渡し、やがてその視線をまっすぐビルセイヤへ向けた。
そして――
「ビルセイヤ殿」
静かな、だがよく通る声で告げる。
「王都より召喚状が届いております」
ギルド内が、しんと静まり返った。
つい先ほどまで騒がしかった酒場が、嘘のように静かになる。
誰もが目を見開き、騎士とビルセイヤを交互に見ていた。
王都。
召喚状。
それは、普通の冒険者にはまず縁のない言葉だ。
ビルセイヤ自身も驚いていた。
「俺に……ですか?」
思わず聞き返すと、騎士は恭しく頭を下げる。
「はい」
そして、はっきりと言った。
「国王陛下が、お会いになりたいとのことです」
その言葉が落ちた瞬間――
祝宴の空気が、一変した。
王都アルティア。
国王陛下。
冒険者ギルド本部ではない。
王そのものからの呼び出し。
それが意味するものを、ここにいる誰もが理解していた。
ビルセイヤは、思わず息を呑む。
古代神殿。
英雄アークレイド。
異界の魔神。
そして、ギルドへの帰還。
長い戦いが終わったと思っていた。
だが、どうやら本当の意味での“次”は、もう目の前まで来ているらしい。
新たな物語の幕が、静かに上がろうとしていた。
第二章 第八十四話
祝宴の夜
――続く。




