第十三話 古代鍛冶師の遺産
「ビルセイヤさん!」
遠くから聞こえるような声だった。
霞んでいた意識が、少しずつ現実へ引き戻されていく。
重い瞼を開くと、心配そうな表情のエミリアが目の前にいた。
その隣には、セシリアの姿もある。
「大丈夫ですか!?」
「急に動かなくなったんですよ!」
二人の声を聞きながら、ビルセイヤはゆっくりと立ち上がった。
頭が少し重い。
だが、体調に異常はない。
「ああ、大丈夫だ」
そう答えながら額の汗を拭う。
問題は体ではない。
頭の中だった。
◇◇◇
膨大な知識。
それが、脳裏に刻み込まれていた。
鉄の精錬技術。
鋼の製造法。
熱処理技術。
鍛接技術。
金属の特性。
魔力を流すための加工法。
そして、古代鍛冶師たちが築き上げた失われた技術の数々。
まるで何十年も修行した職人の経験が、一気に流れ込んできたような感覚だった。
「何が起きたんですか?」
エミリアが不安そうに尋ねる。
ビルセイヤは手に持った本へ視線を落とした。
「たぶん……この本だ」
◇◇◇
本の表紙には、古代文字が刻まれていた。
本来なら読めるはずがない。
だが不思議なことに、意味が理解できる。
『古代鍛冶師録』
そう書かれていた。
「読めるんですか?」
セシリアが驚いた顔をする。
「普通は読めないはずですよ?」
「俺もそう思う」
ビルセイヤは苦笑した。
だが、実際に読めるのだから仕方がない。
おそらく、本を開いた瞬間に知識と共に文字の意味も流れ込んできたのだろう。
まさしく魔法の本だった。
「古代鍛冶師録、か……」
口にしただけで胸が高鳴る。
ただの古文書ではない。
この本には、技術そのものが封じられている。
それがどれほど異常で、どれほど価値のあるものなのか、鍛冶師見習いだったビルセイヤには痛いほど分かった。
◇◇◇
ビルセイヤはページをめくる。
そこには武器や防具の設計図が描かれていた。
剣。
槍。
斧。
鎧。
盾。
さらには見たこともない特殊な武具まで記録されている。
刃の角度。
芯材と外装材の組み合わせ。
熱の入れ方。
魔力の通し方。
金属同士の相性。
ただ形を描いただけの設計図ではない。
そこには、武具を完成させるための思想そのものが記されていた。
「すごい……」
思わず呟く。
鍛冶師見習いだった頃、どれほど技術書を読み漁っただろうか。
少しでも良い刃を打ちたくて、古い文献を探し、鍛冶場にこもり、火の前で汗を流した。
だが、この本は次元が違う。
国宝級どころではない。
世界そのものを変えられる可能性を秘めていた。
この世界の鍛冶技術を、一段も二段も先へ押し上げられるかもしれない。
それほどの価値が、この一冊には詰まっている。
◇◇◇
その時だった。
あるページで、ビルセイヤの手が止まる。
「これは……」
描かれていたのは、一振りの武器だった。
細長い刀身。
片刃。
美しい反り。
特徴的な柄。
そして、見る者を惹きつける静かな存在感。
見間違えるはずがない。
日本刀だった。
◇◇◇
ビルセイヤの心臓が、大きく跳ねる。
異世界に来て初めて見つけた。
日本刀の記録。
それも、ただ似た形をした武器ではない。
構造も、反りも、重ねも、刃文を想定したような記述まである。
間違いなく、本物だ。
「どうしたんですか?」
セシリアが覗き込む。
エミリアも興味深そうに近づいてきた。
ビルセイヤは震える指でその絵をなぞりながら、静かに言った。
「刀だ」
「カタナ?」
二人は首を傾げる。
やはり知らないらしい。
それも当然だろう。
この世界ではロングソードや槍が主流だ。
日本刀という概念そのものが存在していない。
「俺の故郷にあった剣だ」
正確には少し違う。
だが、説明するにはそれが一番分かりやすかった。
「そんな武器があるんですね……」
エミリアが感心したように言う。
「ああ」
ビルセイヤは頷いた。
ページを見つめる瞳に、熱が宿る。
「いつか打ってみたいと思っていた」
いや、違う。
今はもう“思っていた”ではない。
必ず打つ。
そう決めた。
元の世界では、まだ見習いだった。
憧れはあっても、自分だけの理想の刀を打ち切るところまでは届かなかった。
けれど今は違う。
この世界に来て、剣を振るって、人を守るために戦って、そして古代鍛冶師の知識を手に入れた。
ならば打てるかもしれない。
いや――打つべきだ。
自分の剣を。
自分の理想を。
この世界で、生きるための刀を。
◇◇◇
その時だった。
ゴゴゴゴゴゴ……。
低い振動が足元から伝わってくる。
三人の表情が変わった。
「なに!?」
セシリアが周囲を見回す。
振動はどんどん大きくなっていく。
壁が軋む。
石柱が震える。
天井から砂が落ちてくる。
「まさか!」
エミリアの顔が青ざめた。
「遺跡が崩れます!」
◇◇◇
直後。
ドォォォン!!
轟音と共に天井の一部が崩れ落ちた。
巨大な石塊が床へ激突し、土煙が舞い上がる。
「走れ!」
ビルセイヤが叫ぶ。
三人は一斉に駆け出した。
もちろん、本はしっかり抱えたままだ。
こんな宝物を置いていく気はない。
◇◇◇
遺跡内を全力で走る。
後方では崩壊音が響き続けていた。
壁が割れる。
柱が倒れる。
床石が砕ける。
まるで遺跡そのものが寿命を迎えたかのようだった。
「右です!」
エミリアが叫ぶ。
迷いがない。
森で鍛えた感覚なのか、正確に道を覚えていた。
「助かる!」
ビルセイヤも速度を落とさない。
セシリアも必死に食らいつく。
背後で石柱が倒れ、轟音が追いかけてくる。
一歩でも遅れれば、あの瓦礫の下敷きだ。
「ビルセイヤさん、前!」
「ああ!」
崩れた床を飛び越える。
落石をかわす。
土煙の中を駆け抜ける。
心臓が激しく脈打つ。
息が熱い。
だが止まれない。
◇◇◇
やがて、出口が見えた。
光だ。
「あと少し!」
三人は最後の力を振り絞る。
地面を蹴る。
飛び出す。
転がる。
そして――。
ドォォォォォォン!!
背後で巨大な音が響いた。
振り返る。
遺跡が完全に崩壊していた。
土煙が空高く舞い上がり、さっきまでそこにあった石造りの建造物は、ただの瓦礫の山へと変わっている。
◇◇◇
「た、助かった……」
セシリアがその場に座り込む。
「本当に死ぬかと思いました……」
エミリアも肩で息をしていた。
額には汗が滲んでいる。
ビルセイヤも苦笑した。
確かに危険だった。
あと数秒遅れていたら、生き埋めだっただろう。
だが。
彼の腕の中には、一冊の本がある。
古代鍛冶師録。
それだけで、今回の探索は大成功だった。
いや――成功どころではない。
冒険者としても。
そして鍛冶師としても。
この日手に入れたものは、あまりにも大きい。
◇◇◇
帰り道。
夕日が森を赤く染めていた。
ビルセイヤは何度も本へ視線を落とす。
頭の中には、一つの光景が浮かんでいた。
炎。
鉄。
金槌。
火花。
そして、一振りの刀。
日本刀。
かつて憧れ続けた武器。
異世界では存在しないはずの剣。
だが、今なら打てるかもしれない。
この知識があれば。
この技術があれば。
自分の理想を形にできるかもしれない。
ビルセイヤは静かに拳を握った。
いつか、ではない。
近いうちに必ず打つ。
誰よりも美しく。
誰よりも強く。
誰かを守るための刀を。
それは、まだ小さな決意だった。
だがその決意はやがて、世界に名を刻む伝説の鍛冶師への第一歩となる。
そして――。
後に英雄ビルセイヤの名と共に語られる、数々の伝説の武器は、この日、この瞬間から始まったのだった。
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第一章 第十三話
古代鍛冶師の遺産
――続く。




