第七十四話 異界の魔神
ピシッ――。
神殿中央に浮かぶ巨大な魔法陣。
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その中心で、空間そのものがひび割れていた。
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黒い亀裂。
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現実とは思えない光景。
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まるで世界に傷が付いたかのようだった。
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そして、その裂け目の奥。
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巨大な赤い瞳がこちらを見つめている。
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ただ見られているだけ。
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それだけなのに全身が震えた。
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呼吸が苦しい。
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胸が締め付けられる。
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魂そのものを見透かされているような感覚。
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「な、何よ……あれ……」
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セシリアが無意識に後退る。
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声が震えていた。
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これまで数え切れないほどの魔物と戦ってきた。
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だが、こんな恐怖は初めてだった。
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戦う以前に、本能が逃げろと叫んでいる。
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「精霊たちが……」
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エミリアの顔も青ざめていた。
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「怯えています……」
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「こんなの初めてです……」
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風の精霊。
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水の精霊。
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土の精霊。
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普段は無邪気な彼らが悲鳴を上げていた。
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それほど危険な存在。
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ツバサは日本刀の柄を強く握り締める。
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「冗談じゃないぞ……」
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「目だけでこれかよ」
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もし本体が出てきたらどうなる。
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考えるだけで背筋が寒くなった。
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その時だった。
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アークレイドが静かに前へ出る。
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白銀の長剣を抜き放つ。
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シャリン――。
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澄み切った金属音が響いた。
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美しい刀身。
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千年前の英雄が剣を構える。
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「下がっていろ」
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短い言葉だった。
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しかし絶対的な自信が込められていた。
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「お前たちでは無理だ」
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セシリアが反射的に言い返す。
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「何よそれ!」
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「私たちだって――」
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「死ぬぞ」
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アークレイドは振り返らない。
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ただ事実を告げる。
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「今のお前たちでは一秒も持たない」
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悔しかった。
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だが誰も反論できない。
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あの瞳を見ただけで理解している。
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格が違う。
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存在する次元そのものが違う。
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そう感じてしまった。
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「ビルセイヤ」
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不意にアークレイドが名を呼ぶ。
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全員が驚いた。
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「なぜ俺の名前を?」
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ビルセイヤが問い返す。
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アークレイドは微かに笑った。
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「見ていた」
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「先ほどの戦いをな」
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「この中で一番強い」
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「だから覚えた」
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単純な理由だった。
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だが英雄にそう評価されても、ビルセイヤは素直に喜べない。
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今はそれどころではなかった。
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その時。
◇◇◇
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
◇◇◇
空間の裂け目がさらに広がる。
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そして。
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巨大な爪が現れた。
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黒い鱗。
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禍々しい魔力。
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爪一本だけで五メートルを超えている。
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「来るぞ!」
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アークレイドが叫んだ。
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直後。
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黒い腕が裂け目から飛び出す。
◇◇◇
ドォォォォォォン!!
◇◇◇
神殿の床が砕け散る。
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石柱が吹き飛ぶ。
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壁面に亀裂が走る。
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たった腕一本。
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それだけで神殿が崩壊しかけていた。
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「化け物かよ……」
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ツバサが呟く。
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その腕が再び動く。
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今度はビルセイヤたちへ向かって。
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だが。
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「邪魔だ」
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アークレイドが踏み込んだ。
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一歩。
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たったそれだけ。
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次の瞬間。
◇◇◇
ズバァァァァァッ!!
◇◇◇
銀光が神殿を走る。
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黒い腕が根元から切断された。
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「え……?」
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セシリアが目を見開く。
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理解が追い付かない。
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剣を振った瞬間すら見えなかった。
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結果だけがそこにある。
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切断された腕は黒い霧となり消滅していった。
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アークレイドは剣を軽く下ろす。
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「千年前より弱いな」
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その言葉に全員が絶句した。
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今のが弱い?
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冗談ではない。
◇◇◇
だが。
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英雄の表情は険しかった。
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「いや……違う」
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裂け目を見つめる。
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「まだ本体ではない」
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その瞬間。
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裂け目の奥から笑い声が響いた。
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低い声。
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男とも女とも分からない声。
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だが確かな知性が感じられる。
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『久しいな』
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声が響いた瞬間。
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神殿全体が震えた。
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アークレイドの瞳が細められる。
◇◇◇
『英雄アークレイド』
◇◇◇
その名を呼ぶ声。
◇◇◇
千年前の宿敵。
◇◇◇
世界を滅亡寸前まで追い込んだ災厄。
◇◇◇
異界の魔神だった。
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『また会えたことを嬉しく思うぞ』
◇◇◇
不気味な笑い声が響く。
◇◇◇
そして。
◇◇◇
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
◇◇◇
裂け目がさらに広がり始めた。
◇◇◇
世界の傷口が広がるように。
◇◇◇
本体が現れようとしている。
◇◇◇
千年前、世界を絶望に染めた災厄が。
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アークレイドは剣を構え直した。
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その横顔には、先ほどまでの余裕はない。
◇◇◇
あるのは戦士の覚悟だけ。
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そしてビルセイヤは理解する。
◇◇◇
ここから先は、自分たちが経験したどんな戦いとも違う。
◇◇◇
世界の命運を賭けた戦いが始まろうとしているのだと。
第二章 第七十四話
「異界の魔神」
――続く。




