第六十二話 第三段階
オーガス南門防衛戦から、一夜が明けた。
昨日までの騒乱が嘘のように、街には少しずつ日常が戻り始めている。
市場では商人たちの威勢のいい呼び声が飛び交い、露店には朝から客が集まり、子供たちは何事もなかったかのように路地を駆け回っていた。
ブラックウルフキング率いる魔物の軍勢。
もしあの襲撃を止められなければ、オーガスは壊滅的な被害を受けていただろう。
だからこそ、街の人々はクラン【ホーム】と守備隊に惜しみない感謝を向けていた。
「助かりました!」 「本当にありがとうございました!」 「あなたたちがいなかったら、この街は……」
感謝の言葉は絶えない。
商人も、職人も、一般の住民たちも、皆一様に頭を下げてくる。
だが――。
当の本人たちの表情は、晴れなかった。
当然だろう。
何も終わっていないのだから。
むしろ、問題はこれからだ。
レッドオーガ。
ブラックウルフキング。
そして、盗賊団。
それらすべての背後に見え隠れする、蛇の紋章。
敵の正体も、目的も、まだ何一つ掴めていない。
◇◇◇
オーガス冒険者ギルド。
ギルドマスター室。
室内には重苦しい空気が満ちていた。
机の上に並べられているのは、二枚の黒い金属片。
一枚は北部鉱山で討伐したレッドオーガの首輪から回収したもの。
もう一枚は、南門で倒したブラックウルフキングの首輪から出てきたものだ。
そこに刻まれていた文字は、どちらも不気味なものだった。
『計画は順調』
『第三段階へ移行せよ』
たったそれだけの短い文面。
だが、その意味はあまりにも重い。
「やはり、何か大きな計画が進んでいるな……」
ギルドマスターが腕を組み、険しい顔で呟いた。
「問題は、その計画が何なのかだ」
椅子にもたれたツバサが、低く言う。
「盗賊団の襲撃」 「北部鉱山の占拠」 「南門への魔物の侵攻」
「全部が繋がってるのは間違いない。けど、肝心の目的が見えねぇ」
セシリアも頷いた。
「そうなのよね。街を潰したいだけなら、もっと効率のいい方法があるはずだもの」
確かに、その通りだった。
盗賊を使った商隊襲撃。
鉱山への魔物侵入。
そして南門への大規模侵攻。
一つ一つの事件は明らかに異常だ。
だが、それらを一つの線で結んだ時、まだ“決定的な目的”だけが見えてこない。
街を混乱させたいのか。
人を攫いたいのか。
何かを奪いたいのか。
あるいは――
何かを、目覚めさせようとしているのか。
その時だった。
コンコン。
扉がノックされる。
「失礼する」
入ってきたのは、オーガス鍛冶ギルド長だった。
だが、その表情はいつもの豪快さとは程遠い。
目に見えて焦りが浮かんでいる。
「ギルドマスター、まずいことになった」
その一言で、部屋の空気がさらに張り詰めた。
「何があった?」
ギルドマスターが問い返すと、鍛冶ギルド長は返事の代わりに一枚の地図を机の上へ広げた。
オーガス周辺の地図だ。
そこには、三つの赤い印がつけられていた。
盗賊団のアジト。
北部鉱山。
そして、南門平原。
ビルセイヤはすぐに気づく。
「今回の事件現場か」
「そうだ」
鍛冶ギルド長が頷く。
そして懐から定規を取り出し、三つの地点を線で結んだ。
一本。
また一本。
さらに一本。
やがて、地図の上に一つの三角形が浮かび上がる。
その中心付近にある一点を、鍛冶ギルド長は指で叩いた。
「ここだ」
全員の視線がそこへ集まる。
示されていた場所は――オーガス西部。
人が滅多に立ち入らない深い森の奥。
「古代遺跡……」
エミリアが小さく呟いた。
その名に、部屋の空気がさらに重くなる。
古代遺跡。
数百年前に滅びた文明の遺構。
地下には未発見の施設が眠っているとも言われ、危険な魔物も多く、本格的な調査はほとんど進んでいない場所だ。
「昔から噂はあった」
鍛冶ギルド長が腕を組みながら続ける。
「遺跡の地下には、巨大な施設が眠ってるってな。だが魔物が多すぎて、まともに近づけねぇ。鍛冶ギルドでも何度か調査の話は出たが、結局うやむやになっていた」
ギルドマスターの表情が険しくなる。
「まさか……第三段階の目的地が、そこだと?」
誰も即答はしなかった。
だが、否定する材料もない。
盗賊団の活動。
鉱山襲撃。
南門への魔物侵攻。
もしそれらすべてが、古代遺跡へ向かうための“布石”だったとしたら。
あまりにも綺麗に繋がりすぎていた。
ビルセイヤは、地図の一点をじっと見つめる。
胸騒ぎがした。
嫌な予感だ。
だが同時に、確信もある。
――この場所に、黒幕がいる。
蛇の牙の正体へ辿り着くための手掛かりが、そこにある。
「行こう」
静かに、ビルセイヤが立ち上がった。
「古代遺跡へ」
迷いのない声だった。
セシリアも、すぐに立ち上がる。
「もちろん行くわ」
ツバサは肩をすくめて苦笑する。
「どうせそう言うと思ってたよ」
だが、その目には反対の色はない。
エミリアも微笑みながら頷いた。
「準備を整えましょう。今度こそ、黒幕に辿り着けるかもしれません」
こうして、クラン【ホーム】は次なる目的地を決める。
古代遺跡。
蛇の牙が目指す場所。
第三段階の真実が眠る場所。
そして――。
これまでのすべての事件が収束する、陰謀の中心地。
彼らはまだ知らない。
その地下深くで、すでに計画が最終段階へ近づきつつあることを。
◇◇◇
一方、その頃。
オーガス西部の森、そのさらに奥深く。
古代遺跡地下。
巨大な石造りの空間に、一人の黒ローブの男が立っていた。
その目の前には、高さ十メートルを超える巨大な扉がそびえ立っている。
扉一面に刻まれたのは、無数の蛇を模した不気味な紋様。
中央には三つの窪みがあり、そのうち二つが妖しい紫色の光を放っていた。
「第二鍵、解放完了」
黒ローブの男が、低く呟く。
フードの奥で、口元が歪んだ。
「計画は順調」
男の視線が、最後に残された一つの窪みへ向けられる。
まだ埋まっていない、最後の鍵穴。
「まもなく第三段階が始まる」
ククク、と。
低く不気味な笑い声が、広大な地下空間へ反響した。
その響きはまるで――
これから訪れる災厄を、心から歓迎しているかのようだった。
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第二章 第六十二話
「第三段階」
――続く。




