第六十一話 神速の居合
オーガス南門――。
戦場は、すでに混沌に呑み込まれていた。
地を揺らしながら押し寄せる百五十を超える魔物の群れ。
それを迎え撃つ兵士たち。
そして、その最前線を駆けるクラン【ホーム】。
剣戟の音。
魔物の咆哮。
兵士たちの怒号。
土煙と血の匂いが入り混じり、戦場はまさに修羅場と化していた。
その中を、ビルセイヤは一直線に駆ける。
目指す先はただ一つ。
――ブラックウルフキング。
あの魔物こそ、この群れを統率する“王”だ。
倒さなければ、この戦いは終わらない。
「ガアアアアアアアアアッ!!」
ブラックウルフキングが咆哮した。
その声に呼応するように、周囲の魔物たちが一斉に動く。
ゴブリン。
コボルト。
オーク。
次々とビルセイヤの前に飛び出し、壁のように立ちはだかった。
まるで王へ近づかせまいとするかのように。
「邪魔だ」
ビルセイヤの剣が閃く。
ズバッ!
先頭のゴブリンが吹き飛ぶ。
続けざまにコボルトを斬り伏せ、さらにオークの脇を裂く。
止まらない。
踏み込み、斬る。
かわし、斬る。
流れるような剣筋で、立ちはだかる魔物を次々と切り捨てていく。
だが――数が多い。
倒しても倒しても、次が現れる。
ブラックウルフキングまでの道は、まだ遠かった。
その時だった。
「ビルセイヤ!」
ツバサの声が戦場に響く。
「ここは任せろ!」
その言葉と同時に、ツバサは静かに日本刀を鞘へ納めた。
腰を落とす。
呼吸を整える。
視線を前方へ据える。
その姿を見たセシリアが目を見開いた。
「まさか……!」
「居合だ」
ツバサ最大の得意技。
抜刀の一瞬に全てを懸ける神速の剣――居合。
兵士たちは困惑していた。
なぜ、敵を前にして刀を納めるのか。
理解が追いつかない。
だが、ビルセイヤは知っている。
ツバサの居合が、どれほど凶悪な一撃なのかを。
次の瞬間――
キィィィィン――。
澄み切った抜刀音が戦場を裂いた。
誰も見えなかった。
ツバサがいつ刀を抜いたのか。
いつ斬ったのか。
その全てが、視界の外にあった。
気づけば、ツバサはすでに納刀していた。
そして――
前方にいた魔物たちが、ぴたりと静止する。
ゴブリン。
コボルト。
オーク。
十数体に及ぶ魔物が、その場で凍りついたように動きを止めていた。
次の瞬間。
ズズズズッ――
全ての身体に一筋の斬線が走る。
そして、一斉に崩れ落ちた。
「なっ……!?」 「今、何が起きた!?」
兵士たちが騒然となる。
ツバサは肩を竦めて笑った。
「ただの居合だよ」
そう言いながらも、その一撃で前方に大きな道が生まれていた。
ブラックウルフキングまで一直線に繋がる、決定的な突破口。
「行け!」
「助かる!」
ビルセイヤは礼だけを短く返し、さらに加速する。
危険を察知したのだろう。
ブラックウルフキングもまた、自ら前へ出てきた。
「グルルルルル……」
低く唸る声。
全長三メートルを超える巨体。
漆黒の毛並み。
血のように赤い瞳。
鋭い牙と爪。
まるで、黒き死神。
だが、ビルセイヤの視線が向いていたのは、その首元だった。
黒い首輪。
刻まれた蛇の紋章。
まただ。
盗賊団。
レッドオーガ。
そして今、ブラックウルフキング。
すべてが同じ紋章で繋がっている。
「お前も操られているのか」
小さく呟く。
当然、返事はない。
次の瞬間、ブラックウルフキングが地を蹴った。
速い。
レッドオーガとは比べものにならない速度だった。
黒い影となって、ビルセイヤへと飛びかかる。
「ビルセイヤ!」
セシリアが叫ぶ。
だが――
ビルセイヤは冷静だった。
半歩。
ほんの僅かに身体をずらす。
それだけで、ブラックウルフキングの爪は空を切った。
「――遅い」
反撃。
ズバッ!
鋭い剣閃が、ブラックウルフキングの肩口を裂く。
鮮血が舞う。
「ガアアアアアッ!!」
怒りの咆哮。
さらに二撃、三撃と剣を走らせるが、ブラックウルフキングもさすがはAランク相当。
致命傷には届かない。
その時だった。
「ビルセイヤ!」
ツバサが叫ぶ。
「刀を使え!」
空を切って何かが飛ぶ。
日本刀だった。
ビルセイヤとツバサが共に鍛え上げた試作品。
ビルセイヤはそれを片手で受け取る。
自然と身体が動いた。
刀を鞘へ納める。
重心を落とし、呼吸を整える。
ツバサから教わった居合。
何度も繰り返し、身体に叩き込んだ技。
ツバサが不敵に笑う。
「見せてみろ」
「……お前の居合を」
ブラックウルフキングが再び飛びかかる。
勝負は、一瞬。
風が止まったような静寂が戦場を包んだ。
そして――
ビルセイヤの右手が動く。
キィィィィィン――。
澄み渡る抜刀音。
一筋の銀光が、世界を断ち切るように走った。
誰も見えなかった。
ただ結果だけが、そこに残る。
ブラックウルフキングがビルセイヤの横を通り過ぎる。
数歩、前へ。
静寂。
次の瞬間――
パキンッ。
黒い首輪が砕け散った。
さらに、首筋から鮮血が噴き出す。
ブラックウルフキングは数歩よろめき――
ドォォォォォン!!
巨体を地面へと沈めた。
魔物の王、討伐。
その瞬間、群れの統率は完全に崩れ去った。
逃げ出す魔物。
立ち尽くす魔物。
我先にと散っていく魔物。
もはや先ほどまでの“軍勢”ではない。
「勝ったぞおおおおっ!!」 「オーガスは守られた!!」
兵士たちの歓声が上がる。
オーガス防衛戦――勝利。
だが。
ビルセイヤは倒れたブラックウルフキングではなく、砕けた首輪へ視線を落としていた。
カラン、と。
黒い金属片が転がり出る。
「またか……」
慎重に拾い上げる。
そこに刻まれていた文字を見た瞬間、ビルセイヤたちの表情が変わった。
『第三段階へ移行せよ』
短い文言。
だが、その意味は重い。
レッドオーガの時は『計画は順調』。
そして今回は『第三段階へ移行せよ』。
つまり――
まだ終わっていない。
蛇の牙の計画は、いまこの瞬間も進行しているのだ。
ビルセイヤは金属片を握り締め、静かに空を見上げた。
黒幕は近い。
だが、同時に嫌な予感が胸をよぎる。
これはまだ序章にすぎない。
もっと大きな何かが、この街を呑み込もうとしている。
オーガスの空に、不穏な風が吹き抜けた。
そして――。
蛇の牙が仕掛ける“第三段階”は、すでに始まろうとしていた。
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第二章 第六十一話
「神速の居合」
――続く。




