第十話 オークジェネラル
森の空気が変わった。
まるで、目に見えない重圧が周囲を覆ったかのようだった。
木々の間から姿を現した巨体。
それを見た瞬間、セシリアの表情が強張る。
「そんな……」
普段は冷静な彼女が、はっきりと息を呑んだ。
「オークジェネラル……!」
上位種。
オークの指揮官。
そして、駆け出し冒険者が遭遇していい存在ではない魔物だった。
◇◇◇
オークジェネラルは、圧倒的な存在感を放っていた。
身長は三メートル近い。
筋肉で膨れ上がった肉体は、まるで岩の塊のようだ。
右手には巨大な戦斧。
普通の人間なら、持ち上げることすらできないだろう。
その怪物が、濁った眼でこちらを見下ろしていた。
「グルルルル……」
低い唸り声。
それだけで、周囲の空気が震える。
他のオークたちですら、自然と道を開けていた。
明らかに格が違う。
「まずいですね……」
セシリアが小さく呟く。
額には汗が浮かんでいた。
ビルセイヤは、そんな彼女を横目で見て尋ねる。
「そんなに強いのか?」
「強いなんてもので済みません」
セシリアは真剣な顔で答えた。
「Dランクパーティーでも、全滅することがあります」
それは十分な説明だった。
今まで戦ったゴブリンやオークとは次元が違う。
間違いなく強敵。
だが――。
ビルセイヤは、不思議と恐怖を感じていなかった。
むしろ、身体の奥が熱くなる。
強い相手と剣を交える時の高揚感。
剣士としての血が、静かに騒いでいた。
◇◇◇
「ビルセイヤさん」
セシリアが、真っ直ぐこちらを見つめてくる。
「危なくなったら、逃げてください」
「セシリアはどうする?」
「私は冒険者です」
迷いのない声だった。
「逃げる人を守るのも、仕事ですから」
その言葉に、ビルセイヤは思わず笑った。
「一人で格好つけるな」
「え?」
「逃げるなら一緒だ。戦うなら、一緒に戦う」
セシリアは一瞬だけ目を見開いた。
そして、ふっと微笑む。
「……はい」
短いやり取りだった。
だが、それだけで二人の覚悟は定まった。
◇◇◇
「グオオオオオオオオオッ!!」
オークジェネラルが咆哮した。
大気が震える。
次の瞬間、巨体が地面を蹴った。
「っ!?」
速い。
あまりにも速い。
三メートル近い巨体からは想像もできない速度で、オークジェネラルが迫る。
巨大な戦斧が、頭上から振り下ろされた。
ビルセイヤは反射的に横へ飛ぶ。
直後。
轟音。
戦斧が地面を叩き割り、土と石が爆ぜるように吹き飛んだ。
「冗談じゃないな……」
直撃していたら終わっていた。
間違いなく即死だった。
だが、ビルセイヤは冷静さを失っていない。
見るべき場所は決まっている。
肩。
腰。
重心。
足の向き。
剣道で鍛えた観察眼が、相手の次の動きを拾う。
オークジェネラルの右肩が、わずかに下がった。
「横薙ぎ――!」
予測した瞬間、巨大な戦斧が横へ薙ぎ払われる。
ビルセイヤは身を低く沈めた。
凄まじい風圧が頭上を通り過ぎ、髪を揺らす。
今だ。
踏み込む。
「はぁっ!」
ロングソードを振り抜いた。
狙うのは脇腹。
だが――。
ガギィィィン!!
金属を打ったような音が響いた。
「硬い!?」
刃が弾かれた。
皮膚が異常に硬い。
まるで分厚い鎧でも斬ったかのような感触だった。
◇◇◇
「風よ!」
後方から澄んだ声が響く。
エルフの少女――エミリアだった。
風の刃が生まれ、オークジェネラルへ飛ぶ。
「エアーカッター!」
さらに、矢が放たれる。
風を纏った矢が一直線に飛び、オークジェネラルの肩へ突き刺さった。
しかし。
「グルァッ!」
オークジェネラルは腕を振るい、矢を叩き折った。
風の刃も厚い皮膚を浅く裂いただけで、決定打には程遠い。
「そんな……」
エミリアの顔が青ざめる。
決定打にならない。
このままでは押し切られる。
◇◇◇
「セシリア!」
「はい!」
二人は同時に動いた。
セシリアが正面へ飛び出す。
盾を構え、オークジェネラルの注意を引く。
「こっちです!」
「グオオッ!」
戦斧が振り下ろされる。
セシリアはまともに受けず、盾で角度をずらしながら横へ流した。
それでも衝撃は重く、足元の土がえぐれる。
その隙に、ビルセイヤが側面へ回り込む。
斬る。
斬る。
さらに斬る。
一撃では浅い。
ならば、同じ場所を何度でも狙う。
少しずつだが、傷は増えていく。
「グオオオオオッ!」
怒ったオークジェネラルが戦斧を振り回した。
横殴りの一撃。
盾ごとセシリアが吹き飛ばされる。
「セシリア!」
彼女は地面を転がり、木の幹へ背中から激突した。
「くっ……」
だが、すぐに剣を支えにして立ち上がる。
「まだ……大丈夫です!」
その姿に、ビルセイヤは安堵する。
しかし、長期戦は危険だった。
体力も。
人数も。
火力も。
今のままでは、圧倒的に不利だ。
◇◇◇
その時だった。
森の奥から、複数の足音が響く。
次の瞬間。
「全員、無事か!」
聞き覚えのある声が響いた。
ギルドマスターだ。
討伐隊本隊が到着したのである。
「オークジェネラルだ! 囲め! 正面から一人で受けるな!」
号令が飛ぶ。
冒険者たちが一斉に展開した。
剣士。
槍使い。
弓使い。
魔法使い。
総勢十五名による包囲。
戦況が一気に変わった。
◇◇◇
オークジェネラルは怒り狂った。
戦斧を振るう。
木々が裂け、地面が抉れ、冒険者たちが次々と距離を取る。
だが、今度は一対一ではない。
四方八方から攻撃が飛んでくる。
剣が脚を斬る。
槍が脇腹を突く。
矢が肩へ刺さる。
魔法が体勢を崩す。
傷が増える。
血が流れる。
動きが鈍る。
そして――ビルセイヤは見つけた。
首元。
戦斧を振り抜いた直後に生まれた、ほんの一瞬の隙。
「そこだぁぁっ!」
全力で踏み込む。
剣道で培った渾身の一撃。
腰を落とし、足で地を蹴り、全身の力を刃へ乗せる。
ロングソードが閃いた。
刃が、オークジェネラルの首筋へ深く食い込む。
「グオオオオオオオオッ!!」
断末魔。
巨体が大きく揺れる。
そして――。
轟音と共に、オークジェネラルは地面へ倒れた。
◇◇◇
静寂。
誰も動かない。
数秒後。
「勝ったぞぉぉぉ!」
歓声が上がった。
「討伐成功だ!」
「オークジェネラルを倒したぞ!」
冒険者たちが沸き立つ。
大勝利だった。
ビルセイヤは息を吐き、剣についた血を振り払う。
手は少し痺れていた。
だが、それ以上に確かな手応えがあった。
この世界で、もっと強い敵とも戦える。
もっと多くの人を守れる。
そう思えた。
◇◇◇
そんな中、一人の少女がビルセイヤの前へ歩いてきた。
銀色の長い髪。
透き通るような白い肌。
長い耳。
エメラルドグリーンの瞳。
美しいエルフの少女だった。
少女は深々と頭を下げる。
「助けていただき、本当にありがとうございました」
「気にするな。無事でよかった」
ビルセイヤは軽く笑う。
すると少女も、少しだけ安心したように笑顔になった。
「私はエミリアといいます。エルフの冒険者です」
「エミリアか」
「はい」
どこか嬉しそうだった。
ビルセイヤも名乗る。
「俺はビルセイヤだ」
「セシリアです」
三人の視線が交わる。
森の中に吹く風が、エミリアの銀髪を揺らした。
まだ誰も知らない。
この出会いが、後に世界を救う英雄パーティーの始まりになることを。
そしてエミリア自身も、まだ気づいていない。
目の前の青年に助けられたこの瞬間から、自分の人生が大きく変わり始めていることを。
---
第一章 第十話
オークジェネラル
――続く。




