42、静寂を喰らうもの
あの日から、小夜と朧の距離は変わらないままだった。
近くにいるのに、どこか遠い。
言葉を交わしても、以前のような温度は戻らない。
それでも二人は、変わらないように日々を過ごしていた。
──その日も、誰もがいつも通りの一日になると思っていたのだ。
* * *
黎明二十七年、二月七日。
「……十六夜家破門にされたらしい」
「右腕穢れてるらしいよ…」
その日は、神祇統監機構への定期報告の日だった。
耳に届く嘲笑など、気にせずに朧は淡々と仕事をこなす。
「お疲れ様でした」
二階の受付で朧が書類を提出し、階段へと向かった時だった。
パァンッ!!
破裂音と共に突然、階下から強烈な光が弾けた。
「……っ!?」
視界が白く染まり、一瞬遅れて低い衝撃音が響く。足元が微かに揺れた。
─何だ?
次いで、階下から白い煙が立ち上ってくる。
ジリリリリリリッ!!
間髪入れずに火災報知器が鳴る音が聞こえた。
「くそ……!」
急いで非常階段を駆け下りる。
ロビーに降り立った朧の瞳に飛び込んできたのは、悲惨な惨状だった。
黒づくめの集団が、銃を片手にフロアを制圧している。
完璧な統率のもと、職員を無慈悲に壁際へと追い詰め、逃げ道を一つ残らず塞いでいた。
─何が目的だ……?
朧は周囲を見渡す。
その時、耳元に装着された通信機が鳴り響いた。
『朧か!?』
珍しく御影の慌てたような声が聞こえてくる。
「あ、隊長!今神祇統監機構で……」
『夜狗の襲撃だろう』
朧が説明する前に、御影は呟いた。
「え、何でそれを……」
『今治安統制局にいるんだが、こっちでも同じことが起きている』
─治安統制局でも……?
同時テロ。朧は冷や汗が伝うのを感じた。
『怪我はないか?』
「ええ」
御影は『そうか。良かった』とホッとしたように息をついた。
『さっきから電話してたんだが、繋がらなくてな。小夜様は神社にいるんだよな?』
「……ええ」
『なら今すぐ戻った方がいい。俺は身体検査やらなんやらですぐ出れそうにない。そっちはどうだ』
そう言われて朧は出入口を見やる。何人もの警備員たちが出入口の前を陣取り、職員ともめている。
「こっちも同じ感じです……」
『朧もか……神祇統監機構の上層部に取り合えないか?優遇措置が取れたらいいんだが』
「行ってみます」
朧は非常階段へと向かう。ドアに手を掛けたところで朧は「え……」と声を漏らした。
『どうした』
「非常階段の扉が開きません……」
何回もドアノブを下げようとするが、固い感触しか返ってこない。朧は走ってエレベーターに向かう。いくらボタンを押しても反応すらしなかった。
─閉じ込められた。
心臓が早鐘を打つ。
─夜狗の仕業か?
いや、とその考えを振り払った。それにしては行動が早すぎる。朧が下に降りてから非常階段の鍵をかけ、エレベーターを使えなくする。建物の内部構造を知らない外部のものには難しいだろう。
─まさか……。
朧は辺りを見回す。制圧されている職員、出入口付近に立ち塞がる警備員。全てが敵に見えてくる。
『……朧、俺も同じ状態だ。出入口以外に外に出れる所は?』
そう言われて朧は周りを見回す。エレベーターの前にある窓が目に入った。
「……窓ならあります」
『そこからいけそうか?』
「何かあればいいんですが……」
辺りを見回した朧は、廊下に設置されている消火器が目に映った。急いで手に取ると、渾身の力を込めて投げつける。ガシャアアン! と、耳をつんざく派手な音を立てて強化ガラスが粉砕された。
「隊長、外に出れます!」
『分かった。何が目的か分からないが、気をつけて戻れよ』
「ええ、また電話します」
電話を切った朧は窓の枠に手をかける。割れたガラスが手に刺さったが、気にかける暇はない。
窓から脱出した朧は目の前に広がる光景を見て、息を呑んだ。
本部建物の周囲を取り囲むように、おびただしい数の黒づくめの集団が陣取っている。
─何が目的だ……?
近くにいた黒ずくめの男が朧に気が付き、「おい!」と、銃を向けた。
─この数では勝てないな。
朧はすぐに距離を詰め、男の首を絞めて気絶させる。車に向かおうとした朧は、タイヤがパンクさせられていることに気が付いた。
─小夜様が狙いか……?
次第に焦りが生まれてくる。早く神社に戻らなければならない。
辺りを見回した朧は、夜狗の一員が跨るクルーザーバイクに目をつけた。奪うには、開けた場所に飛び出す必要がある。
─落ち着け……。
ここで死んだら何もかも意味がなくなる。
朧は深呼吸をすると、クルーザーバイクに鋭い目線を向ける。
─よし……!
朧が車の影から駆け寄った、その瞬間だった。
「捕まえろ」
低い声が響く。
次の瞬間、周囲にいた夜狗の一員たちが一斉に動いた。
しまった、と気付いた時には遅かった。
朧を囲むように夜狗が集まってくる。逃げ道を断つための配置。最初からバイクへ向かわせるよう誘導されていた。
「……誘導されたか」
無機質な銃口が一斉に朧へ向く。ここから正面突破は不可能。数が違いすぎる。
─どうする……。
朧が必死に頭を働かせた時、一人が「待て」と口を開いた。
「お前鎮守人か?」
「は?」
「ちょっと何言ってんすか?」
「鎮守人は殺さないように言われてるだろ」
「あぁ、こいつが……致命傷さえ避けたらいいんじゃないっすか?」
─どういう事だ……。
朧は眉を顰めるが、そんな暇はない。チャンスと捉えた朧は足を蹴り上げた。
「なっ……」
転がっていた消火器。それが、朧に蹴られて宙を舞う。
全員の視線が消火器へと移った瞬間、朧は迷わず踏み込んだ。
「おいっ!」
声が響くが、もう遅い。
朧は目の前の男の腕を取り、勢いを利用して地面へ叩き伏せる。
包囲の薄い場所を抜け、朧は駆け出した。
「てめぇ!!」
背後から怒号が響く。だが、朧は振り返らない。
目の前にあるのは、奪うべきバイクだけだった。
「鎮守人だ!!殺すなよ!!」
朧に気付いた他の一員が銃を向けてくるが、
─殺す気はない。
先ほどの会話から、それだけは分かっている。
迫り来る夜狗を次々と投げ飛ばし、朧はバイクに手を伸ばした。
「それ、貸せっ!!」
バイクに跨る夜狗を蹴飛ばした朧は、ヘルメットを奪い取り、すぐにエンジンをかける。
轟音とともに車体が動き出した。
「待て!」
背後から怒号が響く。
次の瞬間、乾いた銃声が昼間の街に響き渡った。
朧は咄嗟に身体を伏せるが、完全には避けきれなかった。
熱を持った衝撃が頬を掠める。
「……っ」
一瞬だけ視界が揺れた。朧は血の滲む頬を気にせず、ハンドルを握り直す。
いつもと変わらない昼の景色。
その中で、自分だけが異常の中心にいる。
─間に合ってくれ……!
朧は一心不乱に、神社へ向かって走り続けた。




