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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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40、遠い春の影

朧が不在の時、小夜は境内を手持ち無沙汰に散歩していた。

境内から見える街並みをぼんやりと眺めていた時、石段を女性が登ってくるのが目に入った。


─誰だろう。


拝殿から見ていると、女性は小夜に気が付いた。お辞儀をされて、慌てて小夜も返す。

女性は上品な着物を着ており、儚げな面持ちをしていた。


「こんにちは」

「あ……こんにちは」

「ここに十六夜朧さんという方はいらっしゃいますか?」


─朧……?


「いるけど……?」

「あの……」


そう言ってから女性は俯いた。


「……いえ、朧さんに渡して貰えませんか?」


一通の手紙が差し出される。


「もう帰ってくると思うけど、会わなくていいのか?」

「……彼が困ると思うので」


女性はそう言って、どこか寂しそうに微笑んだ。

小夜は手紙を受け取る。


「……朧の知り合い?」

「ええ、でも……私が勝手に好きだっただけなんです」


─鎮守人になる前の朧を知っている人。


小夜の胸がざわついた。

彼女の痛切な表情を見て、小夜はなんと返せばいいのか分からず、ただ手紙を見下ろす。


「あなたはここの巫女さんですか?」

「え、あ……まあ」


何故かは分からない。けど、この女性に正体を明かしてはいけないような気がした。


「朧さんはちゃんと任を果たされていますか?」


真っ直ぐな瞳に見つめられ、小夜は俯いた。


「あぁ……よくやってくれてるよ」

「……そうですか」


ふわりと風が吹いて、女性の髪の毛を揺らした。白梅の香りが鼻をくすぐる。


やはり、朧が戻ってくるまで待つつもりなのだろうか。小夜がそう考えていると、女性は泣きそうな顔になった。


「……鎮守人になること、あんなに嫌がってたのに」

「……え」


心の内が漏れてしまったのだろう。女性も言った瞬間、自分で気付いたように口を噤んだ。


「あ……ごめんなさい」


慌てたように視線を逸らす。


「今のは忘れてください。あなたに言うことじゃなかった……本当にごめんなさい」


そういった声は先程よりもずっと弱々しかった。


「手紙のこと、よろしくお願いします……」


頭を下げると、逃げるように彼女は去っていった。


─鎮守人になることを嫌がっていた、か。


母親だけではなく、彼女までそう言うのなら、本当に昔の朧はそうだったのだろう。


─もしかして彼女は朧の……。

 

小夜は手紙をぎゅっと握りしめる。

そこには、自分が知らない「自由だった頃の朧」を知る人の、切ない想いが詰まっている。


風が吹き抜け、境内の木々がざわめいた。もうすぐ、朧が帰ってくる時間だった。


* * *

野暮用から戻った朧は、境内に小夜がいることに気付いた。


「小夜様」


拝殿のベンチに座る小夜に声をかける。


「あ……朧おかえり」

「ただいま」

 

そこで朧は、彼女が白い便箋を手に持っていることに気が付いた。


「その手紙どうしたんですか」


小夜は呆けているのか反応しない。


「小夜様?」

「あ……ごめん。これ朧宛だよ」

「俺ですか?」


朧は受け取ると、便箋を確認する。名前は書かれていなかった。

中を取り出し、差出人の名前を見た途端、朧の目は見開かれた。


─月華さん……。


読み進めるにつれ、朧の端正な横顔から血の気が引いていく。便箋を持つ指先が、微かに震えた。


「……朧?」


小夜は不安気に朧の顔を覗き込んだ。


「……大丈夫か?」

「あ……すみません」


朧は手紙を閉じた。


「何かあったんだろう。会わなくていいのか?」


朧は明らかに動揺していた。


「いえ……」

「……さっき女性が渡しに来たよ。朧の大切な人なんじゃないのか」


─やっぱりここに来ていたのか……。


手紙を読んで朧の心は揺れていた。


「俺の大切な人は小夜様ですから……」


小夜は唇を噛み締めた。

 

「……そういうこと、簡単に言うなよ」


悲痛な声で小夜は呟く。


「え……」

「いや……ごめん」


小夜は誤魔化すように笑う。


「お前は、昔からそうやって誰かを守ってきたんだろうな」

「小夜様、あの……」

「さっき来た人、すごく辛そうだった」

「……」

「お前のこと、本当に大切だったんだろう」


─月華さんが……。


小夜は震える指をぎゅっと握った。しばらく沈黙が落ちた後、小夜は優しい声音で朧に語りかけた。


「なぁ、朧」

「……はい」

「お前……鎮守人やめていいよ」

「……は?」


呆けた声が出た。


「いきなり何を言い出すんですか。やめませんよ」

「もう一年余り経った。朧は本当によく任を果たしてくれたよ。朧には他に守るべき人がいるだろう」


小夜は朧に微笑みかけた。


「私はもう大丈夫だから」


朧は「小夜様……」と視線を落とした。


「俺はもうあなたに仕えると決めたんですよ。なぜそのようなこと仰るんですか……」

「もう人の人生を縛り付けるのはこりごりなんだよ……」


今にも泣き出しそうな小夜の声に、朧は息を呑む。


「……私は、お前の人生を奪いたくない」


絞り出すような声だった。朧は眉を寄せる。


「どうしてそうなるんですか」

「だって……」


小夜は唇を噛んだ。


「お前には、お前の人生があっただろ」

「ありますよ。今も」

「違う!」


思わず声が強くなる。小夜ははっとして口元を押さえた。


「……ごめん」


小夜は俯いた。

 

「私は、穢れだ。ずっとそう言われてきた。そんな私の為に、お前が全部捨てる必要なんか……」

「捨ててません」


今度は朧が遮った。珍しく感情の乗った声だった。


「俺は自分で選んだんです」

「でも鎮守人になるの嫌だったんだろ」


その瞬間、朧の表情が固まる。


「……小夜様」


低い声だった。朧は数秒黙ったあと、苦しそうに息を吐く。


「あなたは、俺があなたの側にいることを後悔してるように見えるんですか」


朧は拳を握り締めた。


─どうして伝わらない。


最初は確かに嫌だった。国からの任命で当然断られるはずもなく、渋々ここに来た。

けれど今は、命令でも義務でもない。

守りたいと思ったから、側にいると決めたのだ。

それなのに小夜は、ずっと自分だけで苦しみ、自分だけで結論を出そうとする。


まるで、朧の想いなど最初から存在しないかのように。


「……俺は」


掠れた声だった。


「あなたを守ることを、後悔したことなんて一度もありません」

「でも私は……」


─何で分かってくれないんだ。

 

「……どうして勝手に俺の気持ちを決めるんですか!」


抑えていた感情が我慢できなくなった。初めて聞く朧の声音に小夜は体を震わせる。


「俺は自分で選んだんです。あなたの側にいたいと思ったから、ここにいる。なのにあなたは、俺が不幸だったみたいに言う」

「そんなつもりじゃ……」


小夜の瞳から涙が落ちた。

 

「じゃあ、どういうおつもりなんですか!」


朧自身も、声を荒げたことに気付いたように息を止めた。

境内に沈黙が降りる。朧は顔を伏せた。


「……すみません」


朧は俯いたまま、小夜の横を通り過ぎた。


「少し……一人にしてください」

「……朧」


小夜は震える声で名前を呼ぶ。しかし、彼はもう振り返らなかった。

朧は巫殿に向かって歩く。何かあったのかと、本殿から桐生たちが駆け寄ってきた。


「すみません……小夜様を頼みます」


それだけ言うと、朧は便箋を握りしめて巫殿へと入った。

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