39、冬凪に沈む
小夜の様子がおかしくなってから数日が経った。
あの時だけだ。時間が経てば、またいつものように頼ってくれる。
朧はそう思っていたが、何日経っても小夜の様子が変わることはなかった。
途方に暮れた朧は、尊敬する人を頼ることにした。
『……小夜様が?』
「えぇ」
朧は自室のベッドに腰掛けて返す。相談を受けた男─御影は驚いた様子を見せた。
「今までこんなことはなかったんです……どうしたらいいか……」
『そうだなぁ……』と御影は呟く。
「すみません、忙しいのに……」
小夜の護衛任務で何度か同行してもらったこともあるが、御影は神祇統監機構保安総監という上の立場にいる。
元中央治安統制局隊長である彼は、その経験を買われ、現在は神祇統監機構の警備や危機管理を担っていた。
『構わんよ。お前が相談してくるなんてよっぽどのことなんだろう』
そう言われて朧はホッと息をつく。
『ところで本当に心当たりはないんだな?』
「……ええ」
『なら気にしなくていいんじゃないか?』
「え?」
予想外の返しに朧はつい声を漏らしてしまう。
『いや……言い方が良くなかったな。朧はいつも通り小夜様と接したらいいんだ』
「ですけど……何日経っても変わらなくて……」
ふと沈黙が下りた。少しして『俺はさ』と御影が呟いた。
『お前と小夜様はよく似てると思うよ』
「俺と……小夜様がですか?」
御影は『あぁ』と答える。
『なんていうか……相手のことを考えたら、自分の気持ちを言えずに抱え込んじゃうんだろうな。朧はちゃんと自分の気持ちを小夜様に伝えてるか?』
そう言われて、ぐっと朧は詰まった。なるべく伝えようとはしてる。しかし、ちゃんと伝えているか聞かれると、即答はできなかった。
電話の向こう側で御影は微かに笑った。
『相手を思うことは大切だ。けど、それで自分の気持ちまで押し殺したら、相手のためにはならない。まぁ、俺が偉そうに言えることでもないけどな』
「いえ……それで……俺はどうしたらいいんですか?」
『別に大きなことをする必要はない。ただ、お前まで距離を置くな。いつも通り側にいて、必要なら言葉にすればいい』
御影の言葉は、いつもすっと胸に入ってくる。
『朧と小夜様は似たもの同士なんだからさ、小夜様のことは朧がよく分かるはずだ。お前なら大丈夫だよ』
「ありがとう……ございます」
『何だ、泣いてるのか?』
冗談じみた声が聞こえる。
「そんな訳ありません……助かりました」
『いいんだ。ただ……小夜様のことを考えるのも大事だが、朧。最近ちゃんと休めてるか?』
「え?」
『声が少し違う。疲れている時のお前の声だ』
電話だけで見破られた。この人にはやっぱり敵わないな、と思いつつ朧は返す。
「ちょっと疲れてるだけです。大丈夫ですよ」
確かに最近、眠っても疲れが抜けないことが増えていた。身体が重く、頭がぼんやりすることもある。
けれど、それを口にするほどのことではないと思っていた。
『ならいいんだが……』
何か言いたげな御影だったが、惜しむように『すまん』と言われた。
『仕事が立て込んでてな。そろそろ切る』
「ええ、お時間いただいてありがとうございます」
『礼はいいよ。またなんかあったら連絡してくれ』
御影との通話が終わった。
朧はしばらく、暗い画面を見つめていた。
『お前まで距離を置くな』
その言葉が胸に残っている。
彼女が何を考えているのかは分からない。
それでも、分からないからといって、自分まで離れてしまうのは違う。
「……明日から、いつも通りに」
きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、小さく呟いた。
* * *
それから数日、朧は以前と変わらないように努めた。
朝の挨拶を交わし、任務の話をして、時には他愛のない会話もする。
それでも─。
「朧、大丈夫だよ」
その言葉を聞くたびに、朧の胸には小さな違和感が残る。
本当に大丈夫なら、なぜそんな顔をするのか。
聞きたいことはいくつもある。 けれど、今は御影の言葉を信じたかった。
いつか、小夜が自分に話してくれる日が来ると。
またちゃんと笑い合える日々が戻ってくると。
けれど──。
その願いは、思っていた形では届かなかった──。




