30、望まぬもの
数週間ぶりに実家に帰ってきた朧は、異様な雰囲気に息を呑んだ。家の前に特務部隊の車両が止まっていて何事か、と人が集まっている。
「だから大丈夫だって言ってるでしょう!」
叫ぶ母の声が聞こえてきて、朧は群衆の外から家を覗く。
敷地内に入ろうとする特務部隊と言い合う、母の姿があった。後ろには朔が立っている。
「すみません」
朧は割り込むと、母の側に駆け寄った。
「何事ですか」
「あっ、朧」
母は朧に気付くと、手招きする。
「この方たちを帰らすの手伝ってほしいの」
「ですから通報があった以上、私達も現場を見て上に報告しなければならないんです」
「だからあの怪物はうちの息子が祓ったって」
家の周囲に残る微かな瘴気。 朧はそれだけで状況を察した。
結界に綻びが生じ、封じられていた禍が一時的に外へ漏れたのだろう。
話に持ち出された朔をチラリと見ると、退屈そうにぼんやりと立っていた。
「すみません、十六夜さん。現場の確認だけでいいのでお願いしても宜しいですか?」
先頭に立っていた男性が朧を見て言った。朧は、文句を言う母に目を向ける。
「母さん、現場だけでいいんですから案内しましょう」
「……朧がそう言うなら」
「こちらです」
朧は特務部隊を庭へと案内する。近付くと、瘴気がより濃く感じられる。
特務部隊の男性は、禍がきちんと処理されていることを確認すると、朧と向き合った。
「大丈夫そうですね。案内ありがとうございます」
「いえ」
頭を下げると、特務部隊はすぐに去っていく。遠ざかる車両を眺めながら朧は息をついた。
─厄介なことになったな……。
庭にある邸内社。 先ほど確認した時、社へ続く地面には複数人分の足跡が残されていた。 禍の騒ぎでついたものとも考えられる。だが、胸の奥に拭えない違和感が残った。
「兄さん、何かありましたか?」
背後から砂利を踏む音がした。 振り返ると、朔がゆっくりと歩いてくる。このことは隠しておいた方がいいだろう。そう思った朧は「いや」と首を振る。
「それより禍を祓ってくれたんだな。……助かった」
そう言うと、朔はにんまりと笑った。
「禍が現れたら祓うのは当たり前でしょう。兄さんとは違うんですから」
その嫌味に朧は微かに眉をひそめる。しかし、気にせずに朔はスタスタと去っていく。
「色々支度もあるでしょうけど、明日には奉納を頼みますよ。そんなんでも一応仮当主なんですからね」
朧は、その言葉にため息をついた。
「仮当主」。その言い方が朧は気に入らない。そもそも朔が当主になればいいだけ。けれど、亡き父の意志は朧が当主になることだった。
─どうして、俺なんだ。
何度そう思ったか分からない。
自分はこの家を継ぎたいわけではない。朔が望むのなら、当主の座など譲ってしまえばいい。
それなのに、父が遺した最後の意志が、それを許さなかった。死んだ後もなお、朧を縛り続ける鎖。
この家に戻ってくるたび、忘れたくても忘れられないものばかりが蘇ってくる。
父が死んでも、この家は何一つ変わらなかった。
残されたのは、当主という重荷だけ。
─いっそ、何も残さずに死んでくれればよかったのに。
思ってはならない言葉が、胸の奥から込み上げる。
「……」
朧は目を伏せた。
父親が遺したものなど、何も欲しくなかった。
それなのに、自分は今もその意志に縛られている。
* * *
夕食を取り、湯浴みをすると朧は自室に向かう。「朧」と、居間でお茶を飲んでいた母が声を掛けてきた。
「もう寝るの?」
「ええ、明日は奉納もありますし」
そう言うと母は、はあとため息をついた。
「だから、こっちに戻ってきたらって……」
「……おやすみなさい」
話が長くなりそうで、朧は母の言葉を切る。母も渋々「おやすみなさい」と返した。
─この家は疲れる……。
息苦しい一日を終え、ようやく朧は床につく。朝からバタバタしていたため、横になるとドッと疲れが襲ってきた。明日の夜には奉納をしなければならない。
─早く神社に戻りたい……。
決して楽ではないものの、慎ましくて穏やかな日々。明日奉納を終わらせたらすぐに帰れる。
そう自分に言い聞かせて朧は目を閉じた。




