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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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1、汝の名は"常世の巫"

黎明27年、場所は天御門。

季節の巫が冬をもたらし、世界は音を失ったように静まり返っている。

そんな中、一台の黒塗りの車が高速道路を走っていた。


「……あ、雪降り始めた」


助手席に座っている少女が窓の外を見つめる。猫のように大きな目の先で、粉雪がはらはらと舞い始めていた。


「そうですね。小夜様、寒くはないですか」

「大丈夫だよ。朧こそ寒くないか」


少女─小夜は、運転席にいる鎮守人を見やった。朧と呼ばれた青年は、ハンドルを握ったまま頷く。切れ長の目が冷たく光る、端正な顔立ち。だがその表情はどこか穏やかであった。


「ええ。それより小夜様、少しお休みになられては?まだ30分ほどかかりますよ」

「神祇嫌だ……」


小夜がボソリと呟くと、朧は眉をひそめた。

 

「そんなこと言ってはいけません。常世の巫様でしょう」


小夜は、「うう……」と唸って背もたれにもたれかかる。


「寝るから着いたら起こしてくれ」

「分かりました」


小夜は目をつむった。その時、朧が右耳につけていたイヤホンがジジッと小さくなった。朧はサイドミラーでチラリと後ろを確認する。


『こちら後続、異常なし。予定通り進行中』


どこか投げやりで、冷めた声が耳に入る。それが自分に向けられていることを、朧は理解していた。しかし、それを聞き慣れたものとして受け流す。


「了解」


短く答えると、朧はそれ以上何も言わなかった。車内には再び、雪のような静けさだけが戻っていく。

車は雪の中、しばらく走り続ける。やがて速度が落ち、滑るように分岐へと入った。

街灯の間隔が広がり、周囲の景色がゆっくりと変わっていく。雪に沈む山の気配が近づいてきた。

やがて車は開けた場所で停止した。朧は剣を腰にさすと、車を降りる。その先には、雪をまとって白くなった霊山が、神聖な気配をまとって静かに立っていた。

朧は助手席側に回り込むとドアを開ける。


「小夜様、着きましたよ」


声を掛けるが、小夜はぐっすりと眠ったままだ。少し逡巡した後、朧は彼女の肩に手を掛けた。


「小夜様、起きてください」

「……ん」


もぞりと体が動き、小夜はゆっくりと目を覚ました。


「着いたか……」

「ええ」


小夜はシートベルトを外すと、ゆっくりと車から降りる。途端に冷気が体を包み込み、ブルリと身震いした。その様子を見た朧は、自身のコートに手をかける。


「俺のコート着ますか?」


しかし、小夜は首を横に振った。


「いいよ、朧が風邪引くだろ」


すると、後ろからブレーキ音が聞こえ、黒い車が停車した。中からスーツ姿の二人の男性が、いつものように怠げに姿を現す。彼らは朧と同じように腰に剣をさしていた。

神聖な領域には護衛は足を踏み入れられないため、ここからは朧が彼女を守らなければいけない。朧は白い息を吐いた。


「……小夜様、行きましょうか」


周囲を確認しながら白い参道をしばらく歩くと、塗装のはげた鳥居が見えてくる。身を引き締めてくぐると、澄み切った空気が肌に触れた。境内を通り、山道へと足を踏み入れる。山道は雪で所々白くなっていた。


「小夜様、今日は足元危ないですので俺おぶりますよ」

「自分で歩ける」

「滑って転んだらどうするんですか」

「何年登ってると思ってんだ。大丈夫だよ」


そう言うと、小夜は先々登り始めた。朧は、何も言わずにその背中を追った。


「はぁ……しんどい」


白い息を吐きながら小夜は呟く。まだ20分しか経っておらず、この先にはもっと険しい山道が待ち構えている。朧は呆れた表情を浮かべた。


「だから俺おぶりますって」

「だからいいって。てか何でそんなに余裕そうなんだ」

「そりゃ鍛えてるからに決まってるでしょう」

「私も鍛えてるのに……」

「ほら行きますよ」


手を差し出すと、小夜はビクリと身体を震わせた。その様子を見て、朧は胸が痛んだ。


「あ……ごめん」

「いえ、こちらこそすみません」


普段の彼女は明るく、よく笑う。けれど、こうして不意に「得体の知れない何かに怯える表情」を見せるときがある。上層部の話によれば、彼女には過去の記憶がないらしい。

一体、何があったのか。しかし、それを知る術は今の朧にはない。

俯いている朧の顔を小夜は覗きこんだ。


「朧……?」

「あぁ、すみません。行きましょうか」


順調に登り続け、山の中腹辺りまで来た。微かに異様な気配がすることに気付いた朧は、辺りを見回す。一歩前を歩いていた小夜が不安げに振り返った。


「どうした、朧」

「いえ、少し……」


霊山ということもあり、この世のものではないものが潜んでいることもある。今回もそのようだった。


「行きましょう」


剣の柄から手を離すと、先を急ぐ。

基本的に害のないものが多いが、時折“禍”と呼ばれる存在が現れる。それは剣も銃も通じない厄介な相手。

武器、体術を得意とする朧はなるべく戦闘を避けたかった。

周囲を警戒しながらその場を離れると同時に、気配が薄くなっていく。ただの霊だったようだ。朧はほっと息をついた。


「大丈夫そうか?」

「ええ、霊だったようです」

「そうか、よかった」


小川を渡って険しい道を登っていくと、次第に視界が開けてきた。登り始めてから1時間ほど経った後、ようやく山頂にたどり着いた。


「はあ、疲れた……」

「お疲れ様です」


山頂に立つと、天御影全体を見回すことができ、茜色の空と相まって絶景となっている。しかし、小夜はそんな絶景に感嘆の声もあげることなく、近くの岩に腰を下ろした。朧からペットボトルを受け取り、息を整えながら朧を見上げる。


「今何時だ」

「17時55分です」

「そろそろだな。やるぞ」

「ええ」


小夜は立ち上がった。


「小夜様、今日もよろしくお願いします」

「うん」


朧は鞄から取り出した神楽鈴を、恭しく手渡した。小夜は受け取り、空に向けて一度だけ鳴らす。しゃらんと辺りに鈴の音が響き渡り、空気が変わった。


─ああ、始まった。


小夜の後ろ姿を見て、朧はその時が来たのだと確信した。彼女の体が傾き、倒れそうになる─しかし、瞬きをした次の瞬間には、まるで別の者が宿ったかのように凛と佇んでいた。


「掛けまくも畏き天つ神に白す─」


小夜、いや違う者が彼女の唇を使って囁いた。"彼の者"は、神楽鈴を持って舞い始める。


─現し世の縁を解きて天つ風

─迷える御霊をここに集わん

─罪も穢れも悉く祓い浄めて

─常世の国へ安らけく送り奉らん


鈴の音が山頂に響き渡ると、天御影の街の明かりの向こうで、微かに揺れる光の粒が見えた。

鈴の音に導かれるように、魂たちは街からひとつ、またひとつと立ち上がり、空気を漂いながら山頂へと向かう。道の途中で迷う者も、苦しみを抱えた者も、全てが光の帯に吸い込まれるように集まる。


─小夜様。


小夜の印が風を切り、空気が震えるたび、魂たちの光は濃くなり、帳のように山頂を覆った。

朧は息を止め、悲しげにその光景を見つめた。守ることも、触れることもできず、ただ彼女の後ろ姿と魂たちが出す淡い光を、胸に刻むしかない。


「常世の国へ、いざ還れ─」


祝詞と共に光の帯が、ゆっくりと、しかし確実に天へと伸びていった。青白い魂の帯が山頂から天へと伸び、空に溶けていく。

小夜の後ろ姿を中心に、光と影が渦巻き、山頂は神秘的な異界のように変わった。

夜の帳が深く降りて茜色の空は藍に染まり、街と山頂、魂の光が混ざり合った幻想の世界が広がった。


「小夜様!」


神祇が終わった。"彼の者"は彼女の体から消え去り、小夜は体制を崩す。朧は慌てて駆け寄り、彼女を支えた。


「終わった、か」

「ええ、終わりました。お務めご苦労様です」

「うん」


小夜はそう答えて目を閉じた。朧は灯具を手に持って荷物を体の前に抱えると、小夜をおぶって立ち上がる。手が軽く触れ、神力を使い果たした彼女の冷たさに心臓が震えた。


「朧……」

「……はい」

「ごめんな……」


神祇が終わり、疲弊した彼女はいつも朧に謝る。何に対してなのか分からないまま朧は呟く。

 

「……大丈夫ですよ」


小夜からの返事はなく、代わりに寝息が聞こえてきた。


常世の巫。それは、死者の魂を集め、月夜海へと送り届ける者。民が生活をしている中、死に近い場所で孤独に命を削り使命を全うしている。

しかし、魂を集め、神へと捧げる故、民からは"穢れ"と蔑まれ、大切な人を失った民からは罵倒される。巫に仕える鎮守人である朧もこの一年間、ありとあらゆる罵詈雑言を投げつけられた。


─逃げてしまえばいいのに。


せめて自分だけは、彼女を巫ではなく一人の少女として大切にせねば。

藍色の闇の中、二人の重なった影が静かに山を下りていった。 

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