表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
PR
23/27

21、さくらの夢路

麓に息を切らせて駆け込んできた朧の、尋常ではない様子に桐生たちは眉をひそめた。


「どうされました?」

「すみません、小夜様が体調を崩してしまって」

「小夜様が?すぐに戻りましょう!」


篠原が車のドアを開けてくれ、朧は小夜を助手席に乗せる。すぐに全員が車に乗り込み、発車した。

朧は運転しながら、チラリと小夜を見る。顔は火照り、苦しそうに呼吸している。身体に負担がかかる神祇で、体調が余計に悪化したのだろう。

早く戻ることだけを考えて、朧はハンドルを握りしめた。

何事もなく常世神社にたどり着くと、朧はすぐに小夜を抱える。


「お疲れ様でした!」


車から降りた護衛陣に頭を下げると、駆け足で巫殿に向かう。巫殿に入ると、小夜の部屋に行き、ベッドに寝かせた。

取り出してきた冷却シートを貼ってやると、かすかに表情が和らぐ。


「ふぅ……」


ようやく朧は息をついた。まだ安心は出来ないが、今できることはやった。


─今日はうどんにするか。


朧はもう一度小夜の容態を確認すると、足音を忍ばせて部屋を出た。



* * *

─ごめんなさい。


どこか遠くで声がする。


─ごめんなさい。ごめんなさい。


誰かが泣いている。

誰、と小夜は顔を上げる。目に飛び込んできたのは暗闇に咲く綺麗なさくらの木だった。花びらを舞い散らせ、淡く光っている。


─上手くできなくてごめんなさい。


何だろう、この感覚は。


小夜がそっと足を一歩踏み出した瞬間、耳元でパチャリと澄んだ水の音が響いた。下に視線を移すと、足元には鏡のような水面がどこまでも広がっている。

奇妙な光景に戸惑いながらも、小夜が吸い寄せられるようにさくらの木へ歩みを進めようとした、その時。


─まだ来ちゃダメだよ。


遮るように響いたのは、どこか幼く、切ない拒絶の声だった。


この声は何…?


小夜が辺りを見渡した、その時─。


─ごめんなさい。もうやめて……!


悲鳴に似た泣き声が響き渡り、パリンと何かが壊れる音が聞こえた。


──よく頑張ったね。


その声が落ちた瞬間、世界がふっと歪んだ。さくらの木がふわり、と揺れる。

さっきまで淡く光っていた花びらが、一斉に色を失っていく。

水面に映っていたはずの景色も、輪郭を失っていった。


……え。

 

小夜は息を呑む。

足元の水が、ゆっくりと濁っていく。まるで何かが沈んでいくように。


待って…

 

声は届かない。

さっきまで聞こえていた泣き声は、もうどこにもない。

代わりに残ったのは、静かすぎる“空白”だけだった。


──今までありがとう。


その言葉だけが、妙に優しく響く。優しいのに─。

どうしてこんなに胸が痛いのか。


あなたは……誰?


問いかけた瞬間、水面に小さな波紋が広がった。

そして——ぱき、と。

今度ははっきりと、何かが割れる音がした。視界の端で、さくらの木にひびが入る。ひび割れは一瞬で広がり、世界そのものを裂いていく。


やめて……!


叫んだ声は、自分のものなのに、自分のものじゃないみたいだった。


全てが割れていく。壊れていく。


──もう誰かを想わなくていいんだよ。

──想ったって、また失うだけだから。


“誰かの記憶”ごと、剥がれ落ちていくように。


──怖かったね。


"誰か"が優しく囁いた。



──あぁ、大丈夫。もう何も怖くないよ。



* * *

「はっ……」


小夜は目を覚ました。頬が涙で濡れており、全身じんわりと嫌な汗をかいている。

自分のベッドで寝ていることが分かり、ホッと息をついた。


─何で泣いてるんだ……?


小夜は涙で濡れた頬を拭う。

何か不思議で怖い夢を見ていた気がするが、思い出そうとしても霧がかかったようで、はっきりとは思い出せない。ただ、相当怖かったのか手が小さく震えていた。


─落ち着け、ただの夢だ。

 

自分の手を押さえ込んで震えを止め、小夜はふと額に触れた。ひんやりとした冷却シートが貼られている。


─熱出てたのか。


神祇中にしんどかったのはそのせいか。と息をつくと、小夜は体を起こした。

棚に置かれている時計を確認する。ずっと寝ていたのだろう。時計の針は零時過ぎを回っていた。まだ身体のだるさは残るものの、歩けないほどではない。

ベッドから降り、静かに部屋のドアを開ける。廊下の向こうの居間には明かりがついていた


「朧……?」


小声で名前を呼んでみるが、返事はない。居間に顔を覗かせると、朧は机に突っ伏したまま、規則正しい寝息を立てていた。手元には、うす高く積まれた書類。恐らく書類仕事をしている間に寝落ちしてしまったのだろう。

いつも隙のない従者の、滅多に見られない無防備な姿に、小夜はクスリと笑う。

起こさないようにそっと毛布を掛けてやろうと近づいたが、人の気配を察した朧がゆっくり身体を起こした。まだ眠気の残る目で、驚いたように小夜を見上げる。


「……小夜様」

「悪い、起こした」

「いえ……すみません。寝てしまってて」


眠そうな目で言う朧に、小夜はつい笑ってしまった。


「いいよ、朧も疲れてるんだから……」


朧の疲弊した顔を見ると、自分の役目に巻き込んでしまっていることが申し訳なくなる。


「それより小夜様、体調は大丈夫ですか?」

「あぁ、まだ身体は重いけど、しんどさはましになったよ。ありがとな」

「いえ、良かったです……」


朧はホッと息をつくが、心配そうに小夜の顔をじっと見つめた。


「な、なんだ」

「……泣いてたんですか?」

「え……?」

「目が腫れてます。何かあったんじゃないんですか」


この優しい従者は、いつもすぐに異変に気付いてくれる。しかし、その濁りのない優しさが、たまに怖くなる時がある。自分のせいで彼をこの場所に、この過酷な役目に縛りつけてしまっているという、強い罪悪感が胸を突くのだ。

小夜はそんな心のざわつきを隠すように、笑顔を浮かべた。


「大丈夫だよ。夢を見てだけだから」

「夢……」

「それより何か食べるものはあるか?」


小夜は、話題を変える。これ以上夢の話をしたらより不安になりそうだった。

朧は一瞬だけ心配そうに小夜を見つめたが、それ以上は言及せず「ありますよ」と静かに立ち上がった。

 

「うどんでいいですか?」

「うん」

「すぐ作りますから」

「ありがとう」


台所から、カチカチとコンロの点火する音が聞こえ、それからしばらくして、お湯の沸く音とともに出汁の優しい香りが室内に満ち始める。

居間の椅子に深く腰掛け、小夜はぼんやりと朧の姿を眺めていた。

鍋の様子を見つめる朧が、ふとこちらを見てぽつりと言った。


「明日も雨みたいですね」

「明日は、映画借りてきてくれるんだろ」


朧が呆れたように言う。


「体調が良かったらですよ」

「……もう良くなったよ」

「嘘つかないでください……」


小夜は不満気に口を膨らませた。


「あんなに体熱かったんですよ。俺がどれだけ心配したか」

「……心配かけて悪かったな」


朧は息をつくと、湯気の立つどんぶりをそっと差し出した。


「どうぞ」

「……ありがと」


小夜は受け取って、ふう、と一度息を吹きかける。 だしの匂いがふわりと広がって、さっきまで胸に残っていたざわつきが少しだけ薄れていった。

 

「あちっ」


顔をしかめる小夜を見て、朧は水を渡してくれた。

 

「出来たてなんだから、気を付けてください」

「うう、ありがとう」


小夜は必死に冷ましてうどんをすする。


「うまい」

「ただのうどんですよ」

 

小夜の言葉に、朧は苦笑した。

窓の外では、雨が静かに降り始めている。

夢のことは、もう思い出せない。 でも今は、そのままでいい気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ