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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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22/27

20、凍夜に燻る

雪が降る中、小夜たちは足を進めていく。「くしゅん」と小夜がまたくしゃみをした。

そんな小夜を朧は心配げに見る。小夜は鼻をすすった。


「なんか今日寒くないか?」

「まあ寒いですけど……」


朧はスーツの上着に手を掛けた。


「これも着ますか?」


そう言うと、小夜がギョッとする。


「何言ってんだ。その下シャツだろ」

「でも寒いんですよね」


上着を脱ごうとする朧を、慌てて止める。

 

「……私が悪かった。動いたらあったまるから大丈夫だよ。ありがとな」


─大丈夫ならいいが……。


朧は小夜の横を歩いていく。

降る雪も、肌を刺す風も、いつも通りの冬の寒さのはずだ。それなのに、隣を歩く小夜は明らかに尋常ではない寒がり方をしている。

朧は妙に寒がる小夜を、不安気に見つめた。その視線に気が付いた小夜が呆れたように言う。


「朧。私の顔見てないで道を教えてくれ。どこ通ったらいいんだ?」

「あぁ、すみません。こっちですよ」


いつもとは違う、険しい山道を上がっていく。一面が白く覆われた足元は滑りやすく、一同は一歩一歩を確かめるように慎重に登っていった。

ただでさえ迂回ルートは傾斜が急で、頂上までは倍以上の時間がかかる。まだ中腹だというのに、小夜の息はひどく荒くなっていた。ゼーゼーと喉の奥から苦しそうな音が漏れ、その足取りは目に見えて鈍くなっていく。


「小夜様、休憩しますか?」


その様子を見て朧が声をかける。


「いいよ……そんな時間……ないだろ」


そう言われて朧は時間を確認する。確かに時間に余裕はないが、数分休憩することはできる。

朧は影のように後ろを歩く、護衛陣を見やる。


「すみません、少し休憩しましょう」


朧の言葉に小夜は目を伏せた。今日は一段と身体が重い。体を動かしているはずなのに寒気も感じてきた。


─風邪引いたかな……。


朧から受け取ったお茶を飲みながら、小夜は心の中で呟く。そんな小夜の顔を朧は覗き込む。


「小夜様、様子変ですけど大丈夫ですか?」


小声で囁く朧に、小夜は笑いかけた。


「朧は心配性だなぁ。大丈夫だ」

「ならいいですけど……」


朧がそう返した時だ。どろりとした、おぞましいほどの寒気が足元から這い上がってきた。

雪の冷たさとは違う、芯から凍りつくような死の気配。空気が重く淀み、息を吸うことすら躊躇われる。

異様な気配に朧を始め、護衛陣が即座に刀の柄に手を掛けた。小夜もその尋常ではない雰囲気に息を呑む。


「な、何だ……?」

「小夜様、お静かに……」


何かがこちらに近付いてくる。この気配は─。


「……朧」


御影が警戒したまま囁く。


「小夜様連れて下がれ。相手は恐らく─」


"(まが)"─。


月夜海に行けなかった魂が、悪霊となって現世に残ったもの。

朧は目にしたことはあるが、実際に対峙するのは初めてだった。それに、朧は禍の処理に必要な"力"を持っていない。御影はそのことを理解した上で、下がるよう言ったのだろう。

朧は自分の無力さを感じながら小夜を連れて下がる。

少しして「それ」は現れた。


『アァ…』


それは、人の声に似ていた。けれど、言葉ではない。

泣いているようにも、苦しんでいるようにも聞こえる。木々の隙間から、黒い影が滲み出てくる。

人の形を歪に引き延ばしたような、のっぺりとした影。顔があるべき場所には目も鼻もなく、ただ真っ黒な亀裂のような「口」だけが、じわじわと広がっていた。そこからどろりとした怨念の霧が、雪を黒く染めながら溢れ出している。

 

「……う」

 

不気味な姿に小夜は思わず目を背けた。


─これが禍。


そこにいるだけで空気が濁る。見ているだけで、胸の奥がざわつく。


─私のせいだ……。

 

自分が月夜海に送れず、現世に縛り付けられ、異形となった元人間。小夜は知らず、手を握り締めていた。


「祓うぞ」


御影がそう言った瞬間、禍がこちらを見た。


『ア…』


見つけたと言うように、影がニタリと笑い距離を詰めてくる。


「抜くな!」


抜刀した冴島を御影は制する。


「奴に刀は効かない」

「じゃあ、どうすれば……!」

『アァ』


黒い腕がこちらに伸びてきた。

 

「隊長……!」

「分かってる」


御影はそう言うと、禍に向かって手を向けた。

その瞬間─。禍の周囲に赤い線が走る。じわりと、赤い紋様が浮かび上がった。


『アエ……』


禍が初めて動きを止める。黒い影がゆらりと揺らいだ。

逃げようとしているのか。それとも、自分の中に残った何かが抗っているのか。

御影は静かに呟く。


「──解」


バシュッ。

白い光が弾け、禍を覆っていた黒いもやに亀裂が入る。

空間そのものを切り裂く、御影の"異能"。絡みついていた怨念は一瞬で両断され、霧のように消し飛んでいく。


『ア……』

 

その声は、先ほどまでの不気味なものではなかった。

まるで長い間、苦しみ続けた誰かの最後の声のようだった。

黒い影は雪の中へ溶けていく。

小夜はただ、消えた場所を見つめていた。


「……」


─ごめんなさい。


何もなくなった雪の上を見つめる。カタカタと手が震えていた。

それは恐ろしさから来るものなのか。常世の巫という役目の重さを改めて実感したからなのか。自身にもよく分からなかった。


「……隊長、助かりました」


ようやく静まり返ったのを見て、ホッと朧は息をついた。


「あぁ」

「すみません。いつも助けてもらって……」


いつもピンチの時は御影が助けてくれる。自分には一体何が出来るんだろう。と朧は思い詰めた。


「朧、お前にはお前の仕事があるんだから気にするな」


励ましの言葉に「はい……」と朧は頷く。御影は辺りを見回した。


「それにしてもやっぱり結界がバカになってるな」

「ええ……」

「これ以上何も起こらなければいいんだが」


苦々しく呟かれたその言葉に、朧も内心で強く同感すると、俯いたままの小夜に声を掛ける。


「小夜様、怖い思いさせてすみません。大丈夫ですか?」

「……あぁ」


小夜はそう返したものの、顔色が悪い。

この先の急な登り坂を歩かせるのは酷だと判断した朧は、小夜にすっと背を向けて腰を下ろす。


「乗ってください。上までおぶります」

「……自分で歩けるよ」

「大丈夫ですよ。任せてください」


頑として譲らない朧に、小夜はそれ以上言葉を返せなかった。

小さく息をつき、諦めたようにその背中へそっと体を預ける。じんわりと伝わってきた朧の体温に、張り詰めていた緊張がほんの少しだけ解けた。


「朧、荷物持つよ」

「あぁ、ありがとうございます」


御影に荷物を渡し、朧は立ち上がる。


「足元気を付けてな」

「ええ」


朧は小夜の体をしっかりと背中に引き上げ、再び歩き始めた。

道はさらに険しさを増し、凍った岩肌や急斜面が一同を阻む。しかし朧は重心を低く保ちながら、一歩一歩確実に雪を踏みしめていった。己の息がどれだけ上がろうとも、その足取りが鈍ることはない。


四十分後、ようやく視界が開け、山頂が見えてきた。軽く息を切らしながら朧は足を踏み込んでいく。


「……お疲れ様です」


そうして、一同は山頂にたどり着いた。予期せぬ襲撃もあり、時間に余裕はない。朧は時間を確認すると、小夜を降ろす。


「小夜様、いけますか?」


やけにぼーっとしている小夜に声をかける。


─体調が悪そうだな……。


できるなら変わってやりたい。けれど、常世の巫としての役目は小夜にしか果たせないのだ。


「……あぁ」


朧は痛む胸をおさえ、御影から受け取った鞄を開けた。取り出した神楽鈴が、冷たい空気の中でチリン……と儚く鳴る。


「小夜様、今日もよろしくお願いします」


これが彼女を苦しめる引き金になると分かっていながら、朧は恭しく、祈るように神楽鈴を手渡した。


「……うん」


小夜の手が、冷たい鈴の柄を握る。空に向けて一度だけ鳴らした。しゃらんと辺りに鈴の音が響き渡り、空気が変わる。


─ああ、始まった。


小夜の後ろ姿を見て、朧はその時が来たのだと確信した。いつものように彼女の体が傾く。


─何だ……?


しかし、今日は違った。


「え……」


バタンと、小夜の身体が崩れ落ちる。


「さ、小夜様……!!」


慌てて駆け寄ろうとした朧の肩を、御影が掴んだ。


「落ち着け、朧。神祇中だ」

「ですけど……!」


神の依代となっている今の彼女に、触れることは許されない。分かっていても、今すぐに駆け寄りたい衝動が朧を突き動かす。


─小夜様……。


朧は倒れた小夜を見つめる。


─お願いだ、立ち上がってくれ……。


朧の悲痛な祈りが届いたのか、小夜の身体がピクリと動いた。そして、ゆっくりと、操られるように立ち上がる。

だが、その背中に、もう朧が知る「小夜」の意識はなかった。


「掛けまくも畏き天つ神に白す─」


彼女の唇から漏れ出たのは、ぞっとするほど澄み切った声だった。

鈴の音よりも高く、どこまでも透明で冷たい。人間のものではない美しすぎるその声が、山頂の静寂を震わせていく。

朧は、自分のすぐ目の前にいる少女が、一瞬で遥か遠い存在へといってしまったかのような、強烈な孤独感に襲われた。

小夜であって小夜ではない身体が、神楽鈴を鳴らしながら舞い始める。


─現し世の縁を解きて天つ風

─迷える御霊をここに集わん

─罪も穢れも悉く祓い浄めて

─常世の国へ安らけく送り奉らん


鈴の音が山頂に響き渡り、その音に導かれるように、魂たちは街からひとつ、またひとつと立ち上がり、空気を漂いながら山頂へと向かう。

 

─小夜様。


小夜の印が風を切り、空気が震えるたび、魂たちの光は帳のように山頂を覆った。

朧は息を止める。

彼女の苦しみも重さも、何一つ代わってやれない。それでも目を逸らせなかった。


「常世の国へ、いざ還れ─」


祝詞の結びと共に、小夜が最後の一振りを天へと捧げた。しゃらん、と高らかに響き渡った鈴の音を合図に、青白い光が夜空へと駆け上がっていく。

魂たちが未練を解かれ、天の川のように美しくきらめきながら、藍色の空へと溶けて消えていった。


「小夜様!」


神祇が終わった。"彼の者"は彼女の体から消え去り、小夜は体制を崩す。朧は慌てて駆け寄り、彼女を支えた。


─熱い……。


もう既に意識はない。いつもは冷たいはずの身体がやけに熱を帯びていた。


「朧、すぐ下山するぞ」


御影も小夜の異変に気が付いたのだろう。下りる支度はもう出来ている。


「……はい」


急いで小夜を抱えると、灯具をつけた。


「冴島さん、灯具を持ってやってくれ」

「分かりました!」


灯具を持った冴島を先頭に、朧たちは急いで足を進める。

吹き付ける風は肌を刺すほどに冷たい。それなのに、腕の中から伝わる小夜の体温は、明らかに尋常ではない熱さだ。

朧は焦る心を震わせながら、一刻も早く連れ帰るべく、夜の雪道を必死に駆け下りていった。

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