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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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19、氷雪に凪ぐ

巫殿の中は、耳が痛くなるほど静まり返っていた。


「小夜様ー帰りました」

「あ、朧。お帰り」


すぐに中から声が聞こえてくる。ダイニングテーブルで小夜は勉強をしていた。


「大分遅かったな。ご飯は食べたか?」

「今からです。小夜様は食べましたか?」


すると、小夜は気まずそうに顔を逸らした。


「朧が帰ってくるまで待ってようと思ったけど、待てなかったんだ……」


いじらしい小夜の様子に、朧は目を細めた。


「いえ、逆に食べておいて欲しかったので大丈夫ですよ。遅くなってすみません」

「……何か怒られたか?」


小夜はいつも朧のことを心配してくれる。不安げな小夜を見て、朧は首を振った。

 

「怒られてません。大丈夫です」

「ならよかった」


朧は手を洗うと、テーブルの上にパンを取り出す。


「会議で決まったことなんですが、とりあえず視察は中止。今日の神祇から数人護衛がつくことになりました」


御影の提案がとりあえず採用されたことも含めて、朧は会議の内容を簡単に説明する。話を聞いた小夜は、頬杖をついた。

 

「……んまあ、そうだよなぁ。あんな襲撃は初めてだったしな。というか霊山に護衛入っていいのか?」

「まあ、やむを得ずって感じですかね……」


襲撃があった以上仕方ない。

 

「それから今夜は迂回して登るので早めに出ますよ」

「……それは嫌だ」


顔を顰める小夜を見て、朧は呆れた。


「事件現場なんて通りたくないでしょう。とりあえずもう決まったことなんですから、わがまま言っちゃダメです」

「はーい……」


小夜は不服げに返事をした。

会議での決定事項を話し終わった朧は、話題を変える。


「それより小夜様は、お昼何を食べたんですか」


小夜は少し逡巡した後、仕方なく答える。


「……インスタントラーメン」

「……どうせ野菜入れなかったんでしょう」


ジロリと見ると、小夜は頬をふくらませた。


「私の体に野菜は必要ないんだ」

「またそんなこと言って……俺はどこで育て方を間違えたんでしょう……」

「お前に育てられた記憶はないぞ」


「というか!」と小夜は朧の手にあるパンを指さした。


「朧も野菜食ってないぞ!不公平だ!」

「俺はいいんですよ」

「よくない」

「俺は大人ですから」

「子供みたいなパン食べてるやつが何を言う」

「カレーパンに謝ってください」


小夜はフイッと顔を逸らした。朧はその子供っぽい仕草がおかしくて笑みを零してしまう。


「……何が面白いんだ」

「いえ……」


─完全に拗ねてしまった……。


拗ねてしまった小夜の機嫌を直すべく、朧は頭を働かせて、彼女が食いつきそうな話題を振る。


「そういえば今週は雨が多いらしいので、映画でも借りてきます?」


小夜がこちらを向いた。

 

「……映画?」

「ええ、ここで鑑賞会でもしましょう」

「……お菓子も食べよう」

「そうですね。お菓子も買ってきます」


小夜の顔が途端に明るくなった。


─機嫌が戻ってよかった。


朧は心の中でホッと息をついた。


「よし、じゃあホラー映画にしよう」

「それだけは勘弁してください……」

「あんなに強いのに、お化けは苦手なのか……子供だな」


小夜はバカにするように朧を見る。


「違います。急に出てくるからびっくりするんですよ。あれはタチが悪い」


真顔で言う朧に、小夜は反論する。

 

「何言ってんだ。びっくりするのが面白いんだろ」


朧は、小夜の言っていることが全く理解できない。しかし、大人気ない気持ちを抑え、仕方なく頷いた。


「……分かりました、ホラーでいいですから。明日借りてきますよ。どんなのがいいですか?」

「一番怖いやつ」

「……一人で眠れなくなっても知りませんからね」


観念したように朧が言うと、小夜は笑った。



夕方となり、自室で寝ている小夜を起こしに行く。


「小夜様、起きてください」

「……眠い」

「早めに出るって言ったでしょう」

「……うう」


布団に包まる小夜を見て、朧は息をついた。


「御影隊長たちが待ってますよ」

「連れてって……」


朧は仕方なく小夜の手を引っ張って、体を起こしてやる。


「朧の手が冷たいぃ……」

「寝起きの小夜様が温かすぎるだけです。ほら、上着を着て」


朧はぼーっとしている小夜の身支度を手際よく済ませると、巫殿を後にした。

駐車場に行くと、すでに護衛たちが揃っていた。御影を含めて総勢四人。御影の提案が正式に実行されるまでの、一時的な人員配置だ。


「すみません、遅くなりました」

「遅くなった」


駆け寄る二人に、御影が「大丈夫ですよ」と穏やかに微笑んだ。

本来なら治安統制局の実働部隊だけで固めるはずの護衛任務だが、上層部の思惑により、今回は神祇統監機構の責任者として御影が同行することになっている。

すると、御影の後ろに控えていた大柄な男が一歩前に出て、小夜に向かって深く頭を下げた。


「初めまして。治安統制局実働部隊から派遣されました。冴島と申します」


名を名乗った男、冴島は後ろに立つ三人を続けて紹介する。紹介された三人が生真面目に頭を下げると、小夜は「よろしくな」とだけ返した。

それぞれ車に乗り込み、駐車場を出発する。

高速道路に入ると、隣の小夜はすぐに深い眠りに落ちてしまった。すやすやと規則正しい寝息が聞こえてきて、朧はハンドルを握りながら、思わず口元を緩める。


─本当に子供みたいに寝つきが良い。


ワイパーが弾く雨が、山へ近づくにつれていつしか白い雪へと変わっていく。白いものがチラつく中、車は進んでいった。


何事もなく高速を降りてしばらく走ると、見慣れた霊山の影が見えてきた。

車を停めた朧は、運転席から降りる。後続車が止まるのを横目で見ながら、助手席に回り込んだ。


「小夜様、着きましたよ」

「……うん」

「ほら、降りて」


─段々と言うことを聞かなくなってきたのは、気のせいだろうか……。

 

そんなことを考えながら、朧は小夜を助手席から降ろしてドアを閉めた。

車から降りた護衛たちが駆け寄ってくる。そこへ─


「ハックション!」


小夜が盛大なくしゃみをした。


「うぅ、ごめん……」


謝って鼻を擦る小夜。今日の小夜は一段と寒そうだ。朧は何も言わずに自分のコートを脱ぎ、その肩に着せてやる。


「いいよ、朧が寒いだろ」

「寒がってる人に言われても困ります」


朧も寒くない訳ではなかったが、小夜が震えているのを見ている方が嫌だった。


「俺は平気ですから」

「……朧はいつもそう言うな」


小夜は呆れたように言う。


「自分のことは後回しにするくせに」

「小夜様に言われたくありません」


そう返すと、小夜は少しだけ笑った。


「では、行きましょうか」

「お気を付けてください」

 

麓で待機する桐生たちがいつものように声を掛けてくれた。朧と小夜は、護衛陣と共に霊山の麓へと足を踏み入れる。

霊山は昨日の襲撃が嘘のように静まり返っていた。雪が音を吸い込み、聞こえるのは足音だけ。

朧は隣を歩く小夜を見る。


「寒くないですか」

「大丈夫だよ」


そう答えた小夜の声は、いつもと変わらなかった。

それに少しだけ安心して、朧は前を向く。けれど、完全に不安が消えたわけではない。


─夜狗がなぜ霊山にまで押し寄せたのか。どうして結界が機能しなかったのか。


未だに分からないことは多い。

それでも今は。

隣に小夜がいて、いつもの時間が流れている。

朧は静かに歩みを進めた。

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