18、背に残るもの
数時間にわたる会議が終わったとき、会議室には妙な疲労感だけが残っていた。
決まったはずの結論は、誰の顔にも“解決した”という表情を浮かんでいない。
ただ、これ以上議論しても前には進まないという共通認識だけが残っていた。朧はそのまま席を立った。
「お疲れ、朧」
朧が助手席のドアを開けると、御影が運転席に座っていた。
「あぁ、お疲れ様です」
朧は助手席に座る。
「本当に運転してもらっていいんですか?」
御影は新しく選抜された護衛の一人だ。今日の神祇にはついてきてもらう。
「いいよ、お前疲れてるだろ。事故られても困るしな」
「いや、事故りはしませんけど……」
軽く笑った御影はエンジンを掛けると、車を発車させる。
「思ったより長引きましたね」
昼前に始まったはずなのに時計は十四時過ぎを指していた。
「まあ、そうだな。ただでさえ上で揉めてるんだ。簡単に決まる訳がない」
朧は御影の言葉を聞きながら、流れていく景色を眺める。
「守る対象が複数あって、それぞれの優先度も違う。しかも全部絶対守れって前提で動いてる。そりゃあ意見も衝突するよな」
巫と国民。優先順位は決められないほど、どっちも守られるべき存在。しかし、人手不足の現状では優先順位を決めるしかなくなる。難しい問題だ、と朧は顔を顰めた。
少しの間、車内に沈黙が流れる。昨日の事件を思い起こしていた朧の頭の中には、気にかかることがあった。
「そういえば隊長。昨日の襲撃の時なんですけど……」
脳内に、息を乱していた御影の姿が蘇る。御影も何のことか分かったのだろう。気まずそうに「あぁ……」と声を漏らした。
その様子に、朧の中でひとつの予感が一気に膨らんでいく。確実な証拠はないものの、ずっと頭の片隅にあったあの事件のことが脳裏をよぎった。
「もしかして四年前の……?」
「……まあ、そうだな」
朧はやっぱりか、と俯いた。恐らく前線から退いたのもそれが原因なのだろう。
その様子を見て御影は軽く笑った。
「何でお前が落ち込むんだ」
「……俺がもっと強かったら、隊長に無理させることなかったじゃないですか」
「別に無理してないよ。戦えなくなった訳じゃないしな」
「無理したから昨日みたいになったんでしょう……今日神祇に付いてきてもらいますけど、本当に大丈夫なんですか?」
─朧は心配性だから……。
何を言っても不安げな朧を、どうやって安心させようかと御影は考える。少しだけ困ったように目元を緩めると、前を見据えたまま穏やかな声で言った。
「人より息が切れるのが早いだけだから大丈夫だ。すぐ収まるし、なんて事ないよ」
朧は返す言葉を失った。運転する御影の横顔からは、かつて負った傷の重さなど微塵も感じられない。それが余計に胸を締め付け、少し間を置いてから口を開いた。
「……治らないんですか」
「四年経った今もこの状態ってことは、治らないんだろう。でも慣れたし、大丈夫だ。前にも言ったろ。命が助かっただけでも俺は運が良かったんだよ」
「そう、ですか……」
また、車内に沈黙が流れる。いろいろと思い詰める朧に向かって、御影は優しく声を掛けた。
「朧。どっか寄るか?腹減ってるだろ」
「いえ、有難いんですけど、小夜様が……」
「大丈夫だ、すぐ買える」
御影は近くのコンビニに車を停めた。朧は一瞬躊躇してからシートベルトを外した。
「......すみません」
朧が小さく呟くと、御影はドアを開けながら「謝らんくていい」と言った。
「小夜様ももちろん大切だが、俺はお前も大切だ。たまには息抜きが必要だと思うよ。そんなんじゃ胃に穴が空く」
「……ありがとうございます」
コンビニの自動ドアが開くと、軽い空調の風が流れ込んだ。御影は特に急ぐ様子もなく、店内を一度見回す。
「奢ってやるから好きな物食いな」
「いえ、俺お金持ってますから」
さすがに買ってもらう訳にはいかない。朧が断ると、御影は朧の肩に手を置いて、店の奥へと歩いていってしまった。残された朧は、好意を受け取ってパンのコーナーへと向かう。朧が小さくて安いパンを手に取ろうとすると、呆れたようなため息が聞こえた。
「こんな所まで気を遣う必要ないんだぞ」
御影は肩をすくめると、隣の棚から別のパンをひょいと取った。
「これにしろ。せっかく食うなら、そのくらいでいい」
押しつけるというより、当たり前のように選び直される感じだった。朧は少しだけ黙ってから、そのパンを受け取る。
「..... ありがとうございます」
御影は軽く笑うだけで、もう何も言わなかった。コンビニを後にすると、車に乗り込む。すぐに動き出した。
「それにしても朧はちょっと変わったな」
「俺がですか?」
「あぁ。守りたい人ができたからだろう」
どこが変わったのかはあんまり自覚がない。ただ自分を六年前から知っている御影が言うのなら、そうなのだろうと思った。
「お前を必要としている人はたくさんいるんだからさ、死に急ぐようなことはするなよ」
昨日のことを言っているのだろうか。
「……はい」
朧は頷くと、コンビニの袋を握りしめた。
常世神社に着くと、車から降りる。
「運転ありがとうございました」
「ああ」
「昨晩寝てないんですから、お昼ご飯食べたら少し休んでください」
そう言うと、御影は苦笑いした。
「俺も休みたいところなんだが」
「また報告書ですか……?」
御影は何も言わずに笑う。
「……上は本当に報告書が好きですね」
「まあ仕方がないだろ。何かあった時の責任をとる必要があるからな。お前はちゃんと休めよ」
「先に自分の体の心配してください」
「大丈夫だ、徹夜勤務は慣れてる」
石段を登って鳥居をくぐる。
「じゃあ、俺本殿で食べるから」
「え、一緒に食べないんですか?」
「お前は巫殿に待ってる人がいるだろ。早く行ってやれ」
御影はそう言って袋からパンを取り出すと、軽く手を振ってそのまま本殿の方へ歩いていった。
かつて深い傷を負いながらも、少しも弱音を見せず、いつも自分を優しく導いてくれる強くて大きな背中。朧はその背中を見送ると、巫殿へ続く道の先を見る。 ふと肩の力が抜けた。
─小夜様は、もう昼食を食べただろうか。
そんなことを考えながら、朧は巫殿へと足を向けた。




