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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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16、夜を裂きし者Ⅱ

「朧っ!」


ナイフが振り下ろされる。朧がタイミングを見計らって体を捻ろうとした時─


「……ガッ!」


敵の頭に誰かの足がめり込んだ。呻き声と共に男の身体が地に沈み込む。


「朧!大丈夫か!」


その声に朧はハッとする。どうやら御影が回し蹴りを叩き込んだらしい。すぐさま御影が手刀を落として男を気絶させる。

朧は高鳴る心臓を抑え、息をつく。


「……助かりました。すみません」

「いや直前まで俺も気付かなかった。だが、すぐ体を張ろうとするな。もう実働の時とは違うんだぞ」


「……はい」と短く応じた朧の脳裏に、ノイズ混じりの光景が過る。自分よりも、まずは守るべき者のために命を投げ出す─その「かつての癖」が、御影には危うく見えたのだろう。

だが、反省する暇は与えられなかった。静寂を切り裂くように、周囲の茂みから一斉に人影が立ち上がる。手には月の光を反射して光るナイフが握られていた。


─戦力の分散が目的だったのか……?

 

人数の多さに朧は銃に手を伸ばす。朧が銃を抜こうとした瞬間、御影が一歩前に出た。


「……朧、まだ撃つな」


次の瞬間、男たちが茂みから飛び出してきた。御影は男の腕を掴むとその勢いを利用して身体を反転させ、地面へ叩き伏せる。

同時に、背後から迫っていた敵を朧が蹴り飛ばした。朧は、御影の近くに棒立ちしている黒瀬に目を向ける。


「黒瀬さん!小夜様を守っていただけますか!」

「……わ、分かりました!」

「二人とも気をつけてな……」


黒瀬は小夜を連れて、木陰に身を潜める。黒瀬の素性は分からないが、このままでは彼女を本当に守り切れない。

朧が低く身体を沈め、敵の懐へ入り込み、手首を取って武器を落とさせる。そのまま流れるような動きで距離を詰め、動きを封じる。御影はその隙を逃さず、朧が崩した敵を一瞬で無力化した。言葉を交わさずとも息のあった連携。見る見るうちに敵が倒されていく。しかし、敵の人数は変わらない。


─一体何人いるんだ……!


そこで、朧は疑問が浮かんだ。これだけの人数なら、自分たちをもっと早く制圧できるはずだ。それに殺すなら銃を使えばいい。

なのに、奴らの動きには妙な間がある。攻めているようで、こちらの出方を窺っているような─。

掴んでは投げてをひたすら繰り返していく。残り数人になった所で、嫌な予感がした。こちらをじっと見るような鳥肌の立つ視線。まだ奥から人の気配がする。


「御影隊長!」


その事を伝えようと御影を振り返った朧は、目を見張った。御影は倒した男の腕を掴んだまま、荒い息をついていた。最強と言われていた上司の見慣れない姿に、朧は不安を感じる。


「隊長、大丈夫ですか!」


御影は浮かんだ汗を拭うと、男の体を投げ捨てる。


「……悪い、大丈夫だ」


心配を掛けないように御影は言うが、長い付き合いの朧は、彼の身に何か良くないことが起こっていることに気付いていた。しかし、気に掛ける暇はない。埒が明かないと思ったのか、残党が銃を取り出し、銃口を朧たちに向けた。


─くそっ!


朧は小夜たちが潜む木の影に体を滑り込ませる。御影も射線から逸れるために身を隠した。同時に発砲音が鳴り響く。


「朧……」


不安気な小夜の声が聞こえる。


「……必ずあなたをお守りします」


この状況下で、彼女に大丈夫とは言い聞かせられなかった。

朧は深呼吸をすると、ホルスターから銃を引き抜いてセーフティを外す。身を隠しながら敵に向かって発砲した。被弾したのか微かに呻き声が聞こえてくる。

向こう側でも御影が発砲する音が聞こえた。打開するために頭を働かせる。この数では突破できない。


─あと少しなのに……!


冷や汗が滲む。その時だった。


「そこを動くな」


地を這うような低い声。

朧が小夜を抱いて身を低くした刹那、闇を切り裂くようにして激しい銃声が轟いた。


タタタンッ、タタンッ!


正確に制御された小銃の連射音が響く。

反撃の暇さえ与えられず、夜狗が次々と闇の中へ叩き伏せられていく。


─増援か……!


朧は木陰に身を潜めたまま、わずかに顔を覗かせた。

抵抗しようとした夜狗の一人が銃を構えようとするが、それよりも早く、一際重い銃声が響いた。ドサリと倒れ落ちる音が聞こえる。動く者は、もう一人もいなかった。


「……クリア」

 

立ち込める硝煙を割って、一人の男が悠然と歩み寄ってくる。右手に握られた銃の銃身からは、うっすらと熱い火煙が立ち上っていた。

実働部隊第二隊長、藤堂。

彼は構えていた銃を慣れた手つきで下げる。背後では、重装備の隊員たちが流れるような動作で周囲を包囲し、完璧な警戒網を敷き終えている。


「藤堂隊長、助かった」

「あぁ、ご無事で良かったです」


御影が先に姿を現す。朧も立ち上がって木の影から出ると、御影の様子を横目で伺う。その姿は、いつも通り冷静に見えた。


「遅くなりました。部下から五人護衛に付かせます。下までお守りしますのでご安心ください」

「ありがとうございます」


藤堂が合図を送ると、精鋭の隊員たちが音もなく朧たちの周囲に展開し、鉄壁の陣形を敷いた。


「残党は私たちにお任せ下さい。無事を祈っています」


藤堂はそう告げると、一度も振り返ることなく、今来たばかりの険しい山道へと視線を戻した。彼の背後では、残りの隊員たちが機械的な正確さで弾倉をつめ、再び闇の中へ消える準備を整えている。


「朧、行くぞ」


御影の声に促され、朧たちは再び走り出した。

実働部隊の護衛が付いた帰路は、先ほどまでの絶望が嘘のように静まり返っていた。時折、遥か上方から乾いた銃声が響くが、それは藤堂たちが着実に敵を排除している証だった。


「小夜様、あと少しですよ!」

「うん……」


やがて木々が拓け、視界の下方に治安統制局の青白い回転灯が見え始める。麓は完全に制圧が終わっているようで、戦闘音はもう聞こえなかった。

鳥居を潜り、アスファルトの冷たい感触が足の裏に伝わった瞬間、朧は抱えていた緊張をようやく解いた。


「朧さん!!」


桐生たちが駆け寄ってくるのが見えた。前線で戦ってくれたのだろう。スーツはあちこち破れ、顔には泥がついている。最前線でどれほど激しい防衛戦を繰り広げていたのか、そのボロボロな姿が全てを物語っていた。


「ご無事で、本当に良かったです……!」


桐生が声を震わせる。その顔には、極限状態を生き延びた者だけが浮かべる、泣き笑いのような安堵が広がっていた。


「お二人も、よく無事で……。本当に、よくやってくれました。助かりましたよ」


朧が心底からの労いを伝えると、二人は言葉にならないといった様子で、誇らしげに、そして少しだけ目元を潤ませて頷いた。

朧は無線を手に取り、最後の一報を入れる。


「こちら十六夜。麓に無事到着しました。救援感謝します」


一瞬の静寂の後、ノイズ混じりのスピーカーから『了解』と藤堂の声が聞こえてきた。


「皆……守ってくれてありがとう」


疲労の混じった声で小夜は頭を下げた。慌てて護衛陣が頭を上げるように言っている。それを見て朧はふっと笑った。ようやく、あの長く険しい悪夢のような夜が終わったのだ。

小夜が不意に朧を見た。


「……朧もありがとな」

「いえ、それが俺の役目ですから……」


そう言われて小夜は嬉しそうに笑う。その様子を少し離れた場所で見ていた御影が、やれやれと肩をすくめる。鎮守人となって無茶をすることはなくなったと思いきや、自己犠牲を厭わない「かつての癖」はまだまだ健在のようだ。

御影は深呼吸をして息を整えるが、その呼吸は完全には戻りきっていなかった。平静を装い、慣れた手つきで乱れた襟元を整える。

その端正な横顔は、死線を越えた直後とは思えないほど冷静だ。しかし、その瞳だけは背後にそびえる闇深い霊山を鋭く射抜いていた。


─霊山での夜狗の襲撃など、今までに一度もなかった。


霊山には、不浄な者の侵入を阻む強固な「結界」が張られている。それを容易く越え、何十人もの戦力を山中に潜伏させたという事実は、単なる襲撃以上の不気味さを孕んでいた。


─腑に落ちないな。


御影の思考は冷たく、暗い予感へと沈んでいく。

ようやく、あの長く険しい悪夢のような夜は終わった。

だがそれは、さらに悪夢の始まりに過ぎないことを、彼は本能で察していた。

霊山の闇が、沈黙を守ったまま、静かに彼らの背後を見下ろしていた。

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