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月夜海は、誰が為に想ふ。  作者: 朝霧唯凪
第一章 : 巫、現世に在り
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15、夜を裂きし者

その後も視察は数日続いた。

朝になると御影が小夜の体調確認をしに来て、昼には黒瀬たちが神社内部を見て回り、夜になれば小夜の神祇に同行した。最初は小夜の神祇を見て驚愕に言葉を失っていた視察部隊も、数日も経てばある程度は落ち着きを取り戻し、熱心に記録を取る姿が見られるようになっていた。

もっとも、朧の黒瀬に対する警戒が解けることはなかったが。


そして、視察開始から一週間後─霊山へ向かったその夜に事件は起こった。

神祇を終え、小夜を抱えて下山している中、朧はいつもと何かが違うことに気が付いた。異様な雰囲気に朧は立ち止まる。


─静かすぎる。


いつもは鳥、虫の声が聞こえるのに、今は一つも聞こえない。湿った土の匂いの向こうから、肌をピリピリと刺すような、ただならぬ気配が漂ってきた。


「……何かありましたか」


黒瀬が怪訝そうに聞く。朧は答えずに辺りを見回した。人の気配がする。しかも大勢。そこへ無線が入った。桐生の切羽詰まった声が聞こえてくる。


『おっ、朧さん!聞こえてますか!!』

「ええ、何が……」

『連絡が遅くなってすみません!襲撃です!敵は夜狗(やこう)、三十人近くいます!撃ち漏らしたものが登っていきました。すみません!』


朧はその報告に眉をひそめた。


─麓に結界が張ってあったはずだが……。


しかし、ここで考えている時間はない。

 

「……治安統制局への出動要請は?」

『しております!』

「了解。すぐ下山します」


─人数が多いな。


「……どうされたんですか」


不穏な空気を読んで黒瀬が言う。


「夜狗からの襲撃です。下から登ってきているようです」

「や、夜狗ですか!?」


上から指示してるだけで実際に会うのは初めてなのだろう。図体はでかいのに臆病なようだ。黒瀬の顔に怯えが生じる。

 

「黒瀬さん、落ち着いてください」


背後から御影が諭す。


「でもどうすれば……」

「山頂で迎撃するのはどうですか?この戦力なら迎え撃てるでしょう」


護衛の一人が口を開いた。その意見に数人が頷く。

 

「確かにそっちの方が安全ですね……」


しかし、すぐに一人が反論した。


「……ですが、このまま山中に残る方が危険では?体力も削られてますし、すぐ下山した方がいいと思います。」


確かにどこに敵が潜んでいるか分からない状況では、山頂で迎え撃った方が安全かもしれない。だが、もう一度登るとなればさらに疲弊する。

護衛はさらに言う。


「神祇直後で小夜様の体力も落ちている。長期戦になればこちらが不利です。それに麓まで抜ければ救援部隊とも合流できます」


─どうする。


どうしたら安全に下りられる。

判断を急かされる緊張感。朧の思考は空回りするばかりだった。もがけばもがくほど泥沼に陥っていくような焦燥感の中、御影が「朧」と肩に手を置いた。


「俺たちはお前の判断に従う。どんな判断をしても必ず小夜様を守り抜くから」


朧はその強い言葉に心が少し軽くなった。逡巡した後、口を開いた。

 

「……すぐ下山しましょう」


リスクは高いが、体力のことを考えるとやはり下山した方がいい。

朧の言葉に皆が頷き、一同は早足で下山していくことになった。

夜狗襲撃の報告から数十分が経った。いつ襲われるか分からない極限の緊張状態の中、一歩足を踏み出すたびに冷や汗が背中を伝う。だが、時間が経過するにつれ、一同の間に「このまま無事に下山できるかもしれない」という、すがりつくような安堵が芽生え始めていた。

しかし、その微かな油断を夜の闇は見逃してくれなかった。


「……お静かに」


近くで物音がした。


─どこにいる……?


朧は耳を凝らす。カチャと、嫌な音がした。


「伏せて!!」


叫んだ瞬間、乾いた音が聞こえた。闇に紛れていた敵の一人が発砲したのだ。木の幹に銃弾が当たる音がする。

朧たちが身を低くした瞬間、周囲から複数の足音が迫っていることに気付いた。その時、突然両脇から刃物を持った男が飛び出してきた。


─まずい……!


小夜を抱えて両手は塞がっている。朧の体が硬直したその瞬間、黒い影が目の前に滑り込んだ。


「御影隊長……!」


前に飛び出たのは御影だった。振り下ろされた刃を刀で受け流すと、その勢いのまま身体を沈め、男の懐へ入り込む。次の瞬間、御影の鋭い蹴りが男の腹部を捉えた。呻き声を上げて、男の身体が大きく吹き飛ぶ。間髪入れず、横から迫った敵へ刀を抜く。斬りかかってくる数人の男たちを即座に無力化すると、御影は息をついて刀を鞘にしまった。


「朧、無事か?」


御影はいつもの冷静な声で朧を見る。


「ええ……助かりました」

 

あまりの処理の速さに誰も口を開くことができなかった。唯一彼の凄さを理解している朧は、残敵を確認するために辺りを見回す。


「朧」


状況を把握した御影が、口を開いた。


「ここで迎撃は不利だ。分かれて突破するぞ」

「賛成です」


朧たちの決断は早かった。敵の人数の多さ、かつ遮蔽物の少ない山中での停滞は死を意味する。

狙うは標的の撹乱。まずは陽動である護衛陣が動き、続いて護衛陣と視察部隊の混成部隊が敵を惑わせる。最後に小夜と黒瀬を連れた朧と御影が、正面を強行突破しながら進むという作戦だ。


「霊山だから、なるべく殺しはしないように頼む」

 

すぐに作戦を共有した後、御影は付け加えてそう言った。護衛陣は無茶言うなよ、という顔をしたが、朧も御影の意見に賛成だった。ただでさえ結界が機能していない事態が起こっているのだ。神祇に影響が出るような事は避けておきたい。

御影が声を張り上げた。


「散れっ!!」


先に朧たち以外の部隊が動いた。銃を手に左右に散らばっていく。やはり近くに残党がいたのだろう。銃声が聞こえてきた。


「……行くぞ」


御影と目を合わせて頷くと、朧は走り出した。


─やはり何か仕組まれていたか?


違和感を探りながら坂道を走る。しかし、思いつくものは何もなかった。


「はあ……はあ」


白い息を吐きながら暗い道を進んでいく。

いつも小夜を抱えて下山しているが、走るとなったら別だ。朧の腕は次第に重くなってきていた。その様子を見て、御影は立ち止まる。


「朧、小夜様を起こそう」

「……今ですか?」


予期せぬ御影の言葉に、朧は問い返す。


「ああ。背負ったままでも死なせはしないが、お前の機動力は死ぬ。自分の足で走っていただいた方が、結果として俺たちも守りやすい」

「……分かりました」


御影の言うことは理に適っている。朧は背中で眠る小夜に声を掛ける。


「小夜様。小夜様、起きてください」


しばらく声を掛け続けていると、小夜は小さく身動ぎをした。


「何……?」

「夜狗の襲撃です。ここから下まで全力で駆け抜けます」


朧は落ち着いて言い聞かせる。


「背負っていては、攻撃からあなたを守りきれない。酷だと思いますが、ご自身で走れますか」


寝起きですぐに言われたことが理解できなったのだろう。数秒後、「分かった」と小夜は頷いた。しゃがんで小夜を下ろす。

足元が覚束無い小夜を連れて下山を再開する。その時無線が入った。


『……こちら実働部隊第二隊長、藤堂』


無線のノイズに混じって低く、冷徹な声が響いた。背後からは微かに乾いた銃声と、部下たちに指示を飛ばす怒号が聞こえる。現場はすでに戦地と化しているようだ。


「十六夜です」


朧の応答に、無線越しの藤堂は淀みなく言葉を継いだ。


『実働部隊、現着。特例法に基づき、これより対象の殲滅および、そちらの接敵地点へ急行します。十六夜さん、現在地を』


朧は辺りを見回した。

 

「後十五分ほどで麓に着く地点。北西のルートを確保しながら下山中です」

『了解。そのまま直進願います。後は任せてください』


無線の向こうで、何かが爆ぜる音がした。

現役の隊長が放つ圧倒的な武力の気配。朧は無線を切り、隣を走る御影と視線を交わした。


「救援が来ます。行きましょう」


そう言って足を踏み出した時だった。


「朧!」


御影の鋭い声が聞こえた。朧はバッと振り返る。右手から大ぶりなナイフを持った一人が飛びかかろうとしていた。近くに潜伏してたのだろう。足音が全くしなかった。

すぐに小夜を後ろに隠す。この距離では間に合わない。ならせめて急所を避けなければ。


「朧っ!」


─死ぬのが怖くない訳じゃない。


ただ、あの日誓った。


─この人だけは命に替えても守ってみせると。


悲鳴のような小夜の声が聞こえ、スローモーションのようにナイフがゆっくりと振り下ろされた。

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